1 悪夢
ファリティナは悪夢を見た。
妙にリアルな夢だった。
この国で最も高位にある貴族の長女に生まれたファリティナは第二王子の婚約者だった。幼いころから密かに憧れていた王子さまだった。だが、貴族学院の卒業をひと月後に控えたその日、ファリティナは学校内で拘束され、鞭打ちの拷問を加えられて毒杯を飲まされて処刑された。
ファリティナが拘束された罪状は同級生の女生徒を執拗に虐めた事だった。
たしかに彼女のことを疎ましく思っていた。
男爵家という低い身分でありながら、その優秀な成績を買われ学院の執行部に選ばれ、王子を始めとした高位貴族の令息たちにちやほやされていたのが気に食わなかった。
公爵令嬢のファリティナは執行部に入れなかったというのに。
その嫉妬心から、女生徒に嫌味を言ったり、睨みつけたりはしたが、命を危険にさらすようなことはしたことがなかった。
だが、それを罪状として拘束されたのだ。
持ち前の気位の高さで無罪を訴え、偽りの訴状を出した女生徒を呪詛したが、面会に来た婚約者である第二王子からは侮蔑の目で見られ、新たな罪状を言い渡された。
生家、グランキエース公爵家の王家への裏切りである。
グランキエース公爵家は貴重な鉄鋼資源とその土地が生み出す薬効の高い生薬を、王家を通じて王国全体に行き渡らせることを生業にしていた。
だが、その生産の半分をある貴族の家に渡していたのだ。そしてその貴族家が闇商法にて国内外に売っていた。
その貴族家は、グランキエース公爵夫人、すなわちファリティナたちの母の愛人だった。
公爵家はファリティナたちの父である当代当主が亡くなり、グランキエース公爵夫人が当主代理を務めていた。
母は父亡き後、愛人のために公爵家を裏切り、王家との契約を反故にしたのだ。ファリティナの愚かな振る舞いによって隠微していた公爵家の背任行為は公表され、ファリティナは母と兄弟たちと共に処刑された。
ファリティナが18歳、卒業後すぐにと約束されていた第二王子との婚儀のひと月前だった。
その夢を見たのは、ファリティナが15歳の時だった。
なんて悪夢なの。
ファリティナは冷や汗が止まらなかった。
夢にしては生々しい。そして自分の身の内にある悪意を体現したような夢。
ファリティナは1年前に貴族学院に入学していた。そして、先日、執行部の選出から外されていた。執行部には王子とその側近、そして件の男爵令嬢が含まれていた。
わたしは、死んでしまうの?
あんな惨めな死に方で。
誰にも顧みられず、疎まれて。
拘束されたファリティナの元には家族が面会に来たが、どの人も口汚くファリティナを罵った。
一番、ファリティナの心を抉ったのは、弟のセリオンだった。
前妻の子であるお前さえいなければ。
愚かなお前さえいなければ。
亡くなってしまった父親にそっくりな顔で罵られたことを思い出して、ファリティナは心の奥底がじくじくと痛んだ。
セリオンは公爵家の嫡子。
幼い時より鬼才と名高く、異母姉の自分をどことなく蔑む雰囲気はあった。
ファリティナにはセリオンの他に四人の弟妹がいたが、どの兄弟とも親しくはない。
ファリティナの母である前妻は、グランキエースとは派閥の違う伯爵家の娘で、養母は子爵家出身で元はメイドだった。亡きグランキエース公爵は前妻の生前から関係を持っていて、前妻が亡くなった後すぐに今の後妻を娶った。
そのためファリティナの生母の実家からは蛇蝎のように嫌われ、実質グランキエース家とファリティナの生母の出身家であるレミルトン家は絶縁の状態にある。
高位で領地もあるグランキエース公爵家にとって下位家のレミルトンの嫌悪はあまり問題にならない。レミルトンが所属しているコンスル公爵派閥との関係が安定しているため、レミルトンとグランキエースの問題は家庭内の問題として、大ごとにならないでいた。
家庭内でもあまり問題になっていない。というのも、公爵家は大きく、子どもたちにも平等に予算は配分され、特に王子妃になる予定のファリティナにはそれなりの教育と環境を与えられているからだ。
たとえ、母親が違っても、公爵家としての責務と自覚があれば特に問題にされていない。
夢を見るまで、ファリティナはそう思っていた。
だが、夢の中のセリオンの言葉は殊の外ファリティナの心を抉った。
自分には公爵家長女としてしか価値はない。
今までそれが誇りであり、その役割を果たす自分に自信を持っていた。
だが、その地位が落ちた時、自分に何が残るのだろう。
今まで誇りに思っていた地位が急に脆く、空虚なものに思えてきた。
地位は地位としてあるだけで、あとは何もない。
公爵家の裏切り一つであっという間に命まで取られる。
ファリティナのために命乞いをしてくれる人はいない。
そのことに気づき、ファリティナは背筋が寒くなった。