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50 エルグラン領4

記念すべき50話目。ここまでお付き合い下さりありがとうございます。思った以上に長い話になりました。

「姉が、必要ないと手放すことに、私は異論ありません。」


「ファリティナがいつ手放すと言ったんだ。あれ以来、話してもいないのに。」

「あなたが、絶縁の手紙を送った時ですよ。」

「っっ!」

後悔に歪むギデオンを、セリオンが冷たく見た。


「王家はグランキエースを見捨てた。姉はそう言いました。そしてガゼリの権益よりも、まずは私たちが生き抜くことを優先するように言われました。」


「…すまない。そんなおおげさに捉えられるとは思わなかった。」


「そうでしょうね。もう過ぎてしまったことだ。だけど、姉の中で、あの時点で婚約の解消は視野に入っている。その上で、グランキエースの有利になるようにやってくれと託されました。」


私を切り捨てることを躊躇しないで。そんなことをするくらいなら、グランキエースが少しでも良い条件で生き残れることを考えて欲しい。


いつから気づいていたのだろう。

グランキエースが張りぼてだと。

ファリティナより、社交場に出る回数の多かったセリオンでさえ気づかなかった不協和音。

この危機の時になって、よくわかる。


グランキエースの派閥は、まるで最初からなかったかのように動かない。

当主代理の母親のところには来ているかもしれない。だが、セリオンの目の届く範囲で、ファリティナを助けようという動きはない。


派閥二位の、一番近い親戚であるグランキエース伯爵でさえ、ガゼリの話をセリオンが持って行くまで沈黙していたのだ。


グランキエース公爵家の没落を、まるで岸から見るように傍観しているかつての派閥家たち。

その寒々しさをファリティナは感じ取っていたのだろうか。


「ファリティナは、分かっていたのか。こんなふうに捕まってしまうことを。」

「バカですか?捕まることが分かってわざわざ学院の呼び出しに応じると思いますか?あの賢い姉が。」


セリオンの侮蔑の言葉に、馬車に同乗しているエイデンの背筋が伸びる。


昨晩から礼儀も何もないが、目の前にいるのは一応、この国の王族だ。


しかもセリオンの言葉から受けるファリティナの印象が、あまりにも知っているものと違うことに驚いていた。


エイデンがグランキエース公爵家に採用された時は既に、ファリティナは囚われて屋敷にいなかった。

だから、エイデンは、かつて学院で見かけたファリティナしか知らない。


と言っても、ファリティナと言葉を交わしたこともない。


噂だけだ。


夜な夜な、平民たちに塗れ身を汚す悪女。セリオンの栄光の影で、歴史ある四大公爵の名を貶める淫売。


エイデンの周りの下級貴族の子息たちは、淫猥な噂を楽しそうに嘯いたものだ。

半ば信じかけているものもいた。

ファリティナを一目見ようと、登校したと聞けば教室まで顔を見に行って、あまりの凡庸さにがっかりして帰ってきたものもいた。


エイデンはその軽薄な行動に眉をひそめたが、ファリティナ自身について思うところはなかった。


公爵家でもファリティナの話題はほとんど出ない。

だが、グランキエースの兄弟は、ファリティナを長子として尊敬し、信望しているのは分かった。


双子の弟妹をモドリ港まで送って行った時、セリオンが雰囲気のよく似た美しい弟を抱きしめて言った。


「姉様はきっと帰ってくる。私を信じて、皇国で待っていてくれ。必ず連れて行くから。」

ジュリアンは心細そうな顔をしてコクリと頷いた。

「セアラを守ってやってくれ。姉様に似て強い子だ。だけどセアラは女の子だ。そのうち、お前のほうが体も力も強くなる。セアラの盾になって、寂しくないように側にいてやってくれ。手を離さないで、泣きたいときは慰めてあげて。」


「はい。兄様。」


「姉様と一緒に様子を見に行く。その時まで、寂しいだろうが耐えてくれ。そんなに待たせない。」

セリオンはジュリアンの頭を優しく撫でた。

「姉様がくれたチャンスを皇国で生かしなさい。私たちはお前を信じてる。」


エイデンはその甘い笑顔に衝撃を受けた。

冷徹無比と言われるセリオンが家族に向ける顔は、こんなに愛情深いのかと。

そして、ドロリとした感情が渦巻いたのが分かった。

いつかあの笑顔を、自分に向かせたい。

あの親愛の言葉を、自分にも言ってほしい。


そのためには彼の信頼を勝ち取り、有能な人材だと思わせなければいけない。


ライバルは多勢。


今、向かっているグランキエース領内の研究所は、グランキエースの富の源泉であり、鬼才セリオンを育てた研究員たちが多くいるところだ。


やっと侍従として近くに寄れるようになったエイデンは、彼らと競り合って行かねばならない。


向かった先は、鉱石の研究所だった。

セリオンは学院生たちをいくつかに分散させ、エルグラン領からグランキエース領にかけて点在する職人の工房を見学に行かせた。

工房も研究分野は一つではなく、生糸染色の専門工房や、ガゼリの生産地、生薬の精製工場、鉱山から取れる宝飾品加工場、またセリオンが先導する鉱石の研究所など様々だ。


これでグランキエース領の三分の一も回っていないのだから、ほかの地域が生産するものを考えるとグランキエースの豊かさは計り知れない。

領のほとんどを山脈が占めるとはいえ、その山脈全体からの恵みを存分に利用している。


セリオンが案内した鉱石の研究所は、鉱石開墾の際に安全性を高める研究をしている。

鉱石の成分は、その硬度を利用した加工物だけではなく、農業や医療品にも利用できる。


開墾の際、猛毒のガスを発生させたり、熱や振動に反応して爆発を起こしたりするものもあり、ここではその研究が行われ、現場で安全に採掘できるように注意が払われる。


ギデオンは一つの研究工房で、足を止めた。


覚えのある匂い。


火山石に混じる硫黄とはまた違う。


この匂いを、最近嗅いだ。こんなところではなく、もっとそぐわない場所で。


「セリオン。」


人をかき分けて、セリオンを止めた。

「何ですか?王子。」

物腰は柔らかいが、嫌味の混じる美しい笑顔で応じた。


「この匂いは。ここは?」

「辰砂の加工の時にでる匂いです。薬の精製に使われますが、辰砂自体は毒なので、深く吸い込まないでくださいね。」


一行が、少し顔色を変えた。


セリオンが明るく笑う。


「大丈夫ですよ。即効性のあるものではありません。蓄積されると内臓を壊す毒になるので、定期的に職人は入れ替えなければいけませんが。だから、辰砂の鉱山ではよく囚人が使われてます。」


毒。

ギデオンが青くなった。

この匂い。


「セリオン。」


ギデオンはセリオンを引っ張った。


「この匂いをファリティナの部屋で嗅いだ。」

セリオンが瞠目した。


「囚役として削っていたのは、赤い、石だ。」


辰砂は、赤の塗布膠として使われることもある赤が特徴的な石。


「…誰が、そんなことを。」

セリオンの眦が上がった。全体に凍てつくような怒気を纏う。


「ファリティナに会わせてください。」


セリオンの声が震えていた。


怒りなのか、恐れなのかわからないくらい。

目の前が真っ赤になりそうだった。


命を狙われている。

生まれてきただけで、罪人とされた哀れな少女の。


自分の最愛の人の。

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― 新着の感想 ―
マジかよ……。 ただまあギデオン初めて、ほんとうに初めて、少しは役に立ったやんけ。
[一言] 亡母の実家イカレてるわ・・・
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