46 何もしてやれずに
ギデオンが呼び出したのは、王宮の自室。
限られた侍従しか立ち入れない部屋だ。
ファリティナの様子を伝えたかった。
貴族家を応対するサロンではどのような召使いが出入りするかわからない。
そんなところで、ファリティナの話題を口にしたくなかった。
セリオンは相変わらず、冬の始めを思い出すような冷涼な雰囲気の笑みを湛えていた。
「ファリティナ嬢に、伝えた。」
単刀直入にギデオンは言った。それだけでセリオンには伝わった。
秀麗な眉がわずかに顰められた。
「泣いていた。声を殺して。」
ギデオンはそう言うと、唇を噛んだ。
あまりにも辛い泣き方を思い出し、声が震えた。
「その後、2日ほど食が細くなって、無気力になっていたが、今は持ち直してくれた。いつも通り、規則正しい生活をしているそうだ。」
「そう、ですか。」
セリオンが、少し息を吐いた。
「姉は、毎日、なにを?」
ギデオンが少し詰まる。
「囚役として、石を削っている。」
「囚役?」
セリオンの声に不穏が篭った。
「やめさせようとしたが、本人が、暇つぶしになるからと。」
自分でも言い訳がましいと、ギデオンは思った。
セリオンは、不満そうに息を吐いたが、ほかには、と聞いてきた。
「差し入れた本を読んだり、本の中の文字で手習いをしていたりするらしい。」
意外にもファリティナの文字は美しい。セリオンの差し入れた本をそっくり、挿絵もそのまま写し取っている。
植物の絵も上手く、写本として扱えるレベルだ。
持ち出しは禁止されているので、ギデオンは手元におけないのが残念だった。
「心安らかに過ごせているのであれば…。」
そんなはずはない、とセリオンにも分かっている。
モドリ城で毒を盛られた時に、取り乱したファリティナを思い出す。
ミュゲじゃない、とファリティナが言った一言で、セリオンはジェミニが毒を盛られたのだと分かった。
その後、ファリティナはジェミニの吐瀉物にまみれながら、抱きしめて離さなかった。
ジェミニが眠るたびに、次に目を開けてくれるのか、心配でたまらなかったろう。片時も離れず、自分の体温を移すように抱き込んでいた。
あの恐怖の夜を、ファリティナは何度経験したのだろう。
そこまでして守りたかった最愛の弟は、彼女の手を握ることもなく、帰らなくなった。
内臓の損傷が激しいため、腐敗が早く、セリオンを待つことも出来ず埋葬するしかなかったと、サイリウム卿は頭を下げた。
彼らが一体何をしたというんだ。
セリオンの中に沸々と、悲しみが溢れ出す。
今際の際の挨拶もできないほどの罪を犯したというのか。誰にも愛されないからこそ、愛し合っていたあの二人を、引き離すほどの何か罪があったというのか。
生まれてきたこと。
そのものが罪だった。
あの二人にそんな烙印を押したのは誰なのか。
「何も、してやれずに、すまなかった。」
ギデオンは頭を下げた。
セリオンが一瞬瞠目した。その麗しい眦に怒りが見えた。だが、それを飲み込むように目を瞑る。頬に一筋、涙がこぼれた。
「ご厚情、痛み入ります。殿下。」
そう言って臣下の礼をとって頭を下げた。
セリオンの声が、涙で震えていた。
ファリティナとよく似た悲しみの耐え方にギデオンの胸が締め付けられる。
全く似てない兄弟だと思っていた。だが、こんな時の感情の御し方が驚くほど似ていた。
慟哭したいだろう。感情のままに、理不尽を呪いたいだろう。
それを不屈の精神で押し込める、その姿の寂しさ。
よく似たその姿に、誰にも立ち入れない二人の絆を感じた。
「ですが、その言葉をもらうのは、わたしじゃない。」
頭を下げたままのセリオンが、悔しそうに言った。セリオンの握りしめた手がブルブルと震えている。
ギデオンは、ハッとした。
「あなたには、同情を寄せるべき、人がいたんだ。」
セリオンはそう言うと、ゆっくりと頭をあげた。
涙に濡れていた。
セリオンは袖口で乱暴に顔を拭くと、失礼します、と一言冷たい声で告げた。