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21 空白の待ち時間

ファリティナが王都に戻ってきたのは、セリオンの後、ひと月以上経った頃だった。


「おまたせしました、姉様。」


セリオンは学院の図書室にファリティナを迎えに来た。


ファリティナは少し顔を上げて微笑むと、立ち上がって、荷物を整理し始めた。


目の前に積まれた本を抱える。


「こんなに借りるんですか?」


辞書並みに厚い本を、5冊両手に抱えたファリティナから、本を取り上げた。


「課題に必要なのよ。」


大したことのないようにファリティナは言った。


「この課題の数も異常だ。この時期の施策研究はここまでやってない。」


ファリティナに課された研究課題の一覧を見て、セリオンはまた不満そうな声が出た。


「登校しないから、その分の穴埋めでしょうね。」


「登校しなかった理由は提出しているのに、なんの考慮もされないのですか。やる必要ないですよ、こんなの。どうせ休学するんだ。」


「…出来るだけやるわよ。去年もこんなものだったわ。どんな理由を並べても変わらないんじゃないかしら。在学してる限り、学ぶ姿勢を試しているつもりなんでしょう。」


そう言って、ファリティナは更に数冊の資料を抱えた。


嫌がらせだ、とファリティナだって気づいている。

だが、抗議したところで徒労に終わる、と諦めていた。自分の素行の悪さもそうだが、相手側にもファリティナに対する偏見がある。


是正しようとは思わない。

自分を貶めて、得をしたい見えない誰かと戦うには、時間も知恵も足りない。それに何より、守るべきものがない。

自分を貶めたい相手は、すでにシナリオを書き終えているだろう。

そこに兄弟たちが巻き込まれないことを祈るばかりだ。自分の身一つで、収まるなら、それこそが望むところ。


「どうせ、暇だもの。ジェミニがいないから、時間を持て余すわ。」


ジェミニの名前を言うと、ファリティナの胸が軋んだ。


ジェミニはまだサイリウム領にいる。

結局、ファリティナたちが戻るその日まで、ジェミニがベッドから降りて、1人で海岸まで歩けることはなかった。


小康状態が続いているとはいえ、食事を消化するだけで体力を消耗する。うつらうつらと眠っている時間が長く、何かに反応して激しい皮膚炎を発症する。


それでも、ファリティナはジュリアンとセアラを連れて戻ってきた。


グランキエース兄妹の様子を見たサイリウム卿が、そのただならぬ様子に感じ取り、ファリティナとセリオンに積極的な援助を申し出た。


サイリウム卿はパレルト公爵派閥に属する。彼はジェミニがガヴル子爵に似ていると気づいていた。ガヴル子爵は今ではグランキエース公爵夫人の公私にわたるパートナーと認識している。

だが、ジェミニの年齢を考えると、その子が不義の子だということにすぐに気づいた。


その不義の子が明らかに毒を盛られて死にかけている。

社交界にデビューしている長子たちは、ジェミニが示す裏切りに気づいてないはずはないのに、彼らは必死に救おうとしていた。


ジェミニの実の母親から。


サイリウム卿は、分かっていることを打ち明けて、援助を申し出た。


二人の若い姉弟は青い顔をして、黙っていたが、伯爵は二人の手を握って言った。

「公爵亡き後、ろくに顔も見せずに済まなかった。身分が違っても、公爵のことは親友だと思っていた。君たちはその忘れ形見だ。家を背負って立つ君たちにとっては、仇敵の連なる派閥の人間で、信用できないと考えているかもしれない。だが、亡き親友のために何かしたいんだ。どうか、頼ってくれ。」


サイリウム卿にとっては、とくに長女のファリティナの母親も学生時代を知っていた。ファリティナの母親が亡くなった後、すぐに今の後妻を娶ったことで、その後ろ盾を失った経緯も、ファリティナたちの父親から直接聞いた。

だからこそ余計、ファリティナを不憫に思う。

亡き公爵が、不器用ながらこの哀れな長女のために王族との縁を繋ごうとしていたことも、間近で見ていた。


その少女が、不義の証拠を隠すために母親に命を狙われている血の繋がらない弟のために、身も心も痩せ細るまで尽くしているのを見て、心動かされないわけがなかった。


公爵は、君たちの幸せを祈っていた、と伝えても、高位貴族の子女として厳しく教育された姉弟は、眉ひとつ動かさない冷静さで受け止めていた。いつか、本当に、心から願っていたんだと伝えたかった。


セリオンが先に王都に戻ってからも、サイリウム卿は変わらずグランキエースの兄弟を保護し続けた。


事情を知り、温情をかけながらそれでも、一定の距離を保って見守ってくれるサイリウム卿を、ファリティナは信用することにした。



王都に戻って来たのは、この先のことを整理して、休学するためだ。


アマンダが王子の隣を占領しているとはいえ、正式な婚約者はファリティナであり、そして貴族学院の生徒である。


母親からは戻ってくるように通達されていた。

本来なら王子とともにでなければいけない王宮の式典があり、何しろ外聞が悪い。

双子の兄妹も健康ならサイリウムにいる必要はない。


一度戻り、ジェミニの看病という大義名分を掲げれば、ジェミニもファリティナも屋敷から出やすい。


セリオンは王都の屋敷にジェミニがいるのは危険だと判断した。母親に近い場所にいれば、どんな時間、どんな人でもジェミニを狙いやすい。サイリウムほどの遠方なら人を寄越すことは簡単ではなく、また今はサイリウム卿の庇護下にある。


サイリウムにいることが一番安全だ。


ファリティナも同意見だ。

だが、他領にいつまでも居座っているわけにはいかない。できれば、自領にジェミニを匿える場所を用意して、そこで過ごしたい。とセリオンに提案していた。


そして、セアラを皇国の寄宿舎に入れようと思う、と、言った。


いざという時、国外に逃げるパイプを作ることと、セアラに安心して過ごせる環境を作るために。


「あなたが知ってしまったからには、今まで通りにはいかないでしょう?」


ファリティナはセリオンに言った。


「王都の屋敷にいたら、セアラたちだって何かしら巻き込まれてしまう。お母様のこと、横領のこと、それに私の醜聞も、王都にいればあの子達の耳に入ってくるわ。まだ小さくて、自分たちでは何もできないのに、悪意に晒されるだけで可哀想だわ。落ち着いて勉強もできない。だから国外にいてほしいの。皇国は男女別の寄宿舎に入って、今のセアラたちより小さい頃から教育を受けるのが普通のようよ。出来るだけコリンがいる学校の近くを選んで、週末は会えるようにしてあげたら少しは心強いのではないかしら。」


ジェミニの体調を慮りながら、それでも面会があるからと外出するファリティナについていくと、前回、学院の実習期間中に紹介された皇国の公使だった。

熱心に女子教育に聞いて、いやに具体的な手続きを聞き出したファリティナをセリオンは問い詰めた。


「あなたがジェミニを連れて国外に逃げる算段をしているのかと思いましたよ。」


話した日は、母の裏切りを口に出した翌日だった。その頃のセリオンはまだファリティナのことを恨む気持ちがあった。


「ジェミニを連れて寄宿舎には入れないわ。」

ふふ、とファリティナは笑う。


寂しい笑いだ。

諦めて、自分を嘲笑うような、そんな笑い方がセリオンの胸を突いた。


「それに、私は王子の婚約者よ。いくら学院の成績が振るわないからって数年後に王族に嫁ぐことが決まっているのに、今更外国に留学する理由がないわ。それだったら、学院に来てくれなくても、国内で適当に時を過ごして、約束通りガゼリの権益と一緒におとなしく嫁いでくれた方がいい。」


窓から夕日に照り映える海を見ながら、ファリティナは話す。


「王家ならそう思うでしょうね。」


だから許されるはずもない、ファリティナがそう思っているのがわかった。


セリオンは改めて、ファリティナの置かれている立場の難しさを感じた。



浅慮な女性だと思っていた。

土地を治める難しさも知らず、豪奢に飾り立て、王家の婚約者だと言うのに国を守る気概も政策を一緒に考えようという姿勢もない。


ただ怠惰に、自分を無条件に受け止めくれる幼子にかまけているだけで、王家の婚約者としては正直、失格だと思っていた。

それならば、噂通り低い身分ながら、優秀だと評価される男爵令嬢の方がマシだと。


サイリウムに向かう途中から、ファリティナの溺愛とも言える甘やかしにイラつきながら、愛情深さに感心していた。

少しずつ、セリオンの考えを変えるぐらいには、ファリティナは信用に足る人物だった。


これほど、深慮遠謀に優れた人だとは。いつものファリティナはそんなことは微塵も感じさせない。セリオンの周りにいる個性的で優秀な、それでいて傲慢な友人たちとは全く違う。


いつものファリティナは飄々として掴み所がない。

それなのに、貴族社会の政略をこれほどまでに理解し、自分の立場を良くも悪くも自覚している。


立場ある家に生まれた女性の覚悟と矜持をこれほど体現されたのを見たのは、初めてだった。



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[良い点] セリオン、分かった?小さい頃からの公爵家令嬢の教育とおそらく王子の婚約者になった時点で開始される王子妃教育の成果… [一言] 孤軍奮闘で自己肯定感が低過ぎるファリティナ…セリオンが味方にな…
[一言] 坊やが少しづつ男の顔になっていくな
[良い点] せりおん [一言] 味方が増えつつあるけれど、まだまだぽんぽん痛い展開が続きますねぇ きゅー
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