20 帰郷
貴族学院の執行部の部屋の扉がノックされた。返事を待って開かれた先に、セリオン=グノール=グランキエースがいた。
「まあ!セリオン様!」
最初に声を上げて飛び上がったのは、アマンダ=リージョンだった。
「やあ、セリオン!やっと帰ってきた!」
中には今年の執行部に選ばれた中堅どころが4.5人集まっていた。
「登校が遅れてすみませんでした。今日から参加させていただきます。」
「楽しみに待っていたんだよ。弟さんが大変だったんだって?」
「はい、旅先で大病にかかってしまいまして。先ごろ落ち着いて、私だけ先に戻りました。」
「君が執行部に入ってくれて、嬉しいよ。一緒に働けるのを楽しみに待っていたんだ。」
執行部員たちは温かくセリオンを迎えた。
第二王子がニコニコとセリオンに笑いかけた。
「お帰り、セリオン。」
「お帰りなさい!セリオン様!」
王子の横には当然のようにアマンダがいて、明るく笑いかけた。
「ご心配をおかけいたしまして、申し訳ございません。殿下。」
セリオンは恭しく礼をした。
「先日はお手紙で失礼いたしました。先方が落ち着いてきましたので、私だけ戻ってまいりました。」
「うん、弟さんは大変だったね。君もお疲れ様。」
「ご厚情、痛み入ります。姉は看病のため、もうしばらく弟とともに滞在し、遅れて復学する予定です。」
「ああ、そう。」
王子はあっさりと答えた。
なるほどな、とセリオンは、心の中で唱える。
冷淡な返答に軽い失望を覚える。孤軍奮闘のファリティナが王家を頼りにしなかったわけだ。
「それと、執行部員としての役割ですが、お手紙でお知らせした通り、私事が立て込んでおりますので、十分な役割を担えません。それでも、と快諾していただいたので、本日、臨席させていただきましたが、足を引っ張るようであれば、遠慮なく切り捨ててください。」
セリオンの不穏な言い方に、同席した者たちが、ギョッとした。
「ま、まあ、セリオン。君の事情はちゃんと執行部に伝わっているよ。もちろん、負担にならない関わりで十分だよ。教授陣からも、学年の生徒たちからも君の手腕は信頼されているんだ。君がいる、と言うだけで心強い。」
王子が場を宥めるように言った。
入学前から鬼才と噂されるだけあって、セリオンの才能は群を抜いている。昨年1年間で、その実績は十分証明されており、セリオンが先頭を切って行った人口動態調査の方法とその利用法については、国の施策にも反映されている。
セリオンの組んだチームは、組員同士の協調性の良さや模範的な行動意識で、学院から常に高い評価を受けている。
そんなセリオンを学院の特権階級とも言える執行部が逃す筈がない。
セリオンはサイリウムから、新学期の登校が、弟の看病のために遅れること、また一度引き受けた役だが、学院在籍中であっても近日中に公爵位を正式に継ぐ予定なので、積極的な参加は難しく、辞退したいことを伝えていた。
だが、執行部としては鬼才のセリオンを逃したくない。特に王族の第二王子が在籍する期間は、いずれ第二王子の側近となる人材とみなされるので、なんとしても評価を上げたいという野心が見え透いていた。
だからこそ、セリオンの辞退は受け付けられなかった。
それならばとセリオンは活動が充分にできないことを了承してもらい、参加することになった。
「残念ですぅ。セリオン様の昨年までの施策研究は本当に素晴らしかったので、今年、私たちの仲間になってくれることを楽しみにしていたんです。」
アマンダが、ため息をつきながら言った。
「そうなんだ。だけど、随分早く公爵位を継ぐことになったんだね。昨年まではそんな話は出ていなかったと思うんだが。」
王子が言った。
「学院卒業後すぐに、とは元から考えておりました。一つには、今年も飛び級が叶いましたので、成績次第では今年度の卒業が可能なこと、もう一つ、末の弟は以前から病弱で安定しないこともあって、兄弟たちが落ち着かない様子ですので、母の負担をなるべく減らしていきたいと。」
「まあ!なんて、親孝行なのかしら!」
アマンダが感激したように手を組んで、瞳を輝かせた。
うるさい女だ。
セリオンは心の中で毒づいた。
この場で一番高位は王子だ。その次が次期公爵が決定しているセリオンになる。
ほかのメンバーは、各位を慮って発言を控えている。それが身分社会の不文律の礼儀というものだ。
それなのに、一番爵位の低いアマンダが、セリオンの発言に相槌を入れる。
それが自然に受け入れられている雰囲気に、セリオンは違和感を感じる。
「本当に。代理とはいえ、幼い子がいる女性の公爵位は負担だったろう。しかも、病気がちなお子さんなら気がかりだろう。優秀な君がいるから、心強いとはいえ。」
王子が同情的に言った。
「父は急逝しましたので、領地や政治的な表向きは慣れない様子で。末弟は姉にたいそう懐いておりますので、そちらは安心して任せております。ただ、まだ幼い兄弟がほかにいますので、彼らの教育にも気を配るとなると余裕がありませんね。」
ファリティナの話題が出ると、 部屋の雰囲気が少し変わった。セリオンは肌で感じて、部員の顔色をそっと窺う。
「そういえば。」
セリオンはアマンダの方に向き直り、目線を合わせた。
「先日は殿下の誕生会で、姉と何かあったようですね。詳しいことは聞いておりませんが、せっかくお招きいただいた席を乱してしまったことをお詫びいたします。」
そう言って、アマンダと王子に頭を下げた。
「あ、いいえ。あの。セリオン様に謝られることでは。」
アマンダが悲しそうに眉を寄せて、俯いた。
「うん、セリオン。謝罪は受け取るよ。アマンダの前ではあまり彼女のことを話さないでほしい。あれ以来、心理的苦痛になって、ひどく動揺してしまうんだ。」
王子がアマンダを庇うように言った。
アマンダが耐えるように、膝の上で、ギュ、と手を握る。
「ああ。それは。結局、姉には詳しいことを聞けずじまいだったので、リージョン嬢にお聞きしようと思っていたのです。」
セリオンが気遣うように甘い声を出して言うと、アマンダの手にぽたりと涙が落ちた。
アマンダ、と、誰かが呼びかけて、隣に座り、背中を撫でた。
貴族令嬢の矜持に欠ける。
セリオンは冷酷な嘲笑いを隠して、困ったように眉尻を下げた。
「いずれ私から顛末を話すことにするから、直接は聞かないでやってくれ。それと君には申し訳ないが、この部屋で彼女の名前はなるべく出さないようにね。彼女は執行部員でもないし、ここの執務に関することもない。できれば、ここの仲間たちとは距離を置いてもらいたいんだ。」
「畏まりました。そこまでお気を遣わせて申し訳ありません。」
「うん、いいんだよ。私たちは君さえここに加わってくれるなら。」
王子はセリオンに困ったような笑みを見せてから、優しげにアマンダを見た。
セリオンは高笑したいのを、奥歯で嚙み殺し、部屋を辞した。
あなたも、気をつけてね、セリオン。
ファリティナの不安に揺れる声を不意に思い出した。
「…姉様。」
廊下の窓から見える青空に向かって思わず呟いた。
誕生会であったアマンダとのやりとりは、ファリティナに何一つ聞いてない。アマンダに会うまで、思い出しもしなかったことだ。
公爵令嬢であり、周囲からの評判もいいとはいえないファリティナが、令嬢同士の失笑の種になることは珍しくない。セリオンの耳に直接入ることは滅多にないが、今回は場所が場所だけに目立った。
その周囲にいた知り合いから、概ねの顛末を聞いている。
本来ならば、ファリティナが無礼を働かれたと怒って然るべきことだ。だが、そうはならないだろう、との予想も簡単に付いた。
アマンダ=リージョンは王子の恋人であり、いずれ卒業とともに寵妃となる、ともっぱらの噂だ。
今回の騒ぎはその信憑性に拍車をかけた。事の真相をファリティナ側に問いたださず、アマンダの主張を取り入れた形になったからだ。
王子を中心とする現在の執行部は、いずれ王子の側近となり、王国全体の執務に携わる事が前提になっている。
その中に、本来の婚約者であるファリティナは排除され、恋人であるアマンダが重用されている。
そして、グランキエースの嫡男のセリオンが呼ばれた。
気をつけて。セリオン。
ファリティナは言った。
「グランキエースは、未だ若い継嗣と、公爵代理しかいない張りぼての公爵よ。そしてこの背任行為。周辺の盟主たちが気づいていないはずはない。とくに、我が領の隣になる叔父様たちが知らないはずないのよ。」
「なぜ、言ってこないのでしょう。元は自分の実家となる公爵家ですよ。もしかしてお母様には、なんらかの注意勧告があったのでは。」
「あったかもしれないわね。でも、改められるほどの警告ではなかった。私だったら、私が、叔父様のグランキエース伯爵家だったら、止めることはしないわ。こんな稚拙なこと、すぐにわかってしまう。となると簡単なことよ。公爵家とは無関係になって、綻びが出た時に、その関係を高く売るわ。」
「売る?」
「ええ、一番高く買ってくれるところに。私が婚約関係を解消されないまま王家に嫁ぐなら、王家に。私を追い落として、王子を取り込みたいと考えている勢力があればそちらに。」
セリオンが目を丸くして、ファリティナを見た。
あれほど、契約があるので婚約関係は大丈夫だと豪語していたファリティナがそんなことを考えているなんて。
「どちらにしろ、高く売れるタイミングを計っているのでしょう。あとは、王子が私達の婚姻をどう感じているのか。心情的、生理的に無理であれば、いくら契約があっても割り切って成婚するのは嫌でしょうね。」
そう言って、少し唇を舐めた。
心労と睡眠不足で肌も唇も艶をなくしている。それでもその仕草は妙に煽情的だった。
「今の状況なら、婚約の解消を狙ってくる可能性は高い。そう思うでしょ?」
「アマンダ=リージョンのことですか?」
ファリティナは頷いた。
「噂は社交界にも広まっているようね。合わせて私の悪評も。王家は私を切り離しに来たのだと思っているの。そして、あなたは残したい。だから執行部の辞退はできなかったのではなくて?」
ファリティナの洞察に、セリオンはうすら寒くなる。ほとんど夜会にも出ないファリティナがどうしてわかるのだろう。
「この状況を誰が一番、高く買うのか。グランキエース伯爵家はそれを待っているんじゃないかしら。あなたは必須なのよ。だってその才能、他には出せないじゃない。自分たちの寝首を掻かれるのも嫌だし。かと言って今のままならあなたごと断罪する要素もない。だからね、」
ファリティナはピタリと目を合わせた。
「気をつけて、セリオン。王都に戻ったら、あなたは忙しくなるでしょう。次期公爵に取り入ろうと沢山の人が寄ってくる。今まで以上に。高く買ってくれる勢力に取り入れられるならまだいい。グランキエース公爵家と道連れに命を落とすことだけはしないで。それくらいなら、意地も誇りも捨てて、誰かの傀儡になった方が良いわ。あなたの才能は誰にも潰せない。この醜聞が時とともに薄れてきたら、きっと返り咲ける。」
ファリティナは笑った。
「私を切り捨てることを躊躇しないで。あなたに限ってそんな感傷的なことないとは思うけど。そんなことをするくらいなら、グランキエースが少しでも良い条件で生き残れることを考えて欲しいの。」
「私をなんだと思ってるんですか。あなたを見殺しにして、ジェミニやほかの兄弟が納得するわけがない。切り捨てられるのなら、全員で落ちます。命さえ残れば、貴族としてでなくとも返り咲きますよ。その間に兄弟たちに恨まれて刺されでもしたら、元も子もない。」
冷血漢の見本のように思われていることに不満を露にしながら、セリオンはファリティナに言った。
ファリティナは笑っているだけだった。
儚げで。
それでいて、しなやかな強さを、秘めて。
「…くだらない。」
学院ごときの茶番に付き合う時間などない。
サイリウムに残した兄弟たちのために、セリオンは美しい微笑みの仮面をつけた。