47 エルグラン領1
公爵家を継ぐというのは、これほどのことなのか、と学院生たちは改めてため息が出た。
今年の校外研修は、今話題の生糸染色法について。
この年に在籍している恩恵を受けて、発案者のグランキエース公爵子息が、自ら実地での研修を受け入れてくれた。
生糸染色に使う鉱石成分を多く含む泥炭地から、ほど近いところにあるエルグラン領。
盟主は先代グランキエース公爵の弟にあたるグランキエース伯爵である。
生糸染色の工房はグランキエース領になるが、大勢の学生が宿泊するのは、工房が点在する村から少し離れたエルグラン領の領城になる。
セリオンはエルグラン領にも工房を持ち込み、丁寧な実地研修を行った。また、点在する工房にも分散して見学をさせた。
染色の技術は、普段、勉強している施策とは違い、専門的な知識が必要となる。
成分の組み合わせによって異なる生成物が出来ることから始まり、グランキエース領から鉱石が取れる理由、その成分が土壌に溶け込んで、その土壌成分こそが必要だということ。
人の流れや欲望を具現化することだけに注目していた学院生たちにとっては、理解が追いつかないことが多かったが、セリオンはまるで子どもでもわかっているかのようにスラスラと説明して、最後に言った。
「グランキエースは職人の領です。薬の精製にしても、鉱石の加工にしても、領民は何らかの技術に関わって生計を立てます。ですから、今言ったような技術は、生まれた時から身近にあり、また領の初等学舎では基本的な読み書きとは別に、領の生業について学ばせます。王都に持ってきた研究所は、ここで各工房が研究している成果の一部。皆さんは存分に工房を見ていただきたい。同じ学院生の誼ですから。」
セリオンはにっこり笑った。
その後、ずらりと並べられた宝飾品の数々。
それだけでグランキエース公爵領の豊かさが、ひしと伝わる。
セリオンの狡猾さは、今回研修に参加を許可したのは、学院生だけでなく、王都の研究所で声をかけた大人たちもいたことだ。
大人たちの目は真剣だ。
この高度な技術と豊かな資源をどう活かすかを鷹の目で盗み取ろうとしているのがわかる。
セリオンはそれを涼しい顔をして対応している。
形は15歳の白皙の美少年だが、物腰と態度は全くそぐわない。
怪しさ満点だ。
ギデオンは、大人たちを相手に山脈の鉱脈開墾技術について説明するセリオンを見ながら思った。
セリオンの説明はまるで商品を高く売りつけようとする商売人のようだ。
グランキエース領とその周辺がいかに魅力的で将来の財に恵まれているか。
連れてきた大人たちのそれぞれの分野とどれだけ連携できるか。
何時間でも議論できそうな雰囲気に、またセリオンの周りには簡単に近づけない。
ファリティナをどうするつもりなんだ。
ギデオンは気ばかり焦る。
利用してくれ、と頼んだというのに、頼まれたのは弟の訃報だけ。
悲しみで体調を崩したファリティナのことを相談したくても、会うこともできない。
救い出す気があるのか。
冤罪を晴らし、幽閉部屋から出す気があるのか。
ギデオンのそばに近寄らないセリオンには問いただすことも出来ない。
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エルグラン領の領城で開かれた歓迎の宴で、ギデオンは今年新しく執行部入りした伯爵令嬢をエスコートした。
最近、アマンダとの間は前のような親密さはなくなった。執行部の雰囲気も変わった。
誰もがファリティナの件を恐れて、深入りしないように気をつけているのがわかる。
ファリティナとの婚約が解消されたことは学院内にはあまり知られていないのか、ギデオンにその話題を振ってくる者もいない。
セリオンの怒りにハッとしたように、以前は垣根を感じさせないくらい、ある意味不躾なくらいに近づいて来ていた執行部員たちは、ギデオンにはっきりとした礼儀を取るようになった。
そのことに寂しさは感じない。
身分の持つ権力の功罪を身をもって知り、軽く動くことができなくなった。
窮屈に感じていた身分だが、それを軽んじることで支払った代償が大きすぎた。
これほどの影響力がありながら、か弱い娘一人、釈放することもできない。
権力など身にすぎる武器で、甘い覚悟では本当に救いたいものを守るどころか、思ってもみなかったものまで焼き尽くす。
ギデオンは、自分にはまだ使いこなすだけの力量も覚悟もないことを身をもって知った。
そしてセリオンとの差にじくじくと疼く。
ほとんど同じ歳だというのに、すでに公爵の力量を体現している。
未だに嫡子の身分ではあるが、公爵領の全体の経営を把握し、将来に向けての布石を打っている。
並み居る大人たち顔負けの度胸で渡り合うのを目の当たりにして、学院生たちは一歩引くしかない。
彼を学院生だから、年下だからと対等だと思うものはいない。
まさに鬼才だ。
美少年の皮を被った先導者だ。
そんなセリオンはパレルト伯爵令嬢をパートナーとして伴った。婚約の準備が整っているらしい、と専らの噂だ。
パレルト伯爵令嬢はパレルト公爵の孫。継嗣の実娘になる。グランキエースがパレルト公爵の派閥と近づいた。
それを世間に示した形になる。
着々と公爵位譲位の準備を整えているように思える。
その分、ファリティナの救出に興味をなくしていっているように思えて、ギデオンは焦る。
誰にも顧みられない孤独を抱えて、最愛の者を失った悲しみを抱えて、今日もファリティナは一人、王宮の忘れ去られた塔の上で石を削っている。
「ああ、ここに。ギデオン殿下。」
パートナーの伯爵令嬢とのダンスの後、執行部員と談笑していたギデオンに、セリオンが声をかけた。
「セリオン。」
「城主のグランキエース伯爵がご挨拶をされたいと。お探ししていました。」
セリオンは叔父のグランキエース伯爵を伴っていた。
なぜか、その後ろには着飾ったアマンダがいる。
アマンダはミモザのような鮮やかな黄色のドレスを纏っていた。軽やかな印象はおそらく絹。
多分、生糸染色の中でも最新の成果のものだろう。
首元には不釣り合いな豪奢な宝石をつけ、耳元にも揃いの飾りをつけている。
豪華に飾り立てられたアマンダは嬉しそうに頬を紅潮させて、いつもと違う雰囲気に緊張を隠せないでいる。
手に握りしめられた扇は閉じられたままで所在なさげだ。
その様子に違和感を抱いたまま、ギデオンはグランキエース伯爵の挨拶を受けた。
「改めてご紹介します。こちらはアマンダ。先日、我が伯爵領の養女に迎えました。」
伯爵はどこか自慢げに、アマンダを推した。
アマンダははにかんだように不器用な笑顔をギデオンたちに向けた。
ギデオンも執行部の部員も全員、驚いた。
最近、アマンダと親しく話すことがなかったが、そんな話が進んでいると誰も知らなかった。
「アマンダ、礼を。」
伯爵に言われてアマンダはぎこちなく腰を折った。
「グランキエース伯爵の養女、アマンダです。」
拙い感じがアマンダらしい。
だが公爵家派閥二位の伯爵家の娘としては、不躾な、優雅さに欠ける礼だった。
伯爵は苦い笑いを浮かべた。
「ご存知の通り、最近まで男爵家の教育でしたので、礼儀が足りないところはお目溢しを。これから育てていきますゆえ。」
ギデオンは訝しげにセリオンを見た。
セリオンは満足そうな、不敵な笑みで見返した。
「伯爵家には男子しかおられないので、女の子が欲しかったそうです。学院でも評判の、優秀で可愛らしい彼女なら伯爵家に相応しい。」
その言い方に、ギデオンの顔がこわばる。
まるで、ファリティナとの確執などなかったかのように。
アマンダの後ろ盾になるということか。
ファリティナを切り捨てると。
だんだんと形相の変わるギデオンをセリオンは蠱惑的に笑いかける。
「明日にでもお時間いただけますか?ギデオン殿下。グランキエースとして、伯爵家も交えお話ししたいことがございます。」