33 あなたの盾
「まあ。もしかしてわざわざ作ってくださったんでしょうか。申し訳ありません。」
ファリティナが頭を下げた。
「そんなに、畏まらないで。何か不自由をしていることはないかい?出来る限り用意するよ。」
ギデオンが言うと、ファリティナは少し驚いたように、目を見開きギデオンを見た。
ギデオンは居心地悪く、目をそらした。
「本当ならここから出たいだろうけど、嫌疑があるから出れないんだ。セリオンも面会を申し出てるんだが、許可されない。私なら一応権限があるから、言ってくれれば可能な限り不自由なく過ごせるようにするよ。」
「・・・・」
「いろいろ、話したいことはあるんだが。その、食べようか。」
ファリティナは柔らかく微笑んで、ケーキに手をつけた。
「…甘いもの、好きなんだね。」
「はい。」
相変わらずファリティナの答えは簡潔で話が続かない。
「どんなものが、好き?」
ギデオンが聞くと、ファリティナは笑いを堪えるように肩を震わせた。
「王宮で出される甘味はどれも美味しゅうございます。」
規範通りの答えに、ギデオンは口を尖らせた。
「畏まらないでほしい。婚約者だろう。」
ぷぷ、とファリティナはとうとう吹き出した。
「どうして笑うんだ。今更って思ってるのか?」
「申し訳ありません。」
ムッとするギデオンに笑いを堪えながらファリティナは謝った。
「そ、そうじゃなくて。」
少しムッとしてしまったことを反省して、ギデオンは慌てた。
ファリティナは本当に掴み所がない。
アマンダであれば、的確に好きなものを答える。だから、次はそれを用意しようとわかりやすい。だが、ファリティナはのらりくらりと躱して、難しい。まるで王宮の親睦会での貴婦人方を相手にしているようだ。
困って少しため息を吐いた。
ファリティナは微笑んだままいった。
「ご無理なさらないでください。殿下はお忙しい身。私などにお気を使われなくても良いのです。」
そう言ってファリティナは、ふふふ、と笑った。
「私などって、君は私の婚約者だ。」
将来の伴侶だ。いずれ子を成し、ともに家族という家を育てていく相手だ。
そう言うとファリティナは心底驚いたようだった。
「その、今まで、すまなかった。改めて学院に流れている噂を調べてみたんだ。酷いものだった。あんな噂が流れている中では、学院は過ごしにくかったろう。気付かずにすまなかった。」
つい、とファリティナは首を傾げた。
「私は特に。どんな噂なのでしょう。それを理由に学院に登校していなかったわけではありませんので。」
本当に気にしていなそうなファリティナに、ギデオンが驚く。
「ほ、本当に気にしてなかったというのか?」
「気にならないと言えば嘘になりますが、まあ多少は。ですが気に病むというほどではございません。噂など、社交界には常に蔓延るものですから。」
「あなたは・・・強いんだな。」
「さあ?どうでしょう?」
相変わらずファリティナはのらりくらりと答えた。
「それなら、あなたがアマンダを虐げる動機はますます無意味になる。」
アマンダと自分が恋仲であると誤解して、アマンダを傷つけたのか思っていた。ファリティナの名誉を貶める噂に腹を立て、その原因となるアマンダに憎しみを抱いているのだろうと。
だが、拘束されて言葉を交わすようになったファリティナから、そんな態度は一切感じられない。
「知りたいんだ。あなたが考えていることを。」
ぷくく、とファリティナがまた笑った。
「なんなんだ、さっきから。あなたは。」
「申し訳ありません。だって。」
ファリティナが目尻の涙を拭きながら言った。
「まるで婚約のお見合いみたいだと思って。」
言われてギデオンの顔が赤くなったのが分かった。たしかに、初めて会った時の会話のようだ。
クスクス笑い続けるファリティナに、拗ねていたギデオンだが、長く続かずなんだか怒りが抜けてしまった。
「改めて言われると恥ずかしいな。」
「すみません。私もまさかそんなことを言われるなんて思わなくて。」
何も知らないのだ、と改めて思う。
ファリティナの好む食べ物も、興味のあるものも。だから、知らなければと思った。
婚約者なのだ。
ギデオンにさえ黙秘を続けるファリティナのことを、少しでもわかりたかった。
「・・・でも、ほんとなんだ。私はあなたのことを何も知らない。あなたが、学院を休んでいた間、何をしていたのか。噂のことをどう感じていたのか。こんなことになって、どうしてあなたは何も言わないのか。」
ギデオンは情けなく感じていた。
自分の意思とは関係なく、状況が目まぐるしく変わっていく。
それに翻弄されるだけで、食い止めることも抗うこともできない。
ファリティナが拘束された理由、アマンダを虐げたことについては、ギデオンも疑いを持ち始めている。
セリオンの反証と、反訴の訴状を読むと、ファリティナがアマンダを虐げる動機も、その時間もない。噂にあるような性に奔放で、短気で苛烈な悪女とはかけ離れている。
いや、それでも。と反抗できるほど、ギデオンはファリティナを知らない。
少なくとも、ギデオンはファリティナを学院内で見ることはなかったし、社交場で見ることもなかった。
今になって話を聞こうにも、ファリティナは黙秘を続け、セリオンは学院に現れない。
王子と言えども幽閉部屋に監禁されている罪人に簡単には会えず、また会ったとしても信頼されていないとわかっていると躊躇してしまう。
そして何故か、セリオンが提案した現場での検証は実施されない。
アマンダの怪我は治り、復学しているというのに、証言の聞き取りだけで終わっている。
しかも聞き取りは学院内で行われただけだ。
すでに問題は学院を超え、ファリティナは実刑に近い刑を受けているにもかかわらず、アマンダは刑務省に呼ばれることもなく、学院の生徒は未だこの問題が学院という箱庭から出ていないような印象を持っている。
執行部の学院生においてもだ。
セリオンの侮辱罪の反訴も、休学も大袈裟だ、と捉えているようだ。
セリオンの面会が叶わないことといい、ファリティナが託した重い伝言といい、ギデオンは嫌な予感しかしない。
「教えてほしい。あなたは、あなたたちは何を知ってるんだ?セリオンに伝えた伝言に、何が含まれていたんだ。事は学院の中の嫌がらせで済まない。もうそこまで来ているのに、どうしてグランキエース以外、それを感じない?」
先ほどまで、楽しそうに笑っていたファリティナの笑顔が、す、と変化したのがわかった。
ああ、ダメか。
ギデオンはため息が出た。
先程、笑い合って少し距離が近づいたような気がしたのに。
どうしてこうなってしまったのだろう。
婚約したてのころは、たしかにファリティナの好意を感じていた。いつからこんな風に、霧の中の残影を掴むように、遠く感じるようになったのだろう。
「セリオンはあなたの無罪を信じて、休学の願いを出した。」
ファリティナは変わらず黙秘の姿勢を貫いている。
「学院側は引き留めているが、登校せずにいる。そこまでして、彼はあなたを救おうとしている。あなたが一言、否認をしたら、ここから出たいと言ったら、叶うかもしれないのに。」
助けてほしい、と一言言ってくれれば。自分は嵌められたのだと、無実なのだと自分に訴えてくれれば。
「私を信じてほしい。ファリティナ。あなたが何もしていないなら、婚約者としてこんな状態に置いておけない。セリオンと協力して、あなたを助けたいと思う。」
俯いたファリティナが、うっすら笑った気がした。
ギデオンに面会終了の声がかかった。
しぶしぶ立ち上がる。
「ご家族に、何か伝える事は?」
「セリオンに、休学を考え直すようにと。」
ファリティナがはっきりと言った。沈黙を破る、固く厳しい声だった。
「あなたを守る、盾になるからと。」
ギデオンは頷いた。
セリオンを守る盾。
ファリティナはセリオンを生かそうとしている。盾を与え、傷をつけまいと。
ファリティナの盾は?
ガチャリ、と幽閉部屋の重い扉が閉まる音を背中で聞いた。
人気のない、この西の塔にファリティナはまた一人残される。
取り調べは1日に一度行われているが、それ以外でファリティナに話しかける者はいない。
君は誰が、守ってくれるの?