37 サマーパーティ4
セリオンは、張り出したベランダで涼むギデオンを見つけた。
「殿下。」
ギデオンは何人かの執行部員と宵闇を楽しんでいた。
「やあ。セリオン。」
「盛況ですね。サマーパーティのご成功、おめでとうございます。」
セリオンが執行部たちに恭しく礼をした。
「ありがとう。セリオン。君のおかげだ。」
「まさか。執行部に選んでいただいたというのに、私事を優先するわがままでご協力できずに申し訳なく思っております。」
「いや、君が休学していたら、先輩たちはこれほど来てくれなかった。忙しいだろうに考え直してくれてありがとう。」
ギデオンの素直な気持ちだった。
この場に居並ぶ執行部員たちには、妬みや異論をもつものもいるだろう。
だが、これが現実だ。
セリオンが参加しなければ、賓客は半分程度。寄付金もこれほど集まらなかっただろう。
彼らは次期公爵のセリオンに会いに来ているのではない。
鬼才セリオン。
新しい視点と手法で、国の礎となるものを造り替えようとするその手腕に注目している。
その尖った天才が本物か。鬼が出るか蛇が出るか、それを見極めるためにわざわざ学院に足を運んだのだろう。
妬み嫉みよりも、彼の側にいることで利の方が勝つ。
実際に昨年度、セリオンと組んで共同研究を行った先輩たちは、それぞれ一流の機関に引き抜かれた。
彼の論文に連ねて名前が載れば、将来が明るい。
それに、卒業した先輩たちをパーティに呼ぶことは、セリオン以外の生徒たちが先輩たちと知り合う機会となる。
自分たち執行部は存分にセリオンを利用したのだ。
「自分自身のためでもありますから。いろんなところに時間を割けないので、今年は昨年ほどの研究成果はあげられないと思います。」
「もうすでに一つあげているじゃないか。普通だったらそれだけで、進級できる。」
今学年が始まって、すでにセリオンは研究論文を提出していた。
通常ならば、それだけで進級要件を満たす。
そして、その内容も秀逸だった。
生糸に染色を施す方法。
今まで白しかなかった生糸は、その後、木綿の刺繍糸で刺繍を入れることで、華やかさを出した。
だが、せっかくの生糸特有の軽さが少しばかり重くなる。
それでも絹の光沢は優れ、今では重要な輸入品だ。
その生糸に色をつける。
成功すれば刺繍などではなく、染色そのものや、織り方によって表現の違った絹織物が出来上がる。
画期的な研究だった。
そして一部成功し、すでに商品として出回っている。
売り出したのはサイリウム伯爵。
皇国から仕入れる生糸に色をつけ、独自の特産品として王都に売り出している。
美しい光沢をもつ赤い絹織物は、社交界の貴婦人方の目を惹き、手に入りにくい逸品として人気が出始めている。
それをグランキエース公爵未亡人が身につけた。
美貌で亡き公爵を落としたと言われるほどの美女は、美容や服装の流行を作り出す。
一大産業の創設の兆しがあった。
「生糸なんて、グランキエース領で生産していたか?新しく生産に成功したのか?」
「グランキエースが出しているのは、生糸に色をつける触媒です。木綿に藍や緋色をつけるとき、植物の灰である草木灰を使いますが、生糸につけるときは鉱石を含む泥などを使います。触媒にする泥の成分によって色が変わってくる。グランキエースのゼノ山脈一帯で取れる土で試しました。」
「よく気づいたものだ。触媒に泥を使うなんて。」
執行部員の一人が言った。
絹は白いもの。常識であったのにその常識を覆した。
薄くて軽い絹は服飾だけでなく、医療や装備品などにも需要がある。
研究していけば新しい技術を作り出せる。
「始めは、姉が気づいたんですけどね。」
セリオンは、微笑んで言った。
「ファリティナ嬢が?」
「ええ。ですが姉は実験や共同作業が苦手なので、私が奪い取ったってわけです。」
セリオンはわざと偽悪的に言った。
ファリティナの着目点は意外にも良い。
鉱石を食べた蚕が赤い糸を吐き出すことに目をつけたことといい、皇国からの鉱石の質がグランキエース領のゼノ山脈と同等ということに顔色を変えたことといい、ファリティナが意外にも幅広い分野に造旨が深いことがわかる。
悪評を嘯く者共が思っているほど、ファリティナは愚かでも浅慮でもない。むしろそう思わせている節がある。
セリオンもファリティナの表面だけを見てそう思っていた時期があったぐらいだ。
道化を演じなければ、やり過ごせないこともある。望んでいない権力を持たされたときは、特に。
「ギデオン殿下。」
セリオンはギデオンに呼びかけた。
「今、少しだけお時間をいただけますか?もう少ししたら、退席させていただかないといけなくて。」
「え?帰ってしまうのかい?セリオン殿。」
執行部員が残念そうに言った。
ダンスの時間は始まったばかりだ。
卒業した大人だけでなく、学院の生徒もこの機会にセリオンと近づきたいと思っている。
「紹介を頼まれていたんだが・・・」
セリオンの人気が上がるにつれて、近づく機会はなくなっている。最近は学院に現れないので、まさに高嶺の花状態だ。こんなくだけた席でないと接点のない生徒は近づくことさえできない。
「申し訳ありません。この後、宰相閣下のサロンに呼ばれていまして。」
宰相もこの学院の卒業生。
宴会に本人は参加していないが、宰相の遣いが寄越され、寄付金も収められている。本人が参加できなかった分、サロンで会うことになっているらしい。
戸惑いと羨望の想いを背中に受けて、ギデオンとセリオンは、執行部員から離れた。
距離を詰め、小声でも聞こえるように少し体を寄せる。
ダンスホールからチラチラと熱い視線が寄越された。
甘い笑顔と優しい物腰のギデオンと、怜悧という表現がぴったりの涼やかな美貌のセリオンは、現在、在籍している学院生の中でも一番の美形だ。
その二人が会場の暗がりに寄り添っている姿に、あらぬため息が漏れた。
「昨日、母とともに、陛下に姉との婚約解消を進言しました。」
セリオンが小さく、はっきりと告げた。
ギデオンは、瞠目してセリオンを見た。
「・・・なぜ。そんな。ファリティナ嬢は罪を犯していない。そんなことをしたら、彼女が罪人と認めてしまうことになる!」
「姉が拘束されてから一カ月が経ちます。罪を認めていなくても、罪人とみなされ拘束されているのは確か。釈放もされず捕らえられていることは、すでに社交界にも広まっています。この先、冤罪を晴らしたとしても、何かしらの瑕疵があったと噂されるでしょう。」
ランタンの薄明かりがセリオンの美貌に陰影を落とす。無情にも思えるほど、凪いでいた。
その冷たい表情に、ギデオンはゾッとした。
「これ以上の婚約関係はあなたにも、そして王家にも悪影響です。姉が凶行を犯したとは思っていませんが、そのような人物であると印象づけられた以上、王家の一員として迎えるには難があるでしょう。」
公平で品行方正であること。
そうあるべきだ、とギデオンも教育を受け、努力してきた。
外側から嫁ぐ妃が、嫉妬深く、他者を傷つけるような人物であってはならない。たとえ噂であってでも、苛烈な性格だと思われれば、祝福はされにくい。
だけど。
ギデオンは血の気が引いた。
ファリティナが婚約者でなくなってしまう。
本当の彼女のことを知らず、知ろうともしなかった自分のせいで、彼女は貶められ取り返しのつかないことになってしまう。
「・・・ファリティナは、どうなるんだ。悪評のある令嬢だと言われたままで。」
「仕方ないでしょう。一週間ほどであれば、何かの間違いだと思うこともできますが、ひと月。間違いで済む日数ではない。誰かが、何かの形で落とし前をつけなければいけない。」
「それが婚約の解消だというのか?私は望んでいない!そんなこと!」
「・・・この婚約はあなた方の想いでなったものではありません。」
セリオンの声が固く変化した。
ギデオンは思わず息を飲んだ。
「ガゼリの権益については、また一からの話し合いになるでしょう。私共は姉が罪を犯したと思っておりませんので、償いとしてお渡しすることはできません。ですが、グランキエースは王国の盾たる公爵家。王室に損失を与えることは望みません。」
固まるギデオンにセリオンが優雅に頭を下げた。
「このようなことになり、申し訳ありませんでした。ギデオン第二王子殿下。これにてグランキエースとあなた様の縁は遠くなりますが、王室を支える一臣下としてこれまで通り仕えさせていただきます。これからもご清祥であられることをお祈りしております。」