27 なぜだと?
一週間ぶりにセリオンが登校してきた。ギデオンはすかさず、執行部の部屋に移動した。
ファリティナがアーベナルド牢獄にいたことを聞くと、セリオンの目に怒りが灯った。
「アーベナルド。拘留詰所ではなく、既に罪が確定していると看做され、牢獄だったんですね。階層はどこですか?」
セリオンは刑務省に問い合わせたが、まだ尋問中としてファリティナの拘留場所を教えてもらえなかった。
最下層だ。とギデオンは言いにくそうに告白した。
「凶悪犯罪の死刑囚扱いですか。」
話の流れがいまいち理解できていなそうな執行部員と違って、セリオンはその階層の意味を正しく理解していた。
だから、嫌なんだ。
ギデオンはため息を吐く。
セリオンは鬼才だ。自分たちとは次元が違う。ファリティナが拘束され、審議もなく罪人扱いされたことの意味を彼は誰よりも理解しているだろう。
ここにいる自分たちの誰よりも。
ファリティナにあの扱いを示唆したものがこの執行部員の中にいる。
セリオンはそう疑っている。そのことを隠そうともしていない。だが、疑われていると気づいている執行部員はどれくらいいるだろうか。
先日、セリオンがやろうとした噂を基にした一方的な婚約破棄は可能かどうかの社会実験は、学院長が宥めに入ったことで実現はしなかった。
その時、実験例とされる予定だった伯爵令息は、今は学院に通っていない。あれからすぐに休学の願いが出された。
アマンダは復学してきたが、執行部の雰囲気が大きく変わったことに戸惑い、苛立っている様子だった。
だが、誰も口を閉ざしている。今までギデオンとアマンダを中心に取り囲むようにして取っていた昼食も、三々五々取るようになり、アマンダを誘わない。
ギデオンは、セリオンが反訴で侮辱罪を訴えることを軽く説明した。アマンダは真っ青になってセリオンに自分から説明する、といった。
だが、セリオンには会えない。
公爵家まで出向いて面会を求めたようだが、面会の予約がないことを理由に断られ、約束をしようにも身元がはっきりしない、と断られたようだった。
アマンダはひどくショックを受けていた。
セリオンの過激なやり方に、ギデオンはやりすぎではないかと思ったが、そもそも、学院を一歩出ればそれほどの身分差がある間柄なのは事実。しかも、今は確執を抱える関係になっているのだから当然といえば当然だった。
ギデオンもファリティナの処遇について報告をしようと面会を申し込んでも多忙を理由に断られたのだ。
だから学院に登校するセリオンを待っていた。
「お知らせいただき、ありがとうございます。殿下。姉は無事でしょうか。」
目に灯った怒りを治めて、セリオンが優雅に頭を下げた。
「今は、王宮西棟に移動させている。その、アーベナルドにいる間、3日飲まず食わずだったようで衰弱していたが、今はちゃんと食事もとれているようだ。」
セリオンはじっとギデオンを見つめ、ありがとうございます。とまた殊勝に礼を言った。
その姿は本当に優雅で品があり、彼がここにいる執行部員たちを許しているように見える。今までのように、親しい学院生としての立場に戻れるのではないか。そう思わせるには十分な柔らかい態度だ。
「姉の無事が確認できて安心しました。アーベナルド牢獄は一度視察に行ったことがありますが、とても人間の、しかも箱入りで育った若い娘が正気を保てるとは思えない劣悪なところですから。いくら姉が気丈でも、無罪を晴らすまでの長い時間、一人で生き延びるには難しかったでしょう。」
「…行った、ことがあるのか?」
「ええ。この国で一番、残酷な刑を与えるところですからね。その底を目で確かめないと、それを基準に罰を考えるときに参考にならない。」
ギデオンの背筋が粟立った。
やはりセリオンは違う。自分たちと決定的に違う。ただぼんやりと現実の残酷さを知らず、気づかずにもいた自分たちとは、全く違う。
ギデオンもアーベナルド牢獄がそういう場所だとは知ってはいた。死刑囚が収容されるところだとも。だが、死刑という刑を見たこともなければ、そこまでに罪人たちがどのような扱いになるのかを想像したことなどなかった。
ファリティナをあそこに収容するように示唆した誰かは、知っていたのだろうか。
セリオンは学院内の誰かが、示唆したものだと疑っている。
知っていたとしたら、死を望む強烈な悪意を含むものだし、知らないとしたらあまりの無知に逆に罰を加えられる所業だ。セリオンの侮辱罪も認められる。
「王宮西棟、ですか。担当は王宮警護になるのでしょうかね。面会は申し込めるでしょうか。」
「すぐには叶わないかもしれないが…。」
「ええ、承知の上です。幽閉場所ですからね、精査はされるでしょう。多少時間はかかっても会える希望が出て安心しました。アーベナルド牢獄より生き延びる可能性は高い。」
セリオンがわずかに目元を緩めた。
「…セリオン、君はファリティナ嬢の無実を信じてるのか?」
執行部員の一人が聞いた。
「もちろんです。反証の証言なら昨日、法務院に提出しました。残念ながら刑務院が持っていた告訴状には姉が、アマンダ=リージョンにどの日、どの時間、凶行に及んだのかというはっきりした記載はなかったので、出来るだけその前後の行動の目撃証言を合わせる形になりますが。気になるようであれば、法務院にお問い合わせください。閲覧を希望する方には公開するようになっています。」
「じゃあ。なぜファリティナ嬢は否認しない。ずっと黙秘しているそうじゃないか。」
「姉の考えていることはわかりません。」
セリオンは言って、くい、と顎を上げた。
「ですが、突然拘束され、すでに罪人の扱いを受けている状況で、自分の無罪を主張しても通らないと判断してもおかしくない。むしろ不用意な発言が相手にとってどのように利用されるかわからない。なにせ、既に敵の罠におちて、その手の中にいるのですから。」
敵。
その言い方に一様に眉を顰めた。
「もしかして、君はわたしを疑っているのか?わたしが罠に嵌めたと。」
ギデオンが硬い声で言った。
セリオンは黙ってギデオンの青ざめた顔を見た。何を今更。と表情が告げている。
「セリオン!無礼だぞ!」
執行部員の一人が声を荒げた。
「私はあくまで仮定の話をしたまでです。姉が黙秘している理由を。今回の罪状を思い出してください。アマンダ=リージョンに嫉妬して、彼女に危害を加えたとなっています。それはギデオン王子の婚約者という立場を脅かされる不安もあったということだ。」
セリオンのブルーグレーの瞳が冷たくギデオンと側近たちを見回す。
「姉が凶行を犯したことは否定します。そんな暇は姉にはなかった。病弱な弟のために出来る限り時間を割いて、献身的に看病していましたからね。だけど、心の内、アマンダ=リージョンを敵視していたことまで絶対ないとは言えません。わからないでもない。ギデオン王子とアマンダ=リージョンの噂は、社交界にも広まっているくらいですから。」
「そんな。誤解だ!私とアマンダは何でもない!」
「ええ、ですから、噂、です。」
セリオンは無機質に言い返した。
この慌てようから、おそらくギデオンが仕組んだのではない、とセリオンは確信を得た。ギデオンもアマンダとの仲を利用されたのだろう。
この断罪劇がギデオンとアマンダの仕組んだものでないとしても、そこに恋情がからんでいるのは否定できない筈だ。
「噂を信じて、婚約者の地位を追いやるためにあなた方が姉を追い込んだ。そう思ってもおかしくない。」
「違う、違う!そんなことはしてない!なぜ…。」
「なぜ?」
ギデオンのつぶやきを拾ったセリオンの声が恐ろしいほど冷たかった。
追い込んではいけない。
ファリティナの言葉が、セリオンを引き留めている。
追い込まれた人間はろくなことをしない。それで割りを食うのは、一番の弱者。
この愚か者をこの場で怒鳴りつけられたら、どれだけすっきりするだろう。
世間知らずで甘やかされたそのお綺麗な顔を、恐怖で青ざめさせたら。
なぜだと?
あれだけ婚約者を蔑ろにし、社交界で噂になる程、寵愛を見せつけておいて、何を今更。
自分の軽薄さが、大切にすべき女性をどれほど貶めていたのか想像も出来ないのか。
それを狙って、わざとあんな態度だと思っていたのだが、そうでなければ、なんと浅はかな。
ファリティナ、あなたはなんて不運なんだ。人の羨むほどの地位にいながら、品格も才覚もありながら、こんなくだらない婚約に縛られて、不必要に貶められて。命まで危険に晒されて。
今は追い詰めない。大切な姉は未だ、この尻軽男の庇護のもとにある。
セリオンは薄く笑った。
「ねえ、殿下。」
その言い方に甘い媚を乗せて。
「殿下のお心が那辺にあるか、お言葉がなくても十分わかっています。姉は学院にも現れないが、私はここに出入りしていたんだ。」
ギデオンが瞠目した。さ、とその頬に朱がさす。
「ち、違う…。」
「だけど、これは悪手だと思いませんか。噂だけでファリティナを罪に陥れるのにも無理があるし、何より持参金として付いているガゼリの頒布決定権はどうするつもりですか?こんな形で身内を貶められて、我が公爵家が素直に差し出すとでも?それとも仮公爵の間にグランキエースごと切り捨てるおつもりだったんですか?」
「ガゼリの…頒布決定権?」
初めて聞いたかのような表情に、セリオンは流石に侮蔑の色を隠せなかった。
「おや?お忘れだったのですか?アマンダ嬢さえ手に入れば良かったと。ならば余計、婚約を解消するだけで良かったのに。」
「忘れていたわけではない。そうじゃない。アマンダ?何を言ってるんだ?」
ギデオンが混乱して頭を抱えた。
「そんなわけないだろう!アマンダとは本当に何もない。ただの友人だ!」
セリオンは、何も言わずギデオンを見ているだけだった。
「君なのか?君がファリティナにそんな噂を教えたのか?それで誤解して、あんなことを!」
「あんなこと?あんなこととは何かわかりませんが、私は姉とあなたの噂を話したことはありません。話さなくても、信じるに足ることはありましたからね。」
「なんだ?何を…?」
「お心当たりはないと?」
だんだんと不敵に光るようになった瞳を、セリオンは一旦閉じた。
追い込んではダメだ。今はその時ではない。
「誤解をしていたなら、失礼いたしました。ですが、重ねて言いますが、姉が凶行を行なったという事実はないと私は確信しています。殿下との婚約はガゼリの権益を含む契約のもの。何事もなければ成婚はなされるのです。殿下の寵を競ってというのは動機になりません。また、あの頃の彼女には、末弟以外に時間を割く余裕はない。」
「では、なぜ、はっきり言わない。…あ。」
ファリティナは投獄したのはギデオンだと疑っている。今更ながらそれに気づいて、ギデオンは言葉をなくした。
「ファリティナに、会わなければ。私は、敵じゃないと。誤解を、解かなければ…」
セリオンは優しく微笑んだ。