36 サマーパーティ3
「パレルト伯爵令嬢、ダンスにお誘いしてもよろしいですか?」
セリオンは、人波を掻き分け、パレルト伯爵令嬢パトリシアに声をかけた。
パトリシアは、にっこりと笑い、セリオンの手を取った。
パトリシアには少し前に出席した夜会で引き合わされた。
他国の貿易商が多く参加する夜会で、外交を得意とする公爵家パレルト家の当主に声をかけられた。
公爵の孫になるパトリシアも公爵とともに参加しており、同じ学院生であると紹介され、ダンスを勧められた。
次期公爵が決まっていながら、婚約者のいないセリオンには、婚約の打診は降るほど来る。
その中で一番有力なのが、パレルト家だ。
身分は同等。内政のグランキエースに対して、外交のパレルト。組めば、これ以上ない勢力となる。王家さえ抑え込める権力がある。
生き残れ、とファリティナは言った。
たとえ傀儡になってでも、生き残れ。生きてさえいれば、笑える日が来る。セリオンの才能を返り咲かせる日が来る。
ファリティナの言う通りだ。
とセリオンは口惜しく納得した。
グランキエースは張りぼてだった。
一大派閥家の長子が不十分な嫌疑で拘束されても、救出のために自ら動き出す家はどこにもなかった。
公爵代理の母はおろおろするばかりで、派閥家のどこかに相談し、刑務省や王宮に圧力をかけることもせず、どこかに働きかけている様子もなかった。
セリオンが誣告だ、と主張するのに同調するだけで、ファリティナを救い出すためにどうすればいいのか真剣に動いていることはない。
セリオンも手をこまねいていた。
ファリティナが言うように、セリオンはまだ学生で何の権限も無い。
いくら母が譲位する気満々で、セリオンを頼りにしているからと言って、まだ15歳の学生には何のツテもない。
使えるのは、鬼才と歌われるセリオンの評判だけだった。
「素晴らしい夜ですわね、セリオン様。」
パレルト伯爵家パトリシアは、自信に溢れた少女だった。
ファリティナと似ている、とセリオンは思った。
ファリティナも夜会に出た時は、こんな風に自信に溢れた顔をしていた。高慢にも見えるすました顔で、扇で顔の半分を隠し、目だけで何か訴えるような、そんな表情をしていた。
「ええ。パレルト伯爵令嬢。学院のサマーパーティは初めてでしょう?楽しんでおられますか?」
「もちろんですわ。学院に入ってできたお友達とも参加できて嬉しく思います。なかなか同じ社交場に出られない方も多いので。」
まあ、そうだろうな、とセリオンも思う。
パトリシアの父は、現在伯爵とはいえ、公爵の継嗣。扱いは公爵家と同等になる、
公爵家出席の宴会となれば、伯爵家以上。良くて成功している貴族家でないと招ばれない。
学院はその点、貴族であれば家柄は問わないことが明記されている。
この箱庭の中であれば、身分にとらわれず実力で競うことが目的だからだ。
一番下の男爵家から王族まで等しく付き合えるのは、この学院の中でしかない。
「今年は特に卒業された先輩方も大勢、参加されていらっしゃるとか。セリオン様の御名声のおかげですわね。」
パトリシアは、ほほほ、と踊りながら器用に笑う。
「まさか。王子殿下の御功績ですよ。今年の執行部はギデオン殿下が束ねていらっしゃいますから。」
「そうおっしゃいますけど、人の動きは確かですわ。セリオン様には近づくのも大変なくらい、囲まれておりましたもの。お声をかけていただいて助かりました。お約束していただいたとはいえ、あんなに囲まれていらしたら、わたくしから声をおかけするのは憚られますわ。」
ああ、よく似てる。
セリオンは笑いを噛み殺した。
社交場でするファリティナの会話にそっくりだ。丁寧な言葉遣いとおっとりとした話し方で、それでいて自分と相手の立ち位置をはっきりさせる押しの強さがある。
彼女も身分を背負った、立派な公爵令嬢だ。
その高慢に見える淑女の仮面の下に、どんな素顔が隠されているのだろう。
ファリティナはどこかとぼけていて、実は現実を見据える強さを秘めていた。自己本位に見えて、本当は愛情深く自己犠牲を厭わない。
決して勤勉とは言えない。むしろ怠惰でいい加減だ。その鷹揚な感じも、セリオンには愛おしく思える。
この国の四大公爵家の一人、パトリシア=パレルトはどんな女性なのだろう。
セリオンは甘く笑いかけた。
「あなたが私の名前を呼んでくださるなら、すぐにでも駆けつけますものを。」
パトリシアの頬が、さ、と染まった。
その初心な反応に、手応えを感じる。
グランキエース公爵家の醜聞を打開する手がないことを見抜いて近づいてきたのは、パレルト公爵だった。
後ろ盾がないセリオンにパトリシアを娶せることで、グランキエースの実権を握ることができる。
いかに鬼才と言われても、まだ15歳。
パレルト公爵は、グランキエース領地の不正の共犯であるガヴル子爵が属する派閥の頭首。
ジェミニのことまで知られているかどうかまで確認はできないが、母とガヴル男爵の関係は知っている。
不正の件を匂わせることはなかったが、セリオンを誉めそやし、パレルトに与することで利があると割と直截な言葉で迫っていた。
パレルト公爵の野心がどこに行き着くのか知らないが、パトリシアとの婚約を断った場合、ファリティナが怖がっていた通りの没落が簡単に予想できた。
すれ違いざまに違うカップルの距離が近くなり、セリオンは、す、とパトリシアの背中に手を回し方向を変えた。
けっこう、ギリギリな距離で交合し、相手を見ると第二王子とリージョン男爵令嬢だった。
王子がダンス中の礼儀に則り、目礼してきたので、セリオンも返した。
「・・・セリオン様のお姉様は。」
第二王子と男爵令嬢のカップルを見送りながら、パトリシアが口を開いた。
「昨年も参加なさらなかったとか。」
ええ、とセリオンは短く答えた。
「わたくしも昨年来お見かけしたことがありません。セリオン様は、お会いできてますの?」
「それが。最近はあまり会えなくて。」
なぜ、とは、パトリシアは、聞かない。知らない筈がない。
パトリシアは、眉尻を下げて同情的な表情を浮かべた。
「そうですか。早くお元気な姿を拝見したいですわ。」
「・・・姉に、同情してくださるのですか?」
セリオンの言葉にパトリシアは顔を上げた。
「お立場の難しさは、理解しているつもりです。」
ふうん。とセリオンは心の中で感心した。
悪評のつきまとうファリティナの真実を、彼女なら少しは想像しうるのだろう。
もし、ファリティナがギデオン第二王子の婚約者でなければ次に候補になるのは、パトリシアで間違いない。
少し年の離れた兄王子の生誕に合わせて、どの有力貴族も子を作った。だから、ギデオンに釣り合う年ごろの主要貴族は限られる。
もし、ファリティナでなくパトリシアが第二王子の婚約者だった場合、王子とアマンダ=リージョンの恋仲の噂で胸を痛めたのはパトリシアだった。
ファリティナの立場を自分自身に置き換えて想像するくらいの知性は持ち合わせているらしい。とセリオンは値踏みする。
なるほど、ファリティナに似ている。正しく躾けられた公爵令嬢だ。
「セリオン様の胸中もお察しいたします。もし、できることがあれば、どうぞパレルトを頼ってくださいませ。祖父も父もあなたを高く買っております。」
パトリシアの頬が緊張で強張っていた。本日の彼女の目的はこの一言なのだろう。
セリオンは少し弱々しく見えるように眉尻を下げた。
「・・・なにもかも、ご存知なのですね。」
パトリシアの手が触れ合ったセリオンの手を、きゅ、と握った。
ファリティナが拘束されていることは公然の秘密だ。
学院内で知らない者はいないし、既に社交界でも浸透しつつある。
その原因となった第二王子と恋仲の男爵令嬢との確執も、実しやかに流れている。
だが、セリオンがそれに手をこまねいていることは、あまり知られていない。
ファリティナが拘束されてから既に一月が過ぎたが、未だに面会も叶わない。
セリオンの面会の申し入れは無視の形で放置され、公爵代理の母はそのことについて抗議しない。
抗議することによってファリティナの悪事が暴露されてしまう、と恐れているのだ。
面会や釈放が叶わないのは、実際に罪を犯したからだろう、と。
セリオンはファリティナの無罪を信じているが、母親はそうではないのだ。そして現在、王宮の議会に出て、国王陛下に謁見する権利を持っているのは、公爵代理の母だ。
今、セリオンにできることは、荒れた公爵の領地を整理し、自分が公爵位を継いだときに足をすくわれないよう塵を排除することだ。
それが、ファリティナを救い出す手立てになる。
「ありがとう、パトリシア嬢。そう言っていただけると少し希望が持てます。 私は若輩者で、まだ現実の荒海を知らない小僧です。ですが、あなたのように賢く美しい方にそう言っていただけると、励みになる。」
音楽が止まった。
一曲目のワルツが終わった。
「近いうちにお屋敷にお伺いさせてください。先日来のお父様からのお申し出も、お返事させていただきます。」
そう言ってセリオンは、パトリシアの指先に恭しく口付けた。
婚約を引き受けよう。
パレルトがグランキエースの財とセリオンの才能を狙うなら、セリオンはファリティナと兄弟たちの幸せを願う。
そのためには多少の毒は飲み込んで見せよう。
鬼才セリオンと呼ばれたからには、パレルトに築いた脈は存分に使わせてもらう。
それが正しく政略婚というものだ。
セリオンは美しく笑った。