34 サマーパーティ1
貴族学院のサマーパーティは、創立以来の伝統のある行事だ。
現在、流行の有名人を呼び、直接の交流会やチャリティのコンサートが開かれ、ダンスも催される。
卒業生も呼ばれ、今の政治や経済を動かす錚々たる面子が揃う一大行事だ。
卒業した大人たちにとっては、若い才能に直接声をかけ、人となりを確認する青田買いの機会だ。
今年のサマーパーティの主役はセリオン=グノール=グランキエースに決まっている。
特に、政治の中枢とは少し外れた分野の人間になると、身分が大きな壁になり、この身分差を気にしない学院の行事でない限り、声をかけることができない。
彼は学生でありながら、この国を代表する貴族の大名を継ぐことが決まっている。
公式の行事で、席を連ねることはあるが、その場は高位貴族の一員として出席しているので懇意にできるのは同じ身分の者同士。
社交場の夜会には、まだ若いこと、学生の本分が忙しいことであまり出ることはない。
彼が学院で打ち出す施策は、研究と名がついているが、目を惹くものだ。その分野は幅広く、地味な人口動態の調査から新しい収税権の提案、新規振興の商売など、どれも既存の勢力を築いている大人たちを唸らせるものであった。
だから、この時がチャンスなのだ。
セリオンのまわりには、十重二十重に人が取り巻いている。
ギデオンはそれを複雑な思いで眺めた。
「殿下。招待客の入場を終わらせました。」
受付を担当していた執行部員が、ギデオンに報告に来た。
「ありがとう。ご苦労だったね。」
「去年以上に出席率が良くて、お土産が足りるかヒヤヒヤしました。なんとか間に合いました。」
今年は特に、セリオンが参加する最後のパーティになるかもしれない、と噂がたち、直前になっての招待出席の返事が増えた。
セリオンが休学して公爵位継承の準備に入るとの噂は、すぐに社交界に広まった。
爵位を継ぎ、正式に公爵になると今以上に彼に近づく機会はなくなる。焦った先輩たちは、日程をやりくりして出席の返事を出してきた。
「寄付金も去年以上に集まりました!最高記録かもしれませんね。頑張った甲斐がありました!」
アマンダが上機嫌で言った。
ギデオンはにっこり微笑んでうなづいた。周りの執行部員は、次々とアマンダに同調した。
アマンダは寄付金に応じて、学院の施策研究のレポートを送る案を提案した。学院が経営に関与している福祉作業所の小物製品をつけることや、優先的に学院生をアルバイトに斡旋することのアイデアも出した。
たしかにアマンダは積極的に執行部に参加し、働いてくれる。
だけど、寄付金の収益増加も、サマーパーティが注目されるのもセリオンありきだ。
セリオンはファリティナの言葉を聞き入れて、休学を取り下げた。
だが、執行部は多忙を理由に辞退した。
休学を取りやめてくれただけでも、ありがたかった。
サマーパーティより前にセリオンが休学していたら、この成功はなかっただろう。
ギデオンはまた、複雑な思いを募らせる。
セリオンの盾になる。
ファリティナはそう言って休学を取りやめるようにセリオンに願った。
ここにいれば、彼の才能を買っている大人たちが彼を守ってくれるのだろう。
だけど。
ファリティナはそういう意味で言ったのだろうか。
ファリティナはこんな光景を見たことがあったのだろうか。
昨年、ファリティナはサマーパーティに参加しなかった。
これだけ大きな行事だというのに、欠席して領地に帰ったのだ。
たしかに彼女ならば、今更社交界に顔を繋ぐ必要はない。
彼女にはすでに十分過ぎるほどの地位が与えられているのだ。
それに、こんな子供たちが知恵を絞ったパーティなどより、もっと品格がある宴会や、豪華な顔触れの宴会にいくらでも参加できる。
だが、少し前からファリティナは夜会どころか社交場に全く顔を出していない。それは同じような境遇で、同じような招待状をもらうギデオンならわかることだった。
ファリティナはずっと、病弱な末弟のために付き添っていた。
食が細い弟のために毎朝自ら果物を剥き、すりおろして食べやすくし、天気が良ければ抱き上げて庭を散歩した。
体力のない弟は日に何度も昼寝をするが、その時間を縫って学院の課題をこなし、弟のために滋養のつく食材を研究した。
セリオンが反証として出したファリティナの生活はそのようなものだった。
屋敷の使用人からの証言がほとんどだが、具体性と一貫性があり、ファリティナが懸命に尽くしていたことがわかる。
昨年、この時期に領地に戻ったのも、弟のために薬となるものがないか探しに行ったらしい。
生薬の一大産地として名高いグランキエースだったら、何かヒントになるものはないか、と領地屋敷で何人かと面談している記録があった。
賑やかな音楽、着飾って頬を染める紳士淑女の卵たち。
世間から期待され、お互いを認め合って切磋琢磨するこの恵まれた学院で、青春を謳歌する友人たちの中に、ファリティナはいない。
去年のこの日、ギデオンも宴を心から楽しんでいた。
史上最高な寄付金を集め、ギデオンとセリオンを目当てに今までにない豪華な著名人が集まった。
第二王子が在籍しているこの期間は、何年かぶりの輝かしい時代と謳われ、生徒たちもやる気に漲っていた。
ギデオン自身もその成功が誇らしく、自信になった。
だけど、その影で。
婚約者のファリティナは何をしていたのだろう。
年相応の遊びも知らず、気安い友人も作らず。
無礼講だと許可した自分の誕生会でも、彼女は礼儀を崩さなかった。
学院内であっても、公爵令嬢としての品位ある所作は崩さなかった。
それは、弟のセリオンも同じ。
同じように礼儀は崩さずにいても、人に囲まれたセリオンと対照的に、忌避され存在がないものかのように扱われたファリティナ。
どうしてこんなことになってしまったのか。
これがあなたの望んだことだったのか。
友人たちのとの楽しい語らいや、楽しい催しを一緒に体験することを捨てて、小さな弟を寂しがらせないように付き添っていた。
あなたは、寂しくなかったのか。
ファリティナを憐れに思ったのは初めてだった。
会場の音楽が、ワルツを奏で始めた。
ダンスの時間らしい。
ギデオンを取り囲んでいた執行部員が、アマンダとのダンスを勧めた。
ギデオンはアマンダに手を差し伸べた。
この場で一番の高位はギデオン。
彼が踊り出さなければ、ほかの人たちも踊れない。
それは社交場の不文律だ。
アマンダは頬を染めて、軽やかに礼をした。
ゆったりとしたワルツに溶け込んで、アマンダが夢見るように言った。
「みなさんが楽しそうでよかった。本当に夢のようです。」
学院の大きな講堂は花々で飾られ、王宮から借りた異国模様の絨毯が敷き詰められている。
王宮ほどではないにしろ、低位貴族家では体験できないような華々しい雰囲気の宴だ。
学院に入るまでは爵位など名ばかりのようだったと言っていたアマンダにとっては、本当の舞踏会のようだ。
何度か王宮で開かれた社交の夜会に誘ったが、その時はガチガチに緊張して、可哀想だったほどだ。それに比べれば同じ年代の少年少女の集いは、楽しめるだろう。
ファリティナは、こんな会に参加したことがあっただろうか。
また、ファリティナのことが浮かんだ。
自分の誕生会には毎年参加していた。誕生会を、本格的な社交の場として主催したのは今年が初めてだった。
それまでは、王宮のしきたりに則り、王子の誕生会として縁ある要職たちが集められた畏まった会だった。
そんな中でもファリティナとセリオンの姉弟は浮くことなく、公爵家の子女としてふさわしく振舞っていた。
変わったのは、自分の方だったのかもしれない。
ギデオンは思った。
ファリティナは変わらなかった。
学院にいても、王宮にいても、必要な社交の場にいても、グランキエースの長子としてふさわしい振る舞いをしていた。
悪評がたっても表だって騒ぎ立てることなく、婚約者の自分の不貞を疑っていても衆目の場で詰ることもなかった。
平等を謳う学院内においても、王族の自分を立て、理不尽で冷酷なあの手紙も言葉通り従った。
アマンダを突き落としたと言われるあの日、廊下でファリティナとセリオンを呼び止めた時、ファリティナは礼に則って、俯きがちに頭を下げていた。
話しかけるな、近づくな、と自分が送ったから。
心が軋むように痛んだ。
本来の身分ならあんな礼はいらない。
彼女はあの場で自分に次ぐ高位であり、自分の未来の伴侶。
それなのに、ただの側近でしかない低位の貴族たちに頭を下げたのだ。
どんな気持ちで。
ギデオンは思わずため息が出た。




