28 真実は醜悪なもの
ファリティナの部屋にギデオンが訪ねてきた。
ファリティナは恭しく礼をして待ち受けた。
「地下牢からお助けいただき、ありがとうございました。先日は弱って喉が動かず、お返事もろくにできないため無礼を働きました。ご容赦くださいませ。」
ファリティナは頭を下げたまま告げた。
あまりにも完璧な礼に、ギデオンは戸惑う。
怒っているだろう、恨んでいるだろうと思い、そのためにろくに返事もしてくれないのだと思っていた。怒りを解くために、こちらから下手に出るつもりで来たので、先手を取られて動揺した。
「いや、こちらこそ衰弱していたのに、無理矢理話をさせようとしてすまなかった。体は、持ち直しただろうか。」
「はい。おかげ様で。心安らかに過ごさせていただいております。」
そうか、と落ち着かない様子でギデオンはファリティナから目をそらした。
「あの。座ろうか。話がしたいんだ。」
来た。
ファリティナは伏せた顔の下で思った。
落ち着いたのを見計らって、自白の強要だろう。未だにアマンダ=リージョンを突き落とした件、陰湿な虐待の件の取り調べには黙秘を貫いている。
話をする気は無い。
だが、追い返すこともできない。
ファリティナはお茶を挟んで、ギデオンと向かい合った。
ギデオンは、包みを取り出した。
「セリオンから、預かってきた。面会の申し入れをしているのだが、なぜか許可が出ない。私が会えるのならと、預かってきた。」
出されたのは、砂が入ったガラス飾りと、大きめの本、そして折りたたまれた紙だ。
「末の、弟さんからだそうだ。」
折りたたまれた紙は、ジェミニが描いた絵だった。青いクレヨンで紙の上半分が塗りつぶされ、紙の下半分は卵から手と足が生えた人らしきものが2つ。卵型の人の横には、これだけはっきりわかる貝の絵があった。
きっとモドリの海だ。
卵型の人は兄弟なのだろう。
「まぁ。上手に描けているわ。」
ファリティナは思わず微笑んだ。
筆圧も十分だ。体が持ち直しているのが分かる。
ジェミニが危害を加えられず、安心して過ごせていることを感じて、ファリティナは涙ぐんだ。
砂のガラス飾りにはセリオンからの短いメッセージが付いていた。
モドリの浜の砂で作りました。ジェミニにも贈りました、と。
「あの子が、好きそうだわ。」
ガラス飾りは複層の透明ガラスの隙間に濃淡のある砂が入っていて、砂浜を連想させた。油と水、複層ガラスの圧で砂は留め置かれ、端を傾けると、砂が流れて違う砂山の形が現れる。
抽象的で、自然造形の美を切り取った飾りだ。傾きによってどんどん形が変わるので、何時間でも眺めていれそうだ。
サラサラと流れる砂を、しばらく二人で眺めていた。
美しいな、とギデオンも素直に思う。
そっととなりのファリティナを盗み見た。
白い顔は穏やかに、溢れ落ちる砂つぶを眺めている。ギデオンの記憶にあるより、少し大人びて、化粧気のない痩せた頬に疲れが見えた。
アーベナルド牢獄に入れられていた3日間、ファリティナは一食も手をつけず、言葉も発せず、泣きもしなかったという。入れられてすぐに、向かいの囚人が卑猥な言葉で騒ぎたて、殴らせて黙らせたが、暴力が行き過ぎて死んでしまった。
その時は流石に蒼白になり、言葉もなく震えていた。と看守が報告していた。
あまりに醜悪な様子に、セリオンには言うことができなかった。
気丈だ、とセリオンが言うように、しっかりとしたどちらかと言うと気の強い女性だと、ギデオンも記憶している。だからなのか、あの劣悪な環境にいても正気を保ち、命乞いをするわけでもなく、空腹や不潔にも文句を言うこともない。
この幽閉部屋に入ってからも、ほとんど世話人たちの手を煩わせることなく、静かに過ごしているらしい。
自分の行いを反省しているのだろう、と見張りの衛兵たちの報告があるが、
セリオンの言によると、彼女に反省すべき行いはない。
ではなぜ、この不当な扱いを甘んじて受け入れるのか。
自分のことを、罠に嵌めた相手だと思い、警戒しているのだろうか、とギデオンは心の中で深いため息を吐いた。
「この本は…?」
分厚い辞書のような本だった。
「植物図鑑、です。」
ファリティナは軽くパラパラとめくった。
「あなたは、植物に興味があるのか?」
ファリティナは軽く首傾げた。
「特に好きと言うわけではありませんが、弟とよく見ていたので。セリオンの記憶に残ったのでしょう。」
サイリウムにも持って行った。道中の休憩の間、ジェミニと辞書を見ながら路傍の植物と照らし合わせたので、セリオンも覚えていたのだろう。
本当は、ミュゲの毒の解毒剤を探していた。
ジェミニが摂取させられていたミュゲの毒は少しずつ体内に積もり、体を弱らせていく遅効性の毒。解毒して体外に排出できる何かがないか、体を強くして毒に負けないようにする滋養強壮の植物はないかを調べていた。
セリオンが差し入れたこの図鑑は、ファリティナが参考にしていた一冊だ。
挿絵が多く、植物の分類の仕方がわかりやすく、用法もわかりやすかったので確かに愛読していた。
「弟さんを、本当に可愛がってるんだな。」
ファリティナは俯きがちに薄く微笑んだ。
「…年の離れた弟なので。可愛くて。」
ファリティナの簡潔な返答に、会話が続かない。ギデオンは居心地悪さを覚える。
また少しの沈黙の後、ギデオンが言った。
「生まれた時から病弱だったのかい?」
ファリティナがまた首を傾げた。
「あまり、存じませんの。構い始めたのは、恥ずかしいことに最近で。それまでは私も自分のことばかり考えていて。」
そう小さく笑った。
「気づいたら、母は当主代理で忙しく、兄弟にも省みられず、屋敷で一人でいるあの子が不憫で。寂しい思いをさせてしまいました。」
「あなたのことを頼りにしていると聞いた。さぞかし、屋敷であなたのことを心配しているだろうね。」
「…今はサイリウム領でお世話になっております。先日の危篤から復調せず、こちらまで連れて帰ることが叶いませんでしたので。」
「それは…。心配だね。」
ギデオンの言葉に、ファリティナは返さず、ただじっと目の前の本を見つめていた。
不幸中の幸いというべきか、とファリティナは考えていた。
自分がこんなことになっていることを知ったら、ジェミニは悲しむだろう。逆に知らなくていいことだ。
セアラとジュリアンもさぞかし心配しているだろう。こんなことなら、自分を待たず、すぐにでも皇国に出すべきだった。
母はなんと言っているだろうか。
考えが読み取れない。ギデオンは居心地が悪く、俯いた。
知らなかった。兄弟がそんな重篤な状態だったなんて。サイリウムから兄弟全員が帰ってこないのだから、想像がつくことではあったのに、セリオンが執行部に入ってきたことが嬉しく、残された彼女たちのことを思いやったことがなかった。
ファリティナに対して、一片の配慮もしていなかったことを、今更ながら突きつけられた。
「その、すまなかった。」
ギデオンが言った。
ファリティナはそっと顔を上げた。