40 闘うべきは
ギデオンのすぐ上の姉は南にある辺境伯に嫁ぐことになっている。
十数年前、独立国から属国に代わり、周辺国との軋轢の上、この国に組み込まれた。国の一部とはいえ未だ独立不覊の気運がある難しい土地だ。
王都と呼ばれるこの土地からも遠く、伴侶はまだ継嗣であるので、しばらくは伴侶とともに王都にある屋敷で過ごす予定だが、いずれは辺境伯夫人として離れていくことが決まっている。
サマーパーティから日を置かずして、姉と辺境伯継嗣との婚姻の式が執り行われた。
降嫁という形で王族を離れる姉は、これから先、王族に残るギデオンより、立場が下になる。
今夜は、彼女が王女として王宮の夜会に出る、最後の夜だった。
「ご成婚、おめでとうございます。ローゼ姉上。」
義兄と囲まれていた姉が、身内の方に一人離れてきたのを見て、すかさず声をかけた。
いくら兄弟といえど、こんな夜会の席で、主役に簡単に近づけない。
姉のローゼマリーは数日後、王宮を離れ、城下にある辺境伯の王都屋敷に移ることになっている。
この日まで学院のサマーパーティにかかりきりで、家族が一堂に揃うのはひと月ぶりだった。
「ありがとうございます。ギデオン。」
ローゼマリーは嬉しそうに返礼を受けた。
ローゼマリーと辺境伯継嗣アルペジオの婚約が結ばれたのは、一年前。
属国から正式に国の一部として取り込まれたのはいいが、周辺国の執拗な分裂攻撃は続いていた。
内乱状態が断続的に起こっていたが、王国としては経緯があるため、国軍を出しての鎮圧を躊躇していた。
数年前の大きな内乱の後、国は辺境に王族を寄越し、そこに国軍を増援し、教育体制を整えることに決めた。その旗印として、ローゼマリーは嫁ぐことになった。
それまでにローゼマリーの婚約がなかったのではない。すでにあった婚約は解消され、改めて結ばれた。
本人としては複雑だろうな、とギデオンは思う。
だが、決してそれを言葉には出せない。
辺境へ嫁ぐ気運になってから数年が経っていたので、前回、婚約を結んでいた相手は、すでに別の相手と婚姻を成している。
前回の婚約者と仲違いしていたわけではない。むしろ、学院でも仲睦まじく過ごしていたと聞いている。
それなのに、姉が嘆いていたという話は聞かない。
嘆いてしまえば、この決定をした両親も心を痛めるし、心中はわからないが前の婚約者も次の幸せを探せない。
これから婚姻をなす相手であるアルペジオとも信頼関係を築くのに時間がかかるだろう。
そんなことは簡単に想像がついた。
目先の利益だけを考えて、愛のない結婚はしたくない。
アマンダの言葉に怒りを覚えたのは、その立場に立つことのない、想像力の無さだった。
「おめでとう!ローゼ!」
ローゼマリーとギデオンに明るい声がかかった。
もう一人の姉、リラマリーだ。
4年前に降嫁し、現在は四大公爵家の一つ、マニレツネ家継嗣の妻となっている。
二人の姉は抱き合って喜びあった。
「ありがとうございます、お姉様。」
「幸せになるのよ、ローゼ。少し強面だけど、背が高くてカッコいい方ね。それに笑った顔は可愛らしいわ。」
リラマリーは内緒話をするように片目を瞑った。
「はい。いつも怖い顔をされているけど、実は優しい方なんじゃないかと思うんです。」
「そうだと思うわ。生きていく場所が難しいから、威厳のある態度でなければいけなかったのでしょう。」
そう言って、遠く公爵たちに囲まれているアルペジオを見た。
「あなたのような芯の強さがある女性なら、彼の孤高を理解できるわ。きっと。あなたには私たちが付いている。すぐに全てわかるなんてないわ。私たちだって今でも喧嘩するぐらいだもの。」
リラマリーの伴侶とは10年近い婚約期間があった。人生のほとんどを共に生きている。それでも分かり合えない時があるのだ。
「まあ、お姉様達がですか?」
ローゼマリーが驚いた。
マニレツネ公爵家継嗣夫婦の仲は良好だ。少々破天荒なところのある姉を、義兄は上手く手綱を握っている。幼い時から共にいるからこそ、それができるのだと思っていた。
「そうよ。子どもができてからは特に。守るべき者が増えると人間って変わるのね。」
リラマリーは明るく笑った。
「私たちを頼るのよ、ローゼマリー。そのために私たちがいるわ。そして伴侶を信頼なさい。貴方達の絆は二人で作るもの。必ず横にいなさいね。同じものを見るように。自ずと分かってくるわ。彼が何を考えているのか。」
「はい。お姉様。」
二人は手を取り合って頷きあった。
ともすれば豪快ともいえる快活な長女と、淑やかで常識的な次女。正反対のような存在だが昔から仲は良かった。
少し年の離れた兄姉なので、自分は知らなかったが、きっと沢山のことを話し合ったのだろう。とギデオンは思った。
仲の良い兄弟だった。ギデオンは遅れてきた末子だったが、その分可愛がられた。物心ついたときにはそれぞれに立場があり、自由にとは言えなかったがそれでもお互いを思い合い、交流も持っていた。
それが普通だと思っていたが、学院に入り身分ある家としては珍しく仲睦まじいのだと知った。全てとは言えないが、貴族の家の兄弟たちはお互いがライバルであり、関係も冷淡である。
グランキエースの姉弟も、学院にいるときにお互いのことを口にすることもなかった。
公式の行事の際は、さすがに隣り合ってはいたが言葉を交わしている様子もない。
だから、あの兄弟も希薄な関係だと思っていた。
この事態になって驚いたのだ。
セリオンがファリティナが拘束されたことにあんなにも怒ったことを。
学院の執行部も一様に驚いていた。
「ギデオン、あなたは大変なことになってしまったわね。」
リラマリーが、頬に手を当てて、ほお、とため息を吐いた。
「喜ばしい日の直前になってこんなことになって、申し訳ありません。」
ギデオンは頭を下げた。
「仕方ないことよ。起こってしまったものはしょうがないわ。でもね。」
リラマリーが眉を顰めて一歩近づいた。
「ファリティナ嬢はこれからもこの国の貴族の一員よ。この先、公爵家が彼女をどうするのかわからないけど、まだ若いあなたたちはどこかの社交場で会うこともあるでしょう。その時は出来るだけ冷静に行動してちょうだい。決して、今回のことを持ち出して悪感情を表してはダメよ。」
ギデオンは怪訝に姉を見た。
リラマリーはそっとセリオンのほうに視線を寄越す。
「あの公子は、間違いなくお兄様の治世を支える一人になる。グランキエースとの関係は作り直すことになるけど、彼を敵に回したくはないわ。姉弟の関係は、私たちよりあなたの方が詳しいでしょう?出来るだけ穏便に関係を持っていてね。」
「私は、別にファリティナ嬢に対して悪感情があったわけでは・・・。」
二人の姉は意外な顔をした。
「あら?では、どうして?」
ギデオンが言いよどんでいると、ローゼマリーは厳しい顔をして言った。
「噂は噂に過ぎなかったのね。道理であなたにしては悪意のあることをすると思ったわ。」
「私が、彼女を嵌めたとお思いだったのですか?」
ギデオンは不快も露に言った。
姉たちはお互いの顔を見合わせた。
「ファリティナ嬢が城下で噂通りの悪事をしているとは思ってなかったわ。だってたった15歳の子に何が出来るっていうの。学院の面白がった下品な噂だとは分かっていたけど。」
リラマリーは扇を持て遊びながら言った。
「本当のところ何があったのかは知らないけど、あなたには好都合だったのではなくて?」
リラマリーが言うとローゼマリーが頷いた。
「この機会をうまく使いなさいな。難しいとは思うけど、学院での成績とその後の活躍で将来は決まるでしょう。だけど、あの公子の機嫌は損ねない方がいいわ。今だって侮辱罪で反訴をしているのでしょう。ファリティナ嬢を切り捨てたとしても、グランキエースと禍根を残すとお兄様のためにならないわ。」
姉たちの言葉にギデオンの眉間の皺が寄った。
「何のことをおっしゃってるんですか?」
「まあ。ギデオン。そんな怖い顔をしないで。味方は少しでも多い方がいいでしょ?」
「おっしゃっている意味がわかりません。リラ姉様。私に好都合だなんて、どうしてそんなことを。」
ギデオンの声に怒りが篭った。
ファリティナを助けられない自分に憤りを感じていた。
ファリティナをあの状態に置いたのは自分ではない。そう思われていただけでも不快なのに、最初から切り捨てるつもりなんて。
「もちろん例の男爵令嬢のことよ。城下の噂は嘘だけど、学院内でのことは本当なのではなくて?だから、未だに拘留されているのでしょう?」
そう言ってもう一度セリオンのほうを見た。
セリオンは母親の公爵未亡人と挨拶に回っている。
本来ならばそこに長子のファリティナがいなければいけない。
欠席なのは釈放されていないのだ、と社交界では分かっている。
セリオンの言う通り、ファリティナが認めようと認めまいと、状況が作り出す現実が真実になって広まっている。
「違います。」
ギデオンは悔しく言った。
「ファリティナ嬢は黙秘しています。彼女は昨年1年間、ほとんど学院にいなかった。私の周りにも、執行部の周りにも姿を現さなかった。彼女がリージョン男爵令嬢を執拗に虐げる時間もなければ、動機もない。」
「階段から突き落としたのでしょう?」
「そこも何の証拠もありません。確かに人気のなかったところだが、彼女には動機がないんです。」
姉たちは怪訝な顔をした。
「動機ならあるじゃない。婚約関係にあったあなたの寵を奪った憎い女。それだけで十分よ。」
ギデオンは黙って俯いた。
自分もそう思っていた。
ファリティナは自分に好意を寄せていた。だから、嫉妬して凶行を犯した。
でも、それまでにそんな素振りはあったのか。
ほとんど自分に近寄らなかったファリティナ。
パートナーとして出席できる機会を自ら放棄し、アマンダとの噂を耳にしながら詰ってくることもなかった。
ギデオンの耳に入ってくるのは、ファリティナのことをよく知らない、噂を信じた者の言葉だ。
「…あなたには悪いけど、ファリティナ嬢は気の毒だと思っていたの。」
ローゼマリーが少し暗い声で言った。
「あの子はわかりやすくあなたに好意を持っていたし、そんなあなたは学院で他の恋人を作った。居た堪れないだろうな、と。しかも、あんなどこが根拠かわからない噂をたてられて。」
「私たちは多少あの子のことを知っているから、そんなことできる筈も無いと分かっているけど、学院の有象無象ではそうじゃない。学院に現れないことをいいことに、好きなように囀ったのね。きっと。」
ぱしん、とリラマリーが扇を強く閉めた。
「格が知れるってものだわ。可哀想に。あの公爵代理では噂を止めることもできない。学院生がそこまで分かっていたとは思えないけど、やることが下劣だわ。」
リラマリーは怒りを含んだ目でギデオンを見た。
「言いたくなかったけど、あなたにも責任はある。恋に落ちるのは仕方ないにしても、ファリティナ嬢に不誠実だった自覚はあって?」
「・・・恋など、していません。私はリージョン男爵令嬢にそんな気持ちを、持ったことなど無い。」
リラマリーは目を見開いた。
「今更、何を言ってるの。ファリティナ嬢が起こした事件は全てはそこが原因でしょう⁈」
「・・・・・・」
リラマリーはため息を吐いた。
「これはちょっと、やばいわね。」
「奥様、お言葉が。」
「やばいものは、やばいわ。もしファリティナ嬢が、本当に冤罪だとしたら今の状況は見過ごせないわよ。グランキエースには何が起こってるの?セリオン公子はどこまでこれをわかってるの?」
「セリオンは。セリオン公子は、最初からファリティナ嬢は無罪だと。拘束された告発状には反証を提出しています。」
「その上、侮辱罪で反訴したわけね。それでも冤罪を晴らすどころか釈放もされてない。」
リラマリーは首を振った。
「婚約が解消されてしまったのだから、王室が動くわけにはいかないわ。グランキエースはどこと戦っているつもりなのかしら。」
リラマリーが重くため息を吐いた。