29 託したのは希望
「アマンダ=リージョンとのこと。誤解を与えてしまった。」
「・・・・。」
「彼女とはなんでもない。噂になっているような関係ではない。誤解を与えて、嫌な気持ちにさせた。すまなかった。」
頭を下げたギデオンに、ファリティナは瞠目したまま、黙っている。
ギデオンは、うん、と咳払いをして続けた。
「もし、私が君をこんな状態に置いたと考えているのなら、それはちがう。私は何も関与してない。だから、真実を話してくれ。君は、アマンダ=リージョンを虐げたりしてないんだろう。」
ギデオンが言葉を切った時、ファリティナは息を吐いた。
「…真実なんて、醜悪なものでしかない。」
ポツリとファリティナが呟いた。小さなつぶやきに、ギデオンは聞き直したが、ファリティナは黙したまま。
アマンダ=リージョンとは噂になっているような関係ではない、と言った。
今は、ということだろうか、とファリティナは心の中で思う。
今更になってこんなことを言ってきたギデオンの真意を推し量った。
自分が黙していることで、計画がうまく進まなくなったのだろうか。
恋人ではない、と言うが、あれほどの親密さを見せつけておいて、ただの友人関係を主張するには無理がある。
たしかに不貞を追及されるほどの関係にはなかったかもしれないが、絶縁宣言とも取れる手紙を送ってきたことといい、それまでの彼女を優先した振る舞いといい、寵があると思われて十分な行動だった。それを今更、全て誤解という言葉で無くす事は出来ない。
ここはなんと答えるのが正解なのだろう。
ファリティナとて命は惜しく、できるならジェミニとともに生きていきたいが、ここに捕まってしまった以上、覚悟は決めている。だからといって、死期を早めるつもりはない。
むしろ、出来るだけ引き伸ばし、残った兄弟たちが安全な場所を確保する時間をあげたい。
少しでも生き延びる可能性を。
熟考していると、ギデオンが小さく息を吐いた。
「いきなり、こんなことを言っても信じられないだろうね。だけど、わたしにはあなたとの婚約を解消する気などなかった。学院に入って、執行部に入って、自分と同じ感覚で接してくれる友人たちができて嬉しかったんだ。王宮のように畏まらず、身分に臆することのない友人を大切にしたかった。それがたまたま異性だっただけで、こんなに噂になるなんて。」
あらやだ、全然反省してないじゃない。
ギデオンの言葉にファリティナは興ざめだ。
あのおもちゃの箱のような学院の中で、本物の友人を見つけた気でいたということか。
それがたまたま、女性だった。
たまたま。
異性との間に真の友人関係は成り立つのか、という不朽の命題があったわね。
わたしは否だと思うけど、王子は本気で成り立つと思っているのね。
そういうのは、10年経って、あの仲間の誰とも恋愛感情が芽生えないことを実証してから言ってほしいわ。
王子の表情から見て、彼が策を練って遂行しようとしてはいない。彼はわかりやすい傀儡だ。誰に言われてきたか知らないが、一度下手に出て、自分を懐柔する作戦にしたのだろう。
はっきりさせておきたいことがある。
ガゼリの権益と、鉱石の横領について彼がどれくらい知らされているのか。どう扱うつもりなのか。
「…私たちの婚約は。」
ファリティナがゆっくりと話し始めた。
「ガゼリの頒布決定権を王家に委ねることを元にしています。たとえ、殿下に恋人がいらしても、問題にしなければ私は王家に嫁ぎ、王家は約束どおりガゼリの権益を治めることができる。ずっと考えておりました。私がこのようなことになり、不名誉の代償として、権益だけを捧げることで落とし所とするのではないかと。」
セリオンが指摘した内容と一緒のことを言われて、ギデオンは慌てて頭を振った。
「違う!そんなことは考えていない!」
「そう、なのですね。」
ガゼリの権益を主目的とするこの盟約を違える気は無かった、と。
王子としては本当にただの火遊びのつもりだったのね。
だけど、あの気位の高い女がそれで終わらせるはずはないわ。
ファリティナは、アマンダのあの勝ち誇った顔を思い出す。
いつかの王宮での夜会の時も、モドリ城で王子のエスコートを譲った時も、ファリティナに礼も言わず、当然のように王子の隣に侍っていた。
王子にその気はなくても、既に自分は罠に落とされ、婚約者の座を脅かされている。
ガゼリの権益を巡るグランキエースとの盟約が脅かされている。
王子が何も知らず、このような事態になっているのなら、グランキエース側から婚約を破棄し、ガゼリの件についても、一からやり直しだ。
通常ならば。
だが、グランキエース公爵家ごと潰す気なら、ここをきっかけにして鉱石の横領を暴露するだろう。
今のところ、ギデオン第二王子は横領については知らないようだ。
知っていれば、ファリティナにアマンダを虐げた自白を、脅してでも供述させるだろう。
自分ならそうする、とファリティナは思う。
自白を強要し、悪女ファリティナ=ウィンディ=グランキエースを仕立て上げ、婚約を破棄し、その賠償としてガゼリの権益を手に入れる。横領に関しては、そのままグランキエースを潰しても良し、鬼才セリオンを生かすならその手綱として使うもよし。
どちらにしろ、ファリティナの命は予知夢どおり、この部屋で絶えるのだろうと覚悟していた。
だが、王子が傀儡となっているのなら、今から横領の件を暴露してくる人物がこのシナリオを書いた黒幕に近い。
その黒幕が出てくるまで。
王家そのものなのか、王家と繋がりたいどこかの派閥なのか。それとも。
ファリティナは黙秘を続けることに決めた。
再び居心地の悪い沈黙が続く二人に、護衛騎士から声がかかった。
王子に与えられた面会時間を過ぎたらしい。
ギデオンはいつにない渋面を作って立ち上がった。
見送りの礼として立ち上がるファリティナにギデオンが言った。
「セリオンとは、私は学院で会える。何か、伝えることがあれば、預かろう。」
「ありがとう、と。」
「それだけで、いいのか?」
考えたのは一瞬。
ファリティナが言った。
「…。生きて、と。」
生きて?
ギデオンが問い直すと、ファリティナは静かに頷いた。
ギデオンを見つめ返す瞳には、曇りがない。
絶望に打ちひしがれているのでもなく、諦めて悲しんでいるのでもなく。
セリオンに託したのは、希望だった。