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3 顧みられない子ども

ジェミニは顧みられない子どもだった。

母は公爵家当主代理として忙しくしており、年の離れた姉兄たちは自分たちのことで手一杯で、その存在さえも忘れられていた。


長女のファリティナだけは、ジェミニを気遣い、毎日部屋に訪れた。


ファリティナは貴族学院に通っている。

擬似の社交界である貴族学院では、実際の政治の模擬的な施策が行われた。決定的な政治問題にならないような福祉政策や、国力向上のための研究などを行わせ、若い世代に教え込むための学校だった。


悪夢を見る前、ファリティナの世界は学院に限定されていた。

小さな社交界は毀誉褒貶と追従が渦巻く世界だった。

それに疲れていたのかもしれない。


ファリティナはジェミニの頭を柔らかく撫でながら思った。


疲れすぎて、その世界の歪さに気づかなかった。

信頼や親愛の温かさや安心感を知らずにいた。


人よりも功績を残すこと、規則と法の目をかいくぐり、自分に有利な結果を残すことに必死になっていた。

共に研究や施策をした仲間は友人だと思っていたが、お互いの欠点を見つけ、立場が変われば容赦なく堕とした。

それが普通だと思っていた。



ジェミニにはそうなってほしくない。


遊び疲れたジェミニはファリティナの胸に抱かれて眠っていた。


ジェミニに会うようになったファリティナの生活は一変した。

固執していた学院での生活に、興味が失せてしまった。

あんなに執着していた婚約者の第二王子にも、不思議なほどその執着心が薄れた。


あの悪夢で気づいてしまった。


自分はただ愛されたかっただけ。

王子を愛していたわけではない。また、王子も自分を愛していたわけではない。


ファリティナの結納金として、公爵家が持っている領地が生み出す生薬の売買権が王家に渡されるはずだった。

その政略のための成婚。


そう気づくと、す、と心が冷えた。

わかっていたはずなのに、その冷えた関係になんの興味もなくなってしまった。


それよりも今は自分を必要としてくれているジェミニのそばにいたい。

一刻も早く学院から戻り、ジェミニのために新しい本を読んであげたい。

何度も何度も同じ遊びを繰り返すジェミニに、新しい玩具を与え、もっと楽しいことを覚えさせてあげたい。


そう思い、ファリティナは出来るだけジェミニの部屋に通った。



その日の夜会は公爵家としては外せないものだった。14歳で社交界の仲間入りをしているファリティナと弟のセリオン、そして当代代理の母が出席した。母親は愛人をエスコートのパートナーとし、ファリティナには王子がエスコートと決まっていた。婚約者のいないセリオンはパートナーなしの参加となり、ファリティナと同じ馬車で王宮に向かった。


「最近、ジェミニによく構っているようですね。」

いつもは無言のセリオンがファリティナに話しかけた。

薄く開いた窓のカーテン越しに外を眺めていたファリティナは、話しかけられてセリオンを見た。

14歳にしては背が高く、体格も良い。鬼才と言われるだけあって、学院には一足早く入学を果たしていた。ファリティナとは同じ学年になる。

学院ではかなり注目されてはいたが、飛び級で入ったため、執行部の指名は受けなかったが、来年の執行部には確定だろう。


「ええ。」

ファリティナは短く答えた。セリオンの目が細まり、威圧的にファリティナを見た。

「どうしてですか?」

「可愛いから。」

「可愛い?」

その返答に明らかな軽蔑の色が含まれていた。

「ええ。可愛いわ。だって、弟だもの。」

セリオンは心底、驚いたように眉をあげてファリティナを見た。ファリティナはわざととぼけて、首を傾げた。

「何か、おかしい?」

は。とセリオンは鼻で笑った。

「今まで私たちに興味もなかったあなたが、何の気まぐれですか?」

「気まぐれでも、会ってみたら可愛かったの。小さくて、病気でいつも寝ていてかわいそうだから。」

「それで、同情したと。」

ええ、とファリティナは頷いた。

「ダメなのかしら、弟を可愛がるのは。」

悪いとは言いませんがね、とセリオンは疑わしそうにファリティナを横目で見た。


失礼な人。

ファリティナは内心の苛立ちを扇で隠した。

交流がないとはいえ、これほど馬鹿にされるいわれはない。自分は姉であり、歴とした公爵令嬢だ。


「ジェミニに構う前に、あなたはやらなければいけないことがあるんじゃないんですか?王子の婚約者だというのに執行部にも入れないなんて情けない。」


ああ、そういうことか。


ファリティナはやっと納得がいった。

執行部に入れなかったのは悔しかった。だが、仕方がないではないか。執行部は立候補でなれるものではない。

前年度の指名によるものだ。

それに学院はこの先3年ある。今から人脈をつないでいけばいいのだ。


そう思って、ふと、ファリティナは心に引っかかりを覚えた。

あの悪夢だ。

18歳のファリティナは執行部に入れなかったことを男爵令嬢に逆恨みし、嫌がらせをしたということになっていた。

あの夢の通りなら、かの令嬢はこれから先ずっと執行部に居続けるのだろう。


関わりたくない。


本能が拒否した。


政略の盟約がある限り婚約が覆されることはない。どうして今更張り合わなければいけない?


「執行部に入らなければ、王子妃にはなれないのかしら?そんな契約だった?」

わざとおっとりとファリティナが言うとセリオンは蔑みの目で見て言った。

「何という怠惰な。王族にふさわしくなりたいと思わないのですか。」

「だって、なれなかったのは仕方ないもの。」

「努力が足りなかったのですよ。恥ずかしくないですか?あの学院で王子の次に高位のあなたが、下位の者達より劣る。示しがつかない。」

はあ、とわざとらしくセリオンはため息をついた。


公爵子息らしいその気位に、ファリティナはうんざりした。


たしかにセリオンの言う通りだ。


高い地位を与えられているのだから、誰よりも賢く、誇り高くあれ。

そのためにファリティナも努力していた。

天才のセリオンにはそれはたしかに劣る。だがその高みを目指してもたどり着いたところが、嫉妬による足のすくいあいなら、とても虚しく感じる。


あの、悪夢のように。


ファリティナは肩をすくめてごめんなさい、と小さく謝った。

セリオンの眉がますます寄った。

ファリティナは不意にクスリ、と笑った。

「…わかってるんですか?」

「わかったけど、わたしはあなたのように天才じゃないもの。努力ならしてるつもりよ。私の出来る範囲で。」

「その程度で!」

セリオンが少々声を荒らげるのを、ファリティナはため息をついて遮った。

「執行部って、あの学院をより良い方に示唆するのでしょう?そんな大役、わたしには荷が重いわ。」

「王子妃となるあなたが何を言っているのですか!」

「王子妃は政策に関わらないわ。議会だって出ないじゃない。」

あなたという人は、セリオンの声に怒りが篭った。

「努力してもしなくても、わたしがグランキエースの長女だということは変わらない。ねえ、セリオン。あなたが心配してるのは、わたしが不出来だからグランキエースに傷が付くということ?」


問われてセリオンが詰まった。

その顔に、ファリティナは少し満足した。


「わたしが多少ポンコツだからって瑕疵にはならないわよ。だって天才のあなたがいるじゃない。」


セリオンは一瞬呆けた。ファリティナはますます満足して、ふふふ、と笑った。


「ごめんなさい。セリオン。落ちこぼれるつもりはないのよ。でも今はジェミニについていてあげたいの。あの子、喜んでくれるから。もう少し丈夫になるまで寂しい思いをさせたくないだけ。」

ファリティナが柔らかくそう言って扇を閉じた時、馬車が王宮に到着した。

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― 新着の感想 ―
[一言] > 自分に有利な結果を残すことに必死になっていた。 私も、気づいてみれば、そんなでしたねー。
[一言] セリオン君も、根っから悪い子じゃなさそうかな
[気になる点] こだわる かかわる 同じ漢字を使います。 かかわる、に、あまり一般的でない「拘」をお使いなのはその漢字を好まれているからだと思います。 が、誤読の余地を極力減らすためにルビを振って戴…
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