4 夜会で分かったこと
今回の夜会はデビュタントを兼ねるため、若い世代も多く参加している。
会場の広間に入る前に、ファリティナはパートナーの王子と合流した。
「やあ、ファリティナ。今宵もご機嫌麗しく。」
婚約者のギデオンが恭しく頭を下げるので、ファリティナも淑女の礼をしてその腕を取った。
「なんだか、久しぶりだね。同じ学院に通っているのに、なかなか会えないね。」
ギデオンが優しい声音で言った。
嫌味か。
ファリティナは柔らかく微笑みながらギデオンを見た。
同じ年に生まれたギデオンは、今年見事に執行部に指名されている。
濃い金髪と濃紺の瞳をした美少年の婚約者は、少々気が弱いと思われるほど優しい。
かつてはその優しさが自分に対する愛情だと錯覚していたように思う。それは一方的な思い込みで、よく考えるとギデオンの元々の性格なのだ。
彼は誰にでも分け隔てなく優しい。
お互いの利益を追求する貴族と一線を画し、王族は公平性を重んじる。そのように教育されているのだ、と王子妃教育の一端を知るファリティナは今更ながら気づいた。
優しいギデオンは執行部から漏れたファリティナを蔑んだりしないし、奮起させたりしない。
入学してから関係を深めようと、躍起になっていたのはファリティナだけで、執行部に選ばれ他の生徒より忙しくなったギデオンは、婚約関係が希薄なことに困ったりしてないし、むしろ気づいてもいないかもしれない。
そう思うと、ファリティナの心の奥底は冷たい水が広がるように感じた。
この歪が、いつしかあの悪夢のような結果を招くのだろうか。
「今夜は学院の執行部のみんなも招待されているんだ。あとで紹介するね。」
ギデオンに言われて指された方を見やると、見かけた顔触れがあった。
王宮に参内できるほどの高位の貴族は人数もしれている。執行部のほとんどは名前と顔が一致するほどの顔見知りであるが、何人かは成績の上位のため指名された下級貴族もいた。
その中に件の男爵令嬢を見つけ、ファリティナは、す、と目を細めた。
男爵令嬢はファリティナを見つけるとまっすぐに見つめ返してきた。
その目の圧力の強さに、ファリティナは一瞬怯む。
礼節を欠くほどの不躾な視線にファリティナは思わず、歯を噛み締めた。
「ファリティナ嬢?」
ギデオンが柔らかく呼びかけた。
ファリティナは、は、と意識を戻す。
今の一瞬の火花は、間違いなく見られてしまっただろう。
気づくと執行部の顔見知りたちも興味深そうに、ファリティナを見ていた。
「はい。殿下。あとでご挨拶しとうございます。」
「うん。みんな、気の良い人たちだ。将来私たちを支えてくれる気概がある。失礼のないようにね。」
最後の一言にファリティナは思わず笑ってしまった。
どうやら自分は随分と教養のない人物に思われているようだ。
そんなことを今までした覚えはないが、婚約者となって2年の付き合いで目につくところがあったのだろう。
はい、殿下。
とファリティナは素直にうなずいてますます笑みを深めた。
セリオンといい婚約者といい、顔見知りの高位子息たちといい、随分、見下されたものだ。男爵令嬢のあの表情は、周りの友人たちの風評を真に受けてのことなのだろう。
腹は立つが不思議とギリギリとした焦燥感はなかった。自分を不本意に貶めるあの集団の中に入りたいとは思わない。
自分が会いたいのは…。
ふと、ジェミニの小さく柔らかい手の感触を思い出し、ファリティナはたまらなくジェミニに会いたくなった。
ジェミニを思い出すと、この侮辱も蔑みもどうでも良くなった。
負け犬でも良い。
早く帰って、あの子にお気に入りの絵本を読んであげたい。今日は夜会で寝かしつけにこれないことを告げると、珍しく拗ねて侍女たちを困らせていた。
ねえさまが帰るまで待ってる、と拙い言葉で駄々をこねていた。もしかすると、本当に寝ずに待っているかもしれない。
そう思うとこの場で起きている全てのことがどうでも良く思えて、一刻も早く帰りたかった。
夜会の開会を宣言する国王と宰相の訓示のため、ファリティナたちは所定の場所に整列した。グランキエースに指定されたテーブルに腰掛けると円卓の向かい側に、母である公爵夫人とそのパートナーであるガヴル子爵が座った。
ガヴル子爵は母とは昔馴染みになると聞いた。2年前に父が他界し、セリオンが正式に後を継ぐまでの代理として母は公式の場に出るが、その際のパートナーはその時に応じて変わっていた。
だが、最近では彼に固定されている。愛人なのだろうと噂されている。
正直、ファリティナにとってはどうでも良いことだった。天才と名高いセリオンは学院の卒業と同時に、正式に公爵となるだろうし、その後のことは母が好きにすれば良い。子爵は既婚だと聞くが、社交界の不倫関係は珍しいことはなく、また母のほうは未亡人で高位だ。グランキエースがこの関係によって破綻するとは思っていなかった。
ただ、この一瞬までは。
ファリティナはガヴル子爵を驚愕と共に見つめていた。
似ている。
ジェミニとあまりにも似ている。
波打つ栗色の髪も、特徴的な鷲鼻も。瞳の色こそジェミニは母ゆずりの翠だが、顔全体の作りはガヴル子爵の血を引いていると間違いなくわかる。
まさか!
ファリティナはガヴル子爵から目を逸らし忙しく考えていた。
ファリティナたちの父親である先代のグランキエース公爵は亡くなるまで半年ほど病で苦しんでいた。亡くなったのは2年前。その少し前から床に就いていたことを考えると、ジェミニに面会したのは数えるほどだっただろう。
父は気づいていたのだろうか。
母親とガヴル子爵が父が亡くなる前から関係があったとしたら。
ジェミニは不義の子だとしたら。
あまりにも背徳的な考えにファリティナの手が震えた。
父が亡くなっていてよかった。
もし生きていれば、ジェミニは母共々公爵家を追い出されていただろう。
少し前のファリティナであれば、なんとも思わなかったことだろうが、今となってはファリティナの生存意義を覆すぐらいの衝撃だった。