45 政争の予感
ギデオンはセリオンを呼び出した。
学院では捕まえられない。
最近のセリオンは学院にも現れない。
セリオンの側近になった子爵家の子息に聞くと、次の校外研修まで学院には登校しないらしい。
次回の校外研修は、グランキエース領に隣接するグランキエース伯爵領エルグランに決まっている。
何を企んでいるんだ。
ギデオンは内心眉を顰めた。
生糸の染色研究は、世間の注目を浴び、セリオンは今では学院にくる暇もないくらい忙しい。
公爵家内に研究所を作り、各地から訪れる研究者に披露して公開研究の形を取っている。
公爵家の研究所は元は先代公爵がガゼリの安全性を高めるために作った。
この研究所に、セリオンは幼い頃から関わりを持っていたため、鬼才の名が広まった。
先代公爵も亡くなり、セリオンはまだ学生のため、この研究所は一旦、縮小の形で閉められたはずだった。
なかなか入れない公爵家直属の研究所。
しかも新しい研究を披露する形で公開している。
この時期に、何を考えている。
ギデオンはざわざわと胸騒ぎがした。
ただでさえ、爵位譲渡の準備で忙しいはずだ。
領地の盟主たちとの面会や、色々な権利書の書き換えのための書類を作成しなければならないと聞いた。
その上、新しい技術の披露など。
まだファリティナは王宮に幽閉されているというのに。
不祥事を抱えた姉を切り捨てて、華々しい爵位譲渡を演出するつもりにも見えるが、そうではないとギデオンは思う。
確証はないが、セリオンの態度からファリティナを守りたいと思っている。
ファリティナという瑕疵を抱えてでも、グランキエースの栄光は陰らない。そういう印象を狙っているのだろうか。
ファリティナをどうするつもりなのか?
ジェミニの訃報は、セリオンからもたらされた。
ファリティナに伝えてほしい、本来なら自分で伝えたいが、面会が叶わないから。と寄越された手紙を読んで、頭を抱えた。
ファリティナは嘆くだろう。
あの幼い弟のために、全てを投げ打って尽くしていたのに、と哀しむだろうと簡単に想像がついた。
想像していたより、ずっと辛い泣き方だった。
抱きしめた肩は細く、強く抱きしめると壊れてしまうかのように柔らかかった。
ファリティナはその後、2日ほど飲食物を口にせず、無気力に座っていると報告を聞いて会いに行こうとしたが、警護からの許可が下りなかった。
その上、父親である国王から呼び出された
ファリティナを抱きしめていたことを、警護兵から報告されていたらしい。
既に婚約は解消されている。
不適切な距離で近づくのは止めるように、と。
「私は、婚約の解消を望んでいませんでした。」
ギデオンは言い募った。
従順で素直なギデオンにしては、珍しい反抗に、国王夫妻は驚いた。
「解消の時にそんなことは一言も言ってなかったではないか。」
「あの時は…。セリオンに説得されてそうするしかないかと。そもそもが私たちが望んだ婚約ではないので、陛下がお決めになったことに抗うのは間違っていると思ったのです。」
「今になって惜しくなったというのか。お前がそんな子とは思わなかった…」
国王は頭を振った。
カタブツと家族に揶揄されるほど、厳格な父である。
貴族が権力にあかせて、愛妾を囲うのを黙認はしているが、あまり良しと思っていないような人となりだった。
「今更何を言うの、ギデオン。グランキエース公爵家もあなたの為を思って身を引いたようなものなのに。」
母親が困ったように言った。
「私は望んでいないし、ファリティナ嬢ときちんと話もできていないのに!」
国王と王妃は顔を見合わせた。
「ですが、あなたはファリティナ嬢を遠ざけていたでしょう。公爵代理はその手紙を見せてくれました。学院であなたが懇ろになっている令嬢がいることも、耳に入っています。」
「私が浅慮だったのです。噂に惑わされて、彼女と向き合うことをしなかった。」
ギデオンが悔しそうに言った。
「噂であったとしても、ファリティナ公女は拘束され、罰として幽閉されているのが事実。セリオン公子は冤罪を主張しているが、未だに釈放もされない。」
国王が淡々と言った。
「真実が全て、正しく通るとは限らない。たとえファリティナ公女が冤罪であったとしても、なんらかの意図で拘束されている。ファリティナ公女を貶める為なのか、グランキエースそのものに瑕疵をつけるものなのかは定かではないが、それなりの力が彼女を罪人としているのだ。」
「おかしいのです。彼女はやっていないだろうし、やったとしても身柄を拘束されるほどのものじゃない。王族の私に対して危害を加えたのならまだしも、格下の爵位家、それも子ども同士の確執でアーベナルドの最地下に入れられるなんて。」
「何ですって⁈」
王妃が声を上げた。
「はじめ、どこに拘留されたのか分からず、調べたらアーベナルドに。まだ詳細がわからなかったので、私の判断で西棟に入れましたが…。」
あの時、釈放すればよかった。
公爵家にそのまま連れ帰り、セリオンとともに釈明を待てばよかった。
罪人のまま西棟に幽閉してしまったために、ファリティナは不自由なままだ。
「どういうことなの?誰が一体、そんなことを。」
「ギデオン、お前はファリティナ公女の冤罪を支持しているのだな。」
ファリティナが冤罪だと主張しているのは、セリオンのみ。
拘留された告発状以上のものは出てきてはいないが、セリオン以外にファリティナの無罪や釈放を、訴え出る者はいない。
「はい。彼女は黙秘をしていますが、セリオンの反証を読み、彼女から時折出てくる弟を思う言葉を聞くと、告発状に出てくる人物とは思えない。」
「だとしても、王族の我々が彼女を庇いだてすることは許されない。」
国王は冷たく言った。
「お前とファリティナ公女は既に婚約関係でもない。婚約者であった頃ならまだしも。もし、私が彼女の罪状を調べるようにと命じれば、その時点でグランキエースに肩入れすることになる。そうなると、ファリティナ公女の置かれている状況はまた変化し、我々の臣下の中に新たな火種を生むことになる。」
ファリティナが無罪であろうとなかろうと、関係ない。
権力家同士の毀誉褒貶に巻き込まれている。それだけのことだ。
王族から手は出せない。
準王族となる婚約者ならまだしも、一臣下に手出しをすれば、均衡が崩れる。
公爵家ほどの高位の令嬢を陥れたとなれば、どこかの派閥まるごとを潰す結果になりかねない。
その後の混乱は想像に絶する。
国の存亡をかけるほどのことでなければ、王族が動くことはない。
それほどのことなのだ、とギデオンは改めて手を握りしめた。
四大公爵家の長子を侮ること、王族である自分を利用することは、それほどのことなのだ。
侮るということは、そういうことだ、とセリオンが初めに言った。
あの時、同時にセリオンは言った。
所詮、箱庭である学院の中のことだ、と。
あの時点で、告発者は事の重大さをわかって取り下げておけば、婚約解消まで至らず、学院の子ども同士の諍いが行き過ぎたことで終わったはずだ。
もう引き下がれない。
国の為を思った成婚の契約は反故にされ、公爵家同士の裏切りのあぶり出しが始まる。
政争の予感がする。
王妃が深いため息を吐いた。
「グランキエースになにが起きているの…。」