43 訃報
セリオンは手紙を握りしめた。
ぐう、と胃の中からせり上がってくるものを感じ、慌てて手洗いに走り込んだ。
全て吐いて、口を拭う。
冷や汗が止まらない。
こんな知らせは欲しくなかった。
想像しうる中で、一番酷い結末だった。
ジェミニが亡くなった。
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エイデンはセリオンの部屋の扉を静かにノックした。中から返答はない。
昼間、どこからかの手紙を受け取って、セリオンは倒れた。
そのまま、一人にしてくれと周囲に言い渡し、部屋から追い出された。
今はもう夕方。あまりにも長い時間の拒絶に、侍従たちは気が気でない。
呼ばれるまで、立ち入らないべきなのだろうが、心配でたまらない。
呼びかけはせず、そっと扉を開き、中を覗くとセリオンは一人がけのソファにうなだれていた。
扉を閉めて、なるべく静かに近づいて、セリオンの前に跪いた。
「…セリオン様。」
ソファの背もたれに顔を半分隠すようにもたれかかったセリオンから返事はない。
目は開いていて起きてはいる。
明らかに憔悴した様子に、エイデンの胸が疼いた。
「…私に何かできることはありますか?」
何があったかは知らない。
サイリウムからの手紙だったということで、そちらに寄越している兄弟に何かあったのだろうとは想像が着いたが、セリオンからは何も語られなかった。
セリオンの濡れた睫毛が上下した。
涙を拭いたのだろう。瞼が赤く腫れている。
噛み締めた唇も腫れ、鼻をすすったのだろう、鼻の先も赤い。
虐げられた後のような、うな垂れた姿にエイデンは庇護欲が掻き立てられた。
普段のセリオンからは想像もつかない弱々しい姿。
エイデン=セド=シカファは先月、セリオンの侍従としてグランキエース公爵家に召し上げられた。
セリオンのことは入学前から知っていた。
セリオンの母親は父方の親戚であり、名前だけは家の中でも良く聞こえた。
グランキエースの神童と呼ばれる跡継ぎ。
類稀な明晰さを持つ輝かしい貴公子。
直接声をかけられることのない身分差であっても、貴族の子息同士の交流会などでは目で追っていた。
美しい少年だった。
華奢で色白で、背ばかり高くて。
少し俯きがちに微笑む様は、儚げだった。
正直、美し過ぎて、存在が異次元過ぎて気に入らないと思っていたことがあった。
前評判どおり、学院に入ってからも鬼才ぶりを発揮した。入学時からの飛び級。立て続けに出す施策研究の成果。
彼の周りには人が取り巻き、その真ん中で花のように微笑んでいた。
飄々として奢るのでもなく、華奢な姿ながら頼りなくもなく、凛としたセリオンに心を撃ち抜かれた。
そのセリオンが泣いている。
絶望に打ちひしがれ、自分の無力さに蹲って。
手を取って慰めたい衝動を、なんとか抑えた。
3つも年上であり、同じ学院生であったとしても、ここでは主従の立場。
雇われたばかりのエイデンは、セリオンの肩を抱けるほどの信頼も勝ち得ていない。
侍従になって、公爵家に部屋をもらい、常に侍るようになって。
セリオンにどんどん嵌っていった。
冷徹と言われる冷たい微笑から出てくる毒舌も、15歳と思えない冷めた慧眼も、セリオンの中性的な冷たい印象の美貌から繰り出される全てに心酔してしまった。
意外にも兄弟を大事にしている様にも、心を掴まれた。
いまこうやって、弟妹に何かしらのことがあったことに、我を保てないほどの衝撃を受けている。
学院で誰にも深入りしないセリオンの意外な情の深さに嫉妬さえ感じる。
「…明日になれば、元に戻るから。」
セリオンが弱々しく掠れた声で言った。
切れ長の美しい瞳から、一筋の涙が溢れた。
「今だけは、泣かせてくれ。弟のために…。」
ああ、やっぱり。
エイデンは落胆とともに思った。
エイデンが採用されてすぐ、セリオンは双子の弟妹を連れてサイリウムに行った。セリオンによく似た美しい弟妹だった。まだ10歳の彼らをセリオンはよく気遣い、ゆっくりさせてやれなくて済まない、と申し訳なさそうに眉尻を下げていた。
弟妹たちも聞き分けよく、座りぱなしの馬車に文句ひとつ言わず、セリオンに従っていた。
さすがは高位貴族の子息たちだと、その気立ての良さと行儀の良さに感心したものだ。
到着したサイリウムで、その双子の下にもう一人、4歳になる弟が滞在していたことを知った。
体が弱く、療養のためにモドリ城に滞在していて、兄弟たちは彼を見舞いに来たのだと分かった。
セリオンはたった1日の滞在で、慌ただしく面会の予定が入っており、ゆっくり過ごす時間などなかったのに、少しの間でも弟を見舞い、弟妹たちと過ごそうとしていた。
末弟の病は重篤らしく、部屋から出てくることはなかった。セリオンに予定の時間を告げるために訪れた時、セリオンに抱き上げられてベランダから海を見ていた小さな背中だけ知っている。
あの小さな弟君が、亡くなったのだとわかった。
「まだ、誰にも言わないでくれ。」
セリオンが唇を噛み締めた。
堪えきれず溢れた嗚咽だけが部屋に響いた。