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ギデオンの訪問は突然だった。


ファリティナは扉の向こうが騒がしいのに気づいた。


人の出入りの少ない西の塔にしては珍しい。ファリティナは緊張して、扉を見つめた。


いつでも覚悟はできているつもりでいても、やはり緊張するものね。


ファリティナは臓腑に重くのしかかるものを感じた。


この部屋に入ってふた月はたっただろう。日付を見るものも無いので、正確にはわからないが、ぼんやりと数える。


夢で見たとき、毒杯を渡されたのは、学院を卒業する一月前だった気がする。

このまま、あと一年ほど過ごせるかと思っていたが、現実では進むのが早いのかもしれない。


セリオンは失敗したのだろうか。


鬼才と言われても、まだたった15歳。

爵位もない彼に、なんて酷なことを頼んでしまったのだろう。


セリオンだって、この公爵家に生まれなければ、自分の弟に生まれなければ、あの才能をもっと華々しく活かせたかもしれないのに。


せめて生き延びてほしかった。


彼ならどんな場所でも、華やかに咲いてみせるだろう。


セリオンのことが羨ましかった。


両親が、セリオンと自分を差別して扱ったと思ったことはない。

子馬を与えられなかったことも、女子だから、と侍女に諭され、そんなものかと思っていた。

その分、ファリティナには公爵令嬢として、豊漁地グランキエースの姫として十分のものを与えられたと思っている。


他家では、身につけられない豪華な衣装。年齢に比べて豪奢過ぎる宝飾品。

連れて行かれる社交場には子女は少なく、正直退屈なことも多かったが、下の爵位家の大人たち顔負けの衣装を身に着け、傅かれた。


そこにセリオンとの差をつけられることはなかった。

セリオンとの差は、生まれ持った才能だった。


何をしても、彼には勝てない。


一を聞いて十どころか、二十、三十も理解し、話を展開していくセリオンに、ファリティナは共感など持てなかった。それはセリオンも同じはず。


セリオンの横では、ファリティナは退屈におとなしく口を閉ざしているしかない。下手に発言すると、その理解力のなさに、大人たちは苦笑し、セリオンからは蚯蚓を見るような目で見られ、ファリティナは小さくなるしかなかった。


両親が彼を誇りに思い、将来を期待することは仕方なく、そのことに勝ち気に立ち向かう気はさらさらなかった。


そのことがいけなかったのかもしれない。


家族も周囲も、徐々にファリティナに興味を失っていくのが、身につまされて分かっていた。

そのことに、ぼんやりと傍観していただけで、目の前にあるものを淡々とこなしていっただけだった。


ギデオンと出会うまでは。


父が王家との縁を持ってきたとき、青天の霹靂だった。美しく朗らかな王子王女に囲まれた彼を、ファリティナは好ましく見ていた。ギデオンはいつも楽しそうだったから。

式典の場で緊張していても、兄姉の手助けを受け、可愛らしく微笑む様にファリティナもほっこりしたものだ。


伴侶になれるなんて思ってもみなかった。


言葉を交わすと優しくて、親切で、ファリティナのことを気遣ってくれた。

家族になる人だから、優しくしてもらってもいいのだ、と無意識に甘えてしまっていたのだ、と今なら思う。


家族でさえ、言葉少なに、事務的な気遣いしかされないファリティナにとって、ギデオンの気遣いは心からの好意に感じ、嬉しかった。


幼かった、とファリティナは反省している。


あの頃の自分は、ジェミニじゃない。

一人で外にも出られない幼児じゃない。


どんな人に会っても、どんな場所でも、寄りかからず立っていなければいけなかった。

それが、ファリティナ=ウィンディ=グランキエースとして生まれた者の責務だった。


嫌われ者の、公爵令嬢。


何もかも、望んだものではないけれど。

生まれてきたことも、王家の婚約者となったことも、セリオンの姉となったことも。


だけど自分の存在が、両親を困らせ、王家を困らせ、婚約者を困らせた。そして、無理難題を押し付けた才能ある弟も。


残った事実はそれだけ。


自分の存在に空しさを覚えながら、ファリティナは手に持った石を包み込んだ。


物語には悪役が必要なのね。


ファリティナ=ウィンディ=グランキエースは、生まれた時から悪役だった。


この世界にいる主役たちのための、成敗されるべき強敵。


ファリティナに与えられた身の丈に過ぎる豪華な衣装は、より強い悪役を演出する為のものだったに違いない。



望んだものなど、一つもないのに。


たったひとつ、小さな弟を救いたい。そう思うまでは。


その願いが、悪役ファリティナが願うものは全て、強欲に当たることに気づいていたら、願わなかった。



そうすれば、ジェミニはまだ生きていたのだろうか。



ファリティナが唇を噛んだ時、扉が唐突に開いた。


衛兵を手で制して、ギデオンが入ってきた。

その後ろから、セリオンが入ってきた 。


ファリティナは、驚いて眉を上げた。


二人はファリティナを見ると、眉を顰めた。


「殿下。」

衛兵が咎めるような声でギデオンに呼びかける。


「ここにある道具を全て押収しろ。誰の許可もいらない。王族の私の責任において、誰がどういう名状で彼女にこの仕事をさせたのか調べる。」


ギデオンの声がいつになく厳しい。

衛兵はおとなしく、ギデオンに従った。


「姉様。ファリティナ。」


セリオンがファリティナに呼びかけた。

ファリティナはふわりと笑った。


口当てをしているため、目元だけが優しく笑む。


「セリオン。」


セリオンに応える声は柔らかかった。


泣きたくなる。


こんな声だった。


セリオンは忘れかけていたファリティナの声に、胸が詰まった。


柔らかい、歌うような声。


ファリティナは口当てをして、王宮のメイドが着るお仕着せを着ていた。手元には辰砂の石があり、削って粉にする道具がある。

ファリティナが来ているお仕着せのエプロンにも、赤い粉が付着していた。


「ファリティナ、これは、毒だ。辰砂だ。」

ギデオンがファリティナに言うと、ファリティナは小さく肩を竦めた。


その表情を見て、セリオンが言った。


「知っていたなら、抵抗くらいなさってください!」


ファリティナは叱られた子どものように肩を竦め、目元で笑った。


「だって暇なんだもの。」


のんびりとした口調で、ファリティナが言った。


「あなたって人は…!」

セリオンが叱るように言う。

ファリティナは相変わらずふわふわと、慈しむようにセリオンを優しく見ていた。


ギデオンの心に二人の表情がストンと落ちた。

心細くて泣きそうなセリオンと、どこまでも能天気に笑うファリティナ。


不安だったろう。

この先何が起こるのか、誰もわかっていない。

だけど、ファリティナは弟たちを守るために笑うのだ。


だが、ファリティナの一言で、彼女は単なる16歳の少女だと思い知らされた。


「何かしていないと、悲しみに呑まれてしまいそう。」


セリオンがファリティナに手を伸ばし、そのまま抱きしめた。


「…姉様。」


××××××××××


気をつけてはいたのだ、とファリティナは言った。


口当てもつけ、石を持つ時は布で持つようにしていた。

粉もなるべく落ちないように、注意を払っていた、と言い訳するようにファリティナは言った。


ファリティナの着ていた衣服はすべて回収され、新しいお仕着せに身を包み、綺麗に清められた部屋でファリティナはのんびりと言った。


その暢気な様子と、ちぐはぐな現実。


死を覚悟していた。

仮定ではなく、この仕事を渡された時点で、死を望まれているのだとわかりながら、日々を過ごしていた。


その残酷さにギデオンは怒りを通り越して悲しくなる。


彼女に死を宣告するような酷い所業をしているのは誰か。

調べ上げる必要がある。


ファリティナの告発状が精査されないこと。

セリオンの面会の希望が通らないこと。

そして、公爵令嬢たる彼女に、過分な罰を与えていること。


見過ごしていいものではない。


この恣意的な罰の濫用を見過ごせば、公正を第一とする王家の威信に関わる。


ギデオンはそう主張して、警護の許可を待たず、ファリティナの部屋に押し入った。


「少し、痩せたわね。セリオン。背も高くなった。」

ファリティナは嬉しそうに言う。


あなたも。とセリオンは返して、言葉に詰まった。


ファリティナの顔には隠しきれない苦悩の跡がある。

たった何ヶ月かで、彼女は年相応の若々しさを無くしてしまった。

無邪気に、万能な自分に酔いしれるような、そんな初々しさは全く感じない。


あとどれだけ泣かせれば、運命はこの人を解放してくれるのだろう。


「ジェミニのこと、知らせてくれてありがとう。」

ファリティナは気丈に言った。

「ジュリアンとセアラは、元気にしてるかしら。」

「あなたがここに来てすぐに、サイリウムに連れて行きました。ジェミニの最期をともに過ごしてくれました。」


セリオンが言うと、ファリティナは悲しそうに息をついた。


「…酷なことを、してしまったわね。」


まだ10歳の彼らが、死を見届けたのか。

「あんなところに連れていかなければ。私が、セアラたちを出すように言わなければ。」

悔恨の言葉をセリオンが遮った。


「いいえ。」

セリオンは怒ったような顔をしてファリティナを見ていた。


「ジェミニは幸せでした。幸せでなかったはずがない。今まで屋敷より広い世界を知らなかったのに、あなたに、兄弟たちに慈しまれながら旅ができた。」


あんなことさえなければ、ジェミニは順調に回復していたに違いない。

たとえファリティナが拘束されたとしても、絆を持った兄弟たちが屋敷でもジェミニを守っただろう。


「ジュリアンたちも辛かっただろうけど、弟を愛していました。あなたが、ジェミニを守ったからだ。」


何が起きているのか。

双子の弟妹にははっきりと説明せずにいる。

だが、彼らは感じ取っていた。

ジェミニの身の上に起こったこと。

ファリティナが戻ってこないこと。

慌ただしくサイリウムに送られたこと。


「ジェミニを埋葬してすぐに、二人とも留学先に発ちました。」


そう、とファリティナは少し安堵したように息を吐いた。


セリオンはそっとファリティナの頬を撫でた。


「今日は連れ帰れないんです…。」


うん、とファリティナは頷いた。


「必ず、近いうちに迎えに来ます。2、3日のうちに。それまで、あと少しだけ我慢してください。」


セリオンが辛そうに顔を歪めた。


「…私は平気よ。」


ファリティナが言った。

笑みはなく、真剣な目でセリオンを見つめていた。


「無茶はしないで。セリオン。」


望みは、生き延びること。

自分でなく、あなたが。


ファリティナの目がそう言っていた。


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>公正を第一とする王家の威信に関わる。 いや、王様自ら、冤罪だったとしても派閥争いに王家が肩入れするわけにはいかない、みたいに言ってましたが? 王女達も下手撃ったねみたいな感じだったし、王妃もショック…
[一言] 君が生き延びないと、弟妹たちが本当の意味で生きられないんだよ・・・
[良い点] 一気に全編を読ませて頂きました。 多くの視点で現実を投影した良作でした。その多くが腑に落ちました。 (1)最後まで黙秘でしたが、黙秘が何故大切なのか非常によく書かれていました。日本では黙…
2021/05/26 14:47 古典ファン
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