48 エルグラン領2
明日を待つまでもない。
ギデオンはセリオンを乱暴に、会場から引き離した。
「どういうつもりだ!」
「静かにしてください。せっかくの宴に水を差すつもりですか。」
セリオンは先ほどまでの美しい仮面を脱ぎ捨てて、冷たい声で言った。
やっぱりこっちが本性か。
ギデオンはギリギリと睨みつけた。
「睨むのはやめてください。こちらとしては、王家にも私たちにも利があるように話をまとめる必要があるんですよ。」
セリオンが言った。
「ガゼリ生産地はグランキエース伯爵領に割譲しました。アマンダの結納金としてガゼリ頒布権をつけて召し上げれば今までと同じ条件で、成婚が成り立つ。爵位は下がりますが、公爵家派閥全体としてはほとんど変更がない。」
「な、んだと。」
ギデオンの血の気が引いた。
「人を替えただけです。いいでしょう?あなたが欲しがってたアマンダをつけてあげたんだ。」
「欲しがってなどいないと言ってるだろう!」
「いちいちうるさい人だな。」
セリオンがギデオンの口を手で塞いだ。
「あなたの本心なんてどうでもいいんですよ。要はこちらがガゼリの権益を王家に差し出したっていうのが大事なんですから。こちらは提案した。気に入らなければ、国王陛下と相談して蹴ってくださったらよろしい。」
だからといってよりによって、アマンダ=リージョンを持ってくるとは。嫌がらせだ。明らかに嫌がらせだ。
「…ファリティナはどうなる。グランキエース公爵の派閥にアマンダを入れたら、ファリティナの立場はなくなる。」
ファリティナの代わりだ。
ファリティナの立場はアマンダにとって代わられ、ファリティナは公爵令嬢として戻っても実質の立場はない。
「立場なんて。あんな罪で拘束された時点でなくなったようなものです。」
セリオンが冷たく言った。
「どうせ幽閉が解けても、公爵令嬢としての立場はない。あんな醜聞が広まって、まるで事実として扱われた以上、適齢期に嫁ぐなんて無理だ。よっぽどグランキエースの派閥に擦り寄りたい下心満載の狒々ジジイぐらいしかない。」
「お前!そんなところにファリティナを寄越すつもりか⁈」
「ふざけないでください。なぜ我が最愛の姉をそんな下種の前に出さなきゃいけないんですか。」
セリオンがさも不愉快そうに言った。
最愛⁈
ギデオンは内心、繰り返した。
いつも醒めていて色恋や情などから程遠いセリオンにはなんとも不釣り合いな言葉だ。
「一般的な話です。ファリティナを何処の馬の骨かわからないようなところに渡すわけがない。」
「では、どうするつもりだ。いつまであんな不自由なところに。」
セリオンが侮蔑もあらわにギデオンを見下ろした。
「まったく、どの口が言うんだ。もちろん、準備ができれば取り返しますよ。どうせ今出てきても屋敷に監禁状態だ。」
「それでも。今よりマシだろう。今の、罪人のような扱いより。」
「うるさいな。わかってますよ。それくらい。だから言ったでしょう。準備ができるまでと。」
屋敷内だからと言って安全とは限らない。
ガゼリの生産地をグランキエース伯爵に売却したことを母親は立腹している。
今、少しずつ母親を追い詰めている。
逃げ道を無くして、横領のことを突きつける。逃げ道は潰した。証拠を押さえるなど簡単なことで、後始末をどうするかだ。
そのためにパレルトの派閥の娘と婚約した。
すでに結納金は支払われ、婚約の願いは王家に提出している。受理されれば盛大に公表する。
この祝いの席にファリティナがいると扱いに困る。
母親に不用意に詰られ、傷つけられるのも嫌だし、領地の城は安全を確保できる環境にない。
横領を暴露するための準備で、豪腕の手法を持つものを送り込んでいる。
静かに過ごすには向かない。
国外に出奔するまでの間だけでも出来るだけ、静かに過ごさせてやりたい。
ジェミニを失った悲しみを、少しずつ癒せるように。
思い出を美しく昇華できるように、綺麗な蚕の繭に包むように過ごさせてやりたい。
不自由だが、王宮は最適だ。
セリオンとしても、多忙で側にいてやれない今、これ以上危害を加えられないと分かっている王宮にいてくれたほうが都合が良い。
「準備?一体、なんの準備だ。」
「姉が静かに過ごせるための準備ですよ。こちらにもいろいろあるんです。」
セリオンは肩を竦めた。
ギデオンは疑わしそうにセリオンを見た。
「ガゼリの権益のことは今から、王家に進言します。明日、グランキエース伯爵とご面会くださいね。そしてお帰りになって、陛下たちと良く話し合ってください。心配いらない。礼節も弁えない田舎娘だが、執行部があれだけ持ち上げたんだ。三年もあれば、王宮を歩いても恥ずかしくないくらいには振る舞えるでしょうよ。」
ここは学院ではない。
学院の行事だとはいえ、この城で行われる宴は本物の社交場だ。
その場であの程度しか振る舞えないなんて、高が知れている。
場数の問題ではない。
覚悟の問題だ。
本物の高爵位の家のものなら、1回目の社交場から自分の身分に相応しい振る舞いをする。
まだ10歳のジュリアンとセアラは王宮での公式行事でも眉を顰めるような無作法をしたことはない。
「まあ、本物の公爵令嬢たる姉には、死んでも敵いませんがね。」
セリオンは優しく微笑んだ。
ファリティナは完璧だった。
幼いながらも侍従たちを引き連れて歩く様も、夜会や社交場での本心を悟られない表情の作り方も。
聞いていないようで、周りの人間関係に耳を傾け、どのような人物かを観察することも。
もう少し、自分の価値を知っていれば、足を掬われるようなことはしなかっただろう。
いや。十分、知っていた。
ジェミニを守ろうとするまで、十分に分かって、どこにも深入りしないようにしていた。
小さく哀れな弟を、せめて命だけは助けるために、不自由な身分の彼女が必死にもがいた結果だった。
追い詰めてはダメよ。
ファリティナの言葉を守って、なるべく静かに穏便に終わらそうと、セリオンはもがいている。
苛立ちは募るばかりだ。
早くファリティナをこの手に取り戻したい。
だが、そのためには準備がいるのだ。
速やかに、夜陰に紛れるように密かに、この国から姉と自分を撤退させる。それまで、ファリティナが静かに過ごせる環境。
彼女が、心ゆくまで泣いてジェミニを弔い、再び立ち上がれるまで待っていられる環境を。