44 謝ることもできない
ギデオンが青い顔をして、ファリティナの部屋を訪れた。
立って礼を尽くすファリティナに椅子を勧め、深く息をした。
「…サイリウムにいる、一番下の弟君が亡くなった。」
はあ、とファリティナが深く息を飲んだ。
さあ、と音が聞こえるように顔色がみるみる変わる。
「ファリティナ嬢。」
椅子に座ったまま、そのまま倒れてしまうかもしれないとギデオンは思い、思わず手を伸ばした。
ファリティナは顔色を失くしたまま、ギュ、と一回目を閉じた。
そのまま、俯く。
唇が小さく震えているのが分かった。
重苦しい沈黙の後、ファリティナが絞り出すように言った。
「…お伝えいただき、ありがとうございました…。」
か細く、震えていた。
ギデオンは立ち上がって、ファリティナの前に跪き、手を取った。
膝の上で固く握り締められた手は、真っ白で、冷たかった。
「ファリティナ。」
ギデオンが名前を呼ぶと、ファリティナは固く目を瞑った。
泣くまいと、必死に堪えていた。
それでも耐えきれず、固く瞑った瞼から涙が溢れ出す。
ああ、こんなふうに、この人は泣くのか。
ギデオンは、頭の片隅でどこか冷静に思った。
悲しくないわけじゃない。
辛くないわけじゃない。
どんな悪評をたてられても、蔑ろにされても、まるで人ごとのように興味のない顔をしていた。
学院に現れなくなってから、時折、言葉を交わす時のファリティナはどこか人形めいていて、泣くことなどないように思えていた。
そんなわけないじゃないか。
自分自身に悔しくて、ギデオンはファリティナの冷たくなった手を温めるように包んだ。
声も立てず、震えながら涙だけを流していた。
不器用な泣き方だ。
そんな泣き方しかできないファリティナを抱きしめてやりたかった。
今が婚約関係であったとしても、彼女は自分の胸で泣くことはなかっただろう。
人の胸を借りて泣いたことなどないのだろうとわかる、切ない泣き方だった。
泣きたい日はたくさんあった筈だ。
自分と出会ってからも。
父親を亡くした時。
執行部に入れなかった時。
優秀過ぎる弟と比べられ、彼女の努力が報われなかった時。
母親が違うことで、肩身の狭い思いをしたこともあっただろう。
突然放り込まれた牢獄の中で、死を覚悟するような恐怖を感じただろう。
きっとその度に、こうやって俯いて、誰にも悟られないように泣いたのだ。
ごめん。
ギデオンは言葉に出さず、謝った。
そっとファリティナの手を撫でる。
一人にしてごめん。
自分こそが、泣いているあなたを抱きしめなければいけなかったのに。
泣かせることもできなかった。
純粋な好意を向けてくれていたあの時に、少しでもあなたに寄り添っていたら、あなたの苦しみを話してくれていただろうか。
あの時、あなたは守ってほしいと、訴えていたのに。
これから先の長い人生を歩む相手として、自分のことをわかってほしいと願っていたのに。
気づかずに手も握らなかった。
差し出した手を振り払われたように、あなたは感じたんだろう。
今の自分のように。
屈辱と羞恥と、失望を感じながら。
あなたが離れていったのは、その仕打ちに次の勇気がなくなったのだとわかる。返ってくることのない愛情を求めて、手を差し出す勇気がなくなったんだ。
次に振り払われる悲しみを思うと、早く諦めた方がいいと。
そっとファリティナの頭を撫で、自分の胸に押し付けた。
「…謝ることも、できない…」
ファリティナは苦しそうに言った。
誰に謝る?何に対して?
ギデオンは思う。
謝らなければいけないのは彼女じゃない。
彼女は懸命に救おうとした。
セリオンの反証を読めば分かる。
内臓に病を抱えていたらしい弟のために、食べやすいようにと工夫を凝らし、床につきがちのために抱き上げて散歩をした。
薬を探し、寂しがらせないように、高位の貴族としてはあまりしない同衾までして少しでも長く、共にいようとした。
引き離してしまったのは誰だったのか。
サイリウムから王都に戻ったのは、正式に休学の準備をするためだったという。
母親からの許可が出れば、すぐにでもサイリウムに戻るつもりだった。
あの時、自分がセリオンを呼び止めなければ。
ファリティナと一緒に家に帰しておけば。
あのような疑いを持たれずに、ファリティナは一目、弟に会えたのではないか。
短い生だと知っていただろう、哀れで小さな弟に。
哀れだった。
ファリティナも、幼い弟も。
声を殺して、小さな嗚咽を漏らしながら震えるファリティナを、ギデオンは抱きしめた。