16 罠
居心地の悪い王子の誕生会も時間の半分を過ぎて、ファリティナは立ち上がった。
そろそろ帰ろう。
明日の出発のために、ジェミニには早寝をさせるつもりだし、ジュリアンとセアラの荷物も一緒に確認しておこう。
こんなくだらない茶会に参加するより、よっぽどましな時間の使い方だ。
そう思い、背筋を伸ばしたところで王子から声がかかった。
「楽しんでいるかな。」
何をわざとらしい。ファリティナは鼻で笑いたいのを我慢して、おっとりと微笑むだけで返した。
誕生日のお祝いはすでに伝えたし、義理として半分は滞在した。中座しても良い頃だ。
「お招きありがとうございました。申し訳ないですが、明日、遠方へ向かうためにこのまま退席をお許しください。」
「え?帰ってしまうのかい?今からダンスが始まるのに。」
そんなもの、隣に侍らせている公妾と共に楽しむといい。正式な夜会でもなし、咎める大人はいない。
そういえばここ一年踊ってもいない、とファリティナは気づいた。一年前のこの頃は次年度の執行部が決まり低い身分ながら、執行部入りを果たした男爵令嬢の噂で持ちきりだった。
この誕生会には呼ばれていなかったが、王子やセリオンも認める優秀さで、内心歯噛みしたものだ。
「少しだけ、時間をくれないかい。アマンダが君と話がしたいと言っていて。」
王子は隣に侍るアマンダ=リージョンの背中をそっと押した。
ファリティナは微笑みを崩さず、頷いた。
王子はアマンダを優しく見つめて何か囁いた。アマンダは頬を染めて見つめ返し、頷き返した。
なんなのかしら?仲がいいことを見せつけに来たの?こんな公衆の面前で。
なんて恥知らずな。
あ、こう言う立場を当て馬というのだわ。最近流行りの断罪ものの小説に良くあるやつ。やだ、私、ぴったりじゃない。公爵令嬢といいこの性格の悪さといい。
沸沸と湧いてきた苛立ちを抑えるために、ファリティナはできるだけ客観的に自分を見るように視点を変えた。そして少しだけ、底意地悪く思い直した。
いいわ、当て馬。ちょっとだけ乗ってあげるわ。追い込まない程度にね。
追い込むと人間、ろくなことしないから。
「それで、何か御用かしら」
王子が他の人の輪に入ったのを見て、ファリティナはアマンダに話しかけた。
先日のモドリ港での宴の礼でも言うつもりだろうか。
「あの!わたし、ファリティナ様とお友達になりたくて!」
まあ、とファリティナは眉を上げた。
名前で呼ぶ許しを与えていない。
「なぜ?」
ファリティナは心底不思議そうに聞いた。
「え、なぜって」
聞き返されたことが意外だったようで、アマンダは逆に驚いた。
「なぜ、私とお友達になりたいのかしら?」
「ダメなんですか?わたしのような身分の低い者とは仲良くなりたくないと?」
「そうではないけれど。私とお友達になって、何をなされたいの?あなたと私はあまり接点が無いように思います。」
「だからです!今まで接点がなさすぎたから、気になることがあっても言えませんでした」
「気になることとは何かしら?」
「学院に来られないことです。ギデオン様も、弟のセリオン様もあなたの行動に困ってらっしゃるのに、直そうとはなさらないから」
「だから、友達になって私の行動を正そうと思ってらっしゃるの?」
「はい!」
思わず失笑に頬が揺れた。
なんて傲慢な。
「ファリティナ様はお友達があまりいらっしゃらないから、学院に来にくいのではありませんか?わたし、お友達になります。執行部のお部屋にもいつでもいらっしゃってください。皆さん、いい人ばかりです」
本気で言っていると分かって、耐えきれず笑い声が漏れた。
「結構ですわ、アマンダ=リージョン嬢。私にお友達は必要ありませんの」
「え・・・・・・。」
「今の学院生活に不満もありません。私は自分で望んで登校していませんの。それで困ったことがあるわけではありませんし」
「ご婚約者のギデオン様は困ってらっしゃいます!」
「私は王子殿下のために学院に入ったわけではありませんのよ」
そういうと、アマンダはひどくショックを受けた。
「酷い。なんて自分勝手なの」
「そうね、そう見えるかもしれないわね」
「婚約者であるギデオン様があなたの悪評に困ってらっしゃるのよ!身を慎もうと思わないの?」
「悪評が事実ならそうした方がよろしいのでしょうけど。ではあなたはご自分の行動を慎まれないの?」
ファリティナが学院に現れないことをいいことに、王子の恋人だと噂されるのは悪評ではないのか。
そんな噂が立つほど二人の距離は近く、始終一緒にいるということだ。
アマンダの目が怒りで光った。
「どういう意味ですか⁈」
「王子殿下の恋人と噂されていることですわ」
「あ、あれはみんなが勝手に!それで嫉妬してこんな意地悪を言われるのですか⁈」
感情が高ぶり過ぎたのか、アマンダの目に涙が浮かんで、声が震えた。
ファリティナは冷めた目で、チラリと見てため息をついた。
自分から突っかかってきておいて、状況が不利になると涙を武器にするとは口ほどにもない。
貴族の矜持に欠けるその態度に、不愉快が隠せなかった。
不愉快に顔を歪ませるファリティナの前で、アマンダは俯いて、嗚咽を漏らし始めた。
聞き耳を立てていた周囲がざわつき始める。
アマンダが泣き始めたのを見て、誰かが慰めるように肩を抱いた。
ああ、嵌められたわ。調子に乗って当て馬をしようなんてしなきゃ良かった。
ファリティナは、冷静に思った。
これで学院の生徒たちはみんなアマンダの味方についた。
さしずめ、自分は小説に出てくる悪役令嬢だ。当て馬から悪役に昇格してしまった。望んでもいないのに。
「どうしたんだ?」
王子が顔色を変えて、騒ぎの中に飛び込んできた。
嗚咽を漏らすアマンダとファリティナを見比べ、眉を寄せた。
「どうしてこんなことに。何があったんだ、ファリティナ嬢」
固い声でファリティナを詰問すると、アマンダが堪えきれないように、わあ、と泣いて蹲った。
王子が慌てて、アマンダを支えようと一緒に蹲る。
ファリティナは腰を落とし礼をした。
「場を乱してしまい申し訳ございません。これ以上私がいるとせっかくの楽しい宴が台無しになるようですので、退出させていただきます。詳細はどうぞ、アマンダ嬢にお聞きください。」
そう言うとファリティナは宴を出て行った。