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始まりの光

 風に波打つレースのカーテン。差し込む朝の日差し。これだけだったら、長閑で、美しい、気持ちの良い朝の目覚めだっただろう。しかし、現実は目覚めるのが憂鬱で、頭を抱えたくなる朝だ。

 聞こえてくる父の悲鳴、窓の外からは民からの怒声が響いている。こんな筈ではなかった…


 四年前、あの女神と見まがうエルドグリースの娘によって、エルドグリースの旗が宮殿にはためき、我が王国は降伏せざるを余儀なくされた。その一件によって、当時国王であった父は、恐怖とショックのあまり発狂してしまい、敗戦の処理が終わると同時に生前退位。私が即位することとなった。

 本当は国王になどなりたくはなかった。しかし、私以外にいなかった。私の妻マリアンヌは、ルリラ皇国の先代の皇帝であった女帝マリーナ・ロートリンゲンの娘であり、事あるごとに戦争を繰り返し、不俱戴天の仇の関係であった我が国と皇国、その闘争の歴史に終止符を打つ平和の象徴であり、その夫たる私が、国王となる以外の選択肢はなかったのだ。

 最も、完全な政略結婚であり、初の顔合わせが結婚式ではあったが、私はマリアンヌに初めて会ったその時から、恋に落ちた。絶世の美女(当時は美少女だった)である彼女は、美しいだけでなく、聡明であった。彼女の母である女帝マリーナは、私と彼女の結婚が決まった時、元々は彼女こそ、自分の後継者に相応しいと思っていたと愚痴を零していた程で、それは、私も同じ感想を抱いた。彼女は、私とは違い、生まれ持った王の資質があった。

 目立つのが嫌いな私と違い、彼女は社交界の華であり、いつもその中心にいた。そうなれたのは、地位や容姿だけでなく、彼女の持つ不思議な魅力によるものだった。きっと、彼女は容姿が醜く、身分も低かったとしても、人々の中心となれただろう。そんな気がする程、言葉に出来ない魅力があった。

 しかしその反面、彼女への恨みや妬みも多かった。特に多くの婦人たちからは、蛇蝎のごとく嫌われていた。そのせいで、聞けば耳が腐る様な根も葉もない噂や中傷を流布されている。

 

 即位後、一番最初に頭を悩ませたのは、財政だ。これ程までに悲惨な状況であるとは思ってもみなかった。崩壊寸前、いや、疾うの昔に崩壊していたのだ。始めは、先の敗戦、その諸費用と賠償金によるものだと思っていた。しかし、調べれば調べる程、積み上げてきた負債の多さを知った。そもそもの発端は、四代前、ドドル王国絶頂期とも呼ばれる時代から始まっていた。大陸で最大の人口を誇り、軍でも最大の動員数を誇るドドル王国は、当時、農業中心の経済であった大陸で、いち早く商業に重点を置き、莫大な資金と人口を背景に、各地で戦争を繰り返していた。まるで栄光の輝かしい時代の様に、貴族だけでなく、市民たちも、その時代を讃えるが、その頃から既に財政崩壊の序曲は始まっていた。

 戦争は、とんでもなく金が掛かる。それを、何度も繰り返していては、どんなに潤った財政も、すぐに枯渇する。それだけではない、戦争は兵を必要とする。市民たちが、兵として戦場へ赴く間、人手不足となる。当然、戦争なので戦死者や負傷者も出る。そうすれば、生産力も減り、税収も減る。税収が減ったので、賠償金を国庫を潤そうと、戦争を吹っ掛け、戦争の為に増税する。それに気付き、戦争を辞めようとした王もいた。しかし、大陸中から恨みを買っており、先代たちは外交と財政共に完全なる負の連鎖に陥っていた。

 その連鎖を断ち切るべく、私とマリアンヌの婚姻があったというのに、父は、配下の貴族の甘言に騙され、ルユブル王国へと侵攻した。結果は敗北、更なる財政崩壊。この状況を建て直すのは不可能に近くなっていた。王家は節制を行わなければならなかった。あらゆる無駄を排除し、浪費を無くす。生活水準を落とすことは、辛い。それでもやらねばならなかった。そんな節制を最も先頭に立って行っていたのは、妻マリアンヌだった。生粋のお姫様である彼女が、使用人たちよりも節約を心掛けていた。それなのに、彼女に、無駄を咎められた使用人たちからは反発が強かった。

 そんな背景の中、私の下に寄せられる意見書に、まともなものなど一つも無かった。只でさえ、戦争による増税で苦しい生活を強いた民に対し、更なる増税を求める愚かな貴族や、マリアンヌに対する悪評を書き連ねたもの。己の利しか考えていないのがよく分かる。

 特にマリアンヌに対する悪評を書き連ねた投書などは、悪意の塊でしかない醜悪なもので、下らない、そう割り切って無視することにしているが、それでもやはり、ただでさえストレスばかりの私の心を荒立てる。


 苛立ちを治める為に、私は錠前を作る。幼い頃からの唯一の趣味であり、錠前を作っている間だけは、醜い悪意に満ちた世界に鍵をかけ、自分だけの世界にいる様な解放感があり、心を安定させてくれる。

 自分だけの世界に没頭していたが、それも終わりがくる。完成した錠前を机に置くと、また現実へと戻される。自虐的な溜息をつき、引き出しを開け、錠前を手に取る。もう入るスペースが無くなってきたな…我ながら呆れる程の数の錠前を作ってきた。この引き出しがいっぱいになるのは何度目だろう。

「全く、情けない王だ。」

 華やかな世界が嫌いで、こんなことをして現実から逃れる、そんな凡庸な男が一国の王というのだから。

「あら、そんなことはないわよ。」

 突如聞こえた声に、飛び上がる程驚きながらも、その声の主を見る。

「あまり驚かせないでくれ。マリアンヌ、また隠し通路から来たのかい。」

 最愛の妻マリアンヌが、私の部屋と彼女の部屋を繋ぐ隠し通路からやって来たのだと、すぐに分かる。彼女は、私の部屋に、ちゃんと正面から入ったことはないのではないかと思う程、この隠し通路からやって来る。一度理由を訊ねると、『部屋を出て、貴方の部屋に行くとしたら、何人も人がついて来るでしょう。それじゃあ本当に話したいことなんか、話せないわ。』と答えた。私との二人だけの時間を大切にしてくれているのだと分かり、それを咎める気は全く起きなかった。

「ええ、少し共有しておきたい情報があってね。」

 皇女として生まれ、王家に嫁いできた生粋のお姫様である彼女は、その言葉遣いや作法、立ち振る舞い、その全てを完璧にこなす能力があるし、その様な振る舞う。しかし、私と二人だけの時は、この様に砕けた話し方をする。彼女曰く、『息抜きは必要。』ということらしいが、それが私は嬉しかった。

「良い話…ではないようだね。」

 彼女の表情から、更なる厄介事だと察する。

「残念だけど、正解よ。首飾りの件、覚えてるわよね。」

 『首飾りの件』、忘れるわけがない。マリアンヌの名を騙り、詐欺を働いていた貴族の夫人を逮捕した件だ。昨日出た裁判の判決は、窃盗と詐欺の罪で有罪として収監された。本来であれば、王族の名を騙った時点で死刑でもいいのだが、名を騙られた本人であるマリアンヌが、死刑に反対した。

「忘れるものか!君の意見を尊重し、あの程度の罪で済ませたが、本来であれば国王命令で死刑にしていた。」

 思い出すだけでも腹が立つ。

「本当、貴方が私の意見を受け入れてくれて良かったわ。あの件、市民たちの間では、何故か私の陰謀って事になってるみたいよ。死刑になってたら、こんな反発では済まなかったでしょうね。」

 バルコニーの方を指しながら、マリアンヌが言う。今日のデモはそれが原因か。

「偽りの情報に踊らされるのは、貴族も市民も同じか…」

「貴族は政争、悪評の流布なんて最低限のマナーみたいなものじゃない。それよりも、市民が心配だわ。私が嫌われているとはいえ、普通に考えれば分かる様なことも、捻じ曲がった情報で意図的に操られているみたいで、気味が悪いわ。」

 まるで、扇動する者がいるようだ。マリアンヌは続ける、

「少し前も、似たような事が何度かあったわ。違和感があったから、色々使って調べてみてたんだけど…モバド人商人の出入が微妙に増えてるわ。全員、自由都市連合から来てる。」

 それが原因と決めつけることは出来ない。しかし、彼女は何かが引っ掛かるのだろう。

「良くない事が起こる気がするわ。最悪を想定して、兄様にもやんわりと伝えておいてもいいかしら。」

 兄様、というのは彼女の兄、ルリラ皇国の現皇帝フランツのことだ。

「最悪、がなにか聞いてもいいかい。」

 彼女の想定する最悪が、私の考えるそれと同じだとしたら、如何なる汚名を着ることになろうと、それを回避せねばならない。

「あまり言いたくはないけれど、貴方は知っていた方がいいわよね。嵐が来るわ。今まで、人間の歴史が始まって以来、最大の嵐よ。」

 抽象的な表現、彼女のその言葉の本当の意味を理解するのは、死の直前になるとは思っていなかった。



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 ルユブル王国の西部、エルドグリース領、その南部に位置する大陸でも有数の農業地帯ウックル。ここを攻略すれば、この戦争の勝敗は決する。ウックルを失ったエルドグリースに継戦能力は無くなる。エルドグリースが落ちれば、ルユブル王国に勝機は無い。

 ウックルの要塞に籠る敵兵の士気は低い。奴らにも、この戦に勝ち目が無いのが分かっているようだ。入ってきている情報では、既に脱走兵もかなりの数が出ている。明日の総攻撃が、最後の一撃となるだろう。

 そういう空気は戦場にも伝わるもので、配下の兵たちは、もう勝った気であり、略奪の取り分を堂々と話し合っている。俺が指揮するのは砲兵部隊、ウックルへ入るのはかなり後になる。その頃には先に突入した部隊に全て略奪された後だろう。絵に描いた餅で気分を高揚させる配下の兵を見て、軍を根本から改革する必要をひしひしと感じる。

 最も、どんなに考えようと、今の俺にそんな力は無い。所詮、ドドル王国の小貴族で一砲兵部隊の指揮官でしかない俺には、この情けない砲兵たちを上手く使い、戦果を上げる以外の道はないのだから。


 ドドル王国南東部に浮かぶコルセーン島、かつて四十年にも及ぶ独立戦争を行った末に、ドドル王国に併合された。俺の生まれた年のことだった。独立戦争時、独立闘争の指導者の副官を務めていた父は、ドドル王国側に寝返り、独立戦争終結のきっかけを作ったことで、併合後、新貴族と認められ、ドドル王国本土の貴族と同等の特権を得た。その後も、様々な人物に取り入り、更に島中での出世を果たす。

 父の出世欲はそこで止まらなかった。本土への足掛かりとばかりに、兄と俺を本土の士官学校へと送った。士官学校は四年制、兄は入学から卒業までの四年間をきっちりと学べる事になったが、俺は十一ヶ月間の短期留学扱いであった。

 士官学校へ入学して分かったことは、貴族共は煩わしいということだ。ついこの間まで敵だった領地からやってきた、しかも寝返りの報酬で貴族になったということで事あるごとにちょっかいをかけてくる。それがどうしたというのだ。それは父が全てしたことであり、私には何の関係もない。逆に後ろ暗いことが無い貴族がいるのか?いないだろう。勿論、そんなことを言ったところで話が通じる連中ではないので、無視を決め込み、勉学に勤しむ。

 そもそも、俺はこいつらとは違う。この身に宿る魔力は、突然変異によるものなのか、大貴族にも勝るとも劣らない。そして、誰にも、親や兄弟たちにさえ伝えていない、俺の秘密。それが特異体質なのか、才能なのかは分からないが、ある匂いを嗅ぎ取れる。

 初めは、父から嗅いだことのない、不思議な匂いがした。臭いというわけではない、寧ろ、特殊な香水なのだろうかと思う様な匂い。この世に存在しない匂いだ。

 その匂いがしてから、親父は出世していく。その後も、街であった貴族からその匂いがすると、その者は出世していく。そして俺は気付いた、後に権力を握る者の匂いが分かるのだと。残念ながら、この士官学校にその匂いを発する者はいない。ならば、取り入る必要など微塵も無かった。


 士官学校では、数学の成績が断トツで良く、砲兵科を勧められた。勧められたというよりも、半強制的に決められたと言った方がいいだろう。士官学校には、歩兵科、騎兵科、砲兵科があり、花形であり、人気のある騎兵科と、軍の基礎となる歩兵科は出世の近道であり、騎兵科は上流貴族、歩兵科は中流貴族が占めており、俺の様な小貴族は砲兵科へと送られることは決まっていることだったのだから。砲兵は評価されない。魔砲の威力を理解しながらも、戦の中心は騎兵と歩兵という認識は、未だに変わっていなかった。

 とはいえ、俺はこの学校に十一ヶ月しかいられない。学校も、その短期間で必要な全課程を修了出来るとは考えてなどいなかった。こいつらが四年でやることを、俺は与えられた期間で終わらせてやる。俺はこいつらとは違うということを証明する為、死に物狂いで勉学と訓練に励み、見事達成した。卒業席次は、後に知ったが五八人中四二位、短期間で終えたことを考えると、優秀な方だろう。そもそも、士官学校で学ぶことは基礎だ。応用出来なければ、何の意味もないだから、気にする必要など無いのだ。

士官学校を修了し、島に戻り、軍の仕事をし、読書に耽る日々、そんなある日、父から嗅いだこともない、不快な匂いがした。ギャンブル狂の父が本土へと旅行へと向かう日だった。

 数日後、一文無しどころか、多額の借金をして、父は帰ってきた。その後は、借金返済の為、重税を課したことで、領民の反乱、遂には家族共々、島を追い出されることとなった。


 ドドル王国本土のマルセンという地で、貴族とは思えない程質素な生活を送りながら、軍の砲兵部隊の職になんとか就くことが出来た。

 そして、二十六歳になった時、十八年も小競り合いを続けていたルユブル王国との戦争が本格的なものへとなり、俺も砲兵小隊指揮官として前線へと送られることとなった。。この戦争は俺の人生を大きく変える事となる。


 勝利を確信したドドル王国軍は、兵に十分な休息と食事を与え、総攻撃を仕掛ける。…仕掛ける筈だった。砲兵部隊へ一斉砲撃の指示が飛び、歩兵部隊は突撃準備を整える。要塞の門か壁が破壊されると同時に、追撃としての騎兵部隊も士気旺盛だ。砲兵大隊指揮官が指揮刀を構えた。

「撃っ…!!」

 指揮刀が振り下ろされることはなかった。それどころか、号令さえも発することが出来ていなかった。大隊指揮官は、何かを見て完全に固まってしまっていた。

 指揮官だけではなかった。要塞方面に目を向けていた全ての者たちが固まっている。異様な光景だった。何があるのか、若干の恐怖と、抑えきれない好奇心で要塞方面に目を向けた。


 女神がいた。要塞とドドル王国軍の間、目視出来るギリギリの高さに女神が降臨した。太陽が二つになったのかと思う程の後光が差した、ビーブラ教の女神アプロディタが降り立った。

 兵たちが皆、膝を突き、祈りを捧げていた。俺も無意識のうちに膝を突いている。神など信じていなかった。寧ろ、神という概念を利用し、己の欲望を満たす教会の者たちを唾棄していたというのに…

 皆が声にならない歓喜を上げるなか、俺は自我を取り戻す。島を追い出されるきっかけになった匂いがしたからだ。あれはエルドグリースが用いた奇策だ!どの様にしてあのようなモノを作ったのかは分からないが、そうに違いない。神など存在しない、そう、しないのだ!

「お前たち、何をしている!さっさと砲撃だ!」

 俺が檄を飛ばすが、その檄に立ち上がる者はいない。その直後だった、カッ!と強烈な光に飲み込まれた。


「ぐっ…はっ!何が起こったのだ!」

 目を開けると青い空が見え、自分が仰向けに倒れているのだと理解し、飛び起きる。

 一様に倒れた兵と馬たちのうめき声、折れた旗に車輪の壊れた魔砲の台車。惨劇の一言だった。驚くべきことに、身体に痛みも違和感もなければ、外傷もない。強いて言えば軍服が所々破れて、砂埃にまみれているということだった。

 戦場を見渡すが、何処も同じだ。何が起こったというのだ。まさかあれは本当に女神で、我々に裁きを下したと言うのか…

 突然、途轍もなく心地良い、安らぐ不思議な匂いが強烈に嗅覚を刺激する。心地良いのに刺激的、矛盾した表現だが、そうとしか表せない。能力で嗅ぎ取れる匂いは、普段ならすぐに消えるというのに、この匂いは、いつまで経っても嗅覚を刺激し続ける。いる、後ろにいる。この匂いの持ち主が俺の後ろにいる。

 恐怖、希望、歓喜、絶望、脳がぐしゃぐしゃになっていく様な感覚に襲われ。様々な感情が一斉に湧き上がる。振り向かない方がいいのか、いや、俺はここで終わる様な男ではないだろう?神は信じていないが、神が存在するとしたなら、寵愛を受けるのは俺だ。

「俺は、全てを変える、史上最強の男になるのだろう?そうじゃないのか、答えろ!」

 そう叫びながら振り向いた。


 俺の中の価値観や概念が一瞬で消え去り、新たな世界に達する。

「随分な野心家だな。お前がどうなるかなど知らぬが、野心を隠さぬその意気は面白い。」

 目が潰れそうな程の後光で、その顔は見えない。辛うじて見えたのは、その服装。エルドグリース家のものによく似た、真っ赤な軍服。女神が軍服を纏うのか…?

「野心や欲は醜き悪ではないのか?」

 経典に書かれていることだ、皮肉な笑みでそう疑問をぶつける。まやかしの神はどう答える。

「野心や欲は人を人たらせるもの、それらの無い人間など魅力が無いだろう?忌むべきは、己の欲で他を貶める者であり、他を排斥する者たちであろう。」

 後光の眩しさに目が慣れてくる。少しずつ見えてくる女神の姿。

「ならば、俺の野心も、欲も、肯定するというのだな!」

「それが道を外れたものでなければな。」

 考えることもなく、そう答える女神。

「道?お前言う道とはなんだ!?」

「己の定めた信念を曲げぬことだ。命を懸けて成すことを否定する気は毛頭無い。」

「お前を殺すと言ってもか?」

 そう言った直後、女神の姿が、俺の二つの瞳に鮮明に焼き付く。

「当然だ、我を殺せるならば、いつでも殺しに来るといい。しかし、我とて、易々と殺されはせぬぞ。」

 クックッ、と曲げた人差しを口に当て、笑う女神の姿。言葉が出なかった。

「愉快な奴だ。再度相まみえることがあったならば、その時も我を愉しませろ。」

 そう言い残し、女神は姿を消した。呆然と立ち尽くす。ようやく出てきた言葉は、

「美しい…」

 それだけだった。あの女神を殺す?なんと愚かな願望だ。殺すなど有り得ない。

 メラメラと燃え上がる野心。それは、女神に会う以前よりも強く、そして熱く燃え上がっていた。

「先ずは国、次に大陸を…全てが終わった時、女神は俺のものとならねばならない。」

 誰にも、己でさえも消すことのできない野望の炎が俺の中に宿る。この瞳に焼き付いた、女神の姿は、その時が来るまで、消えることも、色褪せることも無いだろう。

 

 このオーレリアン・ブオナパルテが歴史に鮮明に名を刻む、英雄譚の始まりであった。




----------------------------------------------------------------


 シャンバルへの道は長い。途中、村に寄って夜を明かしたり、馬車の中で夜を明かしたり、なにかするわけでもない、ゆっくりとした時間。そして何よりも、変わらない風景が私を退屈にさせる。

 四日目くらいから、あまりの退屈さに耐え難くなり、鞄に詰め込んでいた魔石を弄り初めていた。アンナさんはそんな私の手元を興味深そうに見つめている。初めて親父の作業を見た時の私も、あんな風に見つめていたなぁ。あの頃はまだ親父への尊敬の念あった。その後すぐにそんなものは消え去ったけども。

「あ、そうだった!」

 魔石に魔力を注ぎ込んでいた時に大切なことを思い出し、つい声に出してしまった。そのせいで、アンナさんがビクッと反応している。

「ご、ごめんなさい。」

「い、いえ、大丈夫です。」

 驚かせる様な声を上げてしまった事を詫びると、アンナさんは軽く咳き込みながらそう答える。いけないいけない、すっかり忘れてしまってた。鞄の中に手を突っ込み、革袋を取り出す。そうだった、これを使わなきゃ。

 親父に言われた通りに、革袋の中で魔石を握る。頼りになるのは指先の感覚のみ。

 …ダメだこりゃ。全然分かんないや。魔力の注ぎ込み過ぎで、魔粉となってしまった魔石が革袋の中でさらさらと指に触れる。

 魔導石が魔粉へと変わる直前の、一瞬の感覚。親父はそう言っていたけど、さっぱりだ。そんな私を、不思議そうに見つめるアンナさん。

「何をなされているのですか?」

「ええっと…―」

 親父から受けた説明を、私の言葉に置き換えて説明する。そんな私の話を、アンナさんは頷きながら聞いている。この旅路の退屈な時間を紛らわす為に、アンナさんさんは良い話し相手だった。


 アンナさんは現在十八歳、華の乙女騎士だ。生まれはエルドグリース領南部、ウックル。あの戦争の最前線となった地で、一人の少女として戦争を経験し、戦後、愛する故郷を守るべく騎士を目指したらしい。

 アンナさんは、自身の身の上を話していた時、少し照れくさそうに言った。

「私、あの戦争で女神様を見たんです。敵の総攻撃の目前、一市民として避難している時に光輝く女神様が降臨されたんです。」

 頬を紅潮させながら、

「その時思ったんです。私の愛する故郷は、女神様に守られている。女神様が味方でいるのなら、正義は私たちにあるのだと。だから、騎士になって女神様が示してくれた正義を守るんだって、その時誓ったんです。」

 その女神が、エルドグリース家の末子、アプロディタ様であったと彼女が知ったのは、騎士団に所属した後らしい。

「じゃあ、いずれウックルに戻るんですか?」

 愛する故郷、彼女にとってそれは、美しい街並みのヴィドノではなく、田畑の広がる長閑な農村部ウックルであるということだろうし。

「ええ、ヴィドノで経験を積んで、いずれはウックルへ配属してもらえるようにお願いしてます。希望なんか出さなくても、ウックルは防衛の最前線ですし、人手はいくらあっても足りないので、どのみち戻ることにはなってるんですけどね。」

 自ら進んで最前線の勤務を希望する、それが愛する故郷であったとしても、私なら断固拒否するだろう。そういう点でも、彼女は騎士として立派な人物だと私は思う。

「リリーさんは、生まれはコペイク島でしたっけ?」

 徐々に打ち解けていき、彼女に私から堅苦しい呼び方をやめて貰うようにお願いして以来、リリーヤ嬢からリリーさんに呼び方が変わっている。こっちの方が落ち着くというのは、貴族としての威厳が無いのだろうか?元からないけどね。

「はい、畑と海が遊び場の何にもない所でした。ヴィドノを初めて見た時は感動しましたよ。」

 彼女と違い、私は故郷への愛着はあまり強くない。というより、愛着が湧く前にヴィドノへと来たのも一因だろう。

「あー、それは、分かります。私も一面畑の村から来たので、最初の頃は何度も迷子になって大変でした。」

「アンナさんもですか。私もずっと迷子になってたけど、我が家はある意味目印なのでなんとか辿り着くことは出来ましたね。」

 美しい街並み、そのせいで一際目立つボロボロの我が家は、迷子になっても見つけやすいのだけが、唯一の長所だった。

 私の言葉に、苦笑いするアンナさん。我が家のボロボロさが、ヴィドノの街で一つの目印になっているのは皆知っている。道に迷った時は、『あのボロ家があっちに見えるから』で方角や現在地を知ることが出来る便利な目印なのだ。

 当時、あんなボロ家でも、誰かの役に立つことがあるんだなぁ、と幼心に響いた。もっとも、そこに住み身としては、普通の家に住みたいと思うけれど。


 そんな風にアンナさんと話したり、魔導石を作る練習をしたりして、退屈な旅路を過ごしていた時、ふと思うことがあり、アンナさんに訊ねる。

「目的まで後、どれ位ですか?」

 ヴィドノを出てから五日、ようやく昨日、シャンバル手前の最後の村へ到着し、そこで馬を乗り換えた。深い雪道を歩くには、普通の馬ではなく、こういった寒冷地で育った馬でないと耐えられないからだ。

 シャンバルへ向かう為の馬は、体の熱を保護し、冷気から身を守る為なのか、毛が長く、もふもふとしている。それに加え、すらっとしていたそれまでの馬と違い、ぽてっとしていて何とも可愛らしい。性格も大人しいらしく、撫でている間も、何の反応もせずにじっとしていてくれた。

 そんな可愛い馬に乗り換えてから丸一日、アプロディタ様のいる所まではどれ位掛かるのだろう?

「そうですね…私も初めて向かう場所なので正確には分かりませんが、予定では明日の昼には到着している筈ですよ。もう少しの辛抱です。」

 成程、あと一日か。長かったなぁ。

「ところで、これから先、なにか面白い所なんてないですよね?」

 私の質問に、

「ないでしょうね。ずっと変わらない一面真っ白な世界です。」

 とアンナさんは、小窓をチラリと見て即答した。やっぱりか。親父はこの旅で、最高の経験をすると言ってたけれど、やっぱり噓っぱちだった。何もない雪景色を見ながらそう確信し、魔導石作りに励んだ。


 シャンバルへ入ってからというもの、騎士団は交代で休息を取りながら、昼夜問わず馬車は進んでいく。とはいえ、馬の休息は必要だ。明朝、騎士団によって雪が搔き分けられ、踏み固められた。そこに藁を敷き、馬を休ませる。団長のエルマチェンコさんからは寝ていても構わないと言われたけれど、すっかり目が覚めてしまった私は、防寒具を身に纏い、氷の大地に立っていた。

 見渡す限り広がる、雪と氷だけの世界。深い雪に覆われた世界の所々に見える山々、その隙間から覗く朝日が、白銀の世界を明るく照らす。馬車の中から見ていた時は、何もない、退屈な風景だと思っていたけど、防寒具を身に着けても、痛い程冷え込んだ空気の中見える景色は、とても美しかった。

「寒くないですか?」

 アンナさんが隣に来て、心配してくれる。

「大丈夫です。一応、防寒魔法も使ってるので。」

 少ない魔力で精一杯かけた防寒魔法は、体感気温を少しだけましにしてくれている。

「リリーさんのその体質、便利ですね。我々は魔力が多少多くても、消耗が激しいので、その様に常時発動することは出来ませんから。」

 白い息を吐きながら、アンナさんがそう言う。まあ、便利っちゃ便利だけ。

「人並みの魔力があれば、最高の体質ですよね。」

 雀の涙程も無い、あまりにも微弱な魔力では、有難味を感じることは殆どない。お互いないものねだりということだ。


 休憩も終わり、馬車に乗り込む。太陽はもう少しで、真上にくる、予定通りに進んでいるなら目的地はもうすぐだ。

 ゆっくりと馬車が進みだす。長い旅路もそろそろ終わる。この先で会うこととなるアプロディタ様は、どんな人だろう?私にとってアプロディタ様は、物語の中の人、空想上の人物であり、私の知る現実から、かけ離れた存在だ。だから、少し楽しみだった。物語の英雄に会う、子供なら誰もが夢見るシチュエーションだろう。

 アンナさんも、再びアプロディタ様の姿を見れることに心を躍らせているのか、昨日までよりもテンションが高く、ウキウキとしているのがよく分かる。

 彼女にとってアプロディタ様は、憧れであり、信仰に近いものを抱いている。そんな人物にお目通りするのだから、その時間が一瞬であろうと嬉しくないわけがないのだろう。

「アンナさん、楽しみですね。」

「ええ、この日をどれ程心待ちにしていたことか…」

 まだ会ってもいないのに、感動の涙を流しそうなアンナさん。かつて、ビーブラ教の全盛期には、教会の力は絶対で、あらゆる権力者の上に、教皇が立っていた。教会が一番の権力者であった時代は長く、国王や皇帝の力がそれを上回ったのは、長い歴史の中で見れば、ごく最近のことだ。

 教会の力は弱まったとはいえ、未だ健在だ。田舎では依然として熱心な教徒が多く、都市部では以前に比べ信仰心が薄れてはいるとはいえ、貴族たちも、市民も、王でさえその信徒であるのだ。

 農村部出身のアンナさんは、ヴィドノ生活の方が長い私と比べて信仰心が強い。敬虔なビーブラ教徒であり、神の力を信じている彼女にとって、窮地を救った女神と瓜二つの女性を、本物の女神と錯覚してもなんらおかしくない。

 胸の前で手を組み、祈りを捧げる彼女を見ていると、教会って安定した就職先になるのかもしれない。と、何とも罰当たりな考えをしていた。


「速度を上げろ!」

 エルマチェンコさんの声が聞こえた。尋常ではない焦った声だ。何事か?と私もアンナさんも構える。

「リリーさん、ここを動かないで下さい。この馬車は魔力で強化されてますので、外よりも安全です。私は、何があったのか、確認して―」

「グォォォォォォッ!!」 

 アンナさんの言葉の途中で、地響きの様な唸り声がビリビリと速度を上げた馬車を揺らす。

 小窓から見えたのは、風景に溶け込む様な白い体毛の巨大な熊。距離は離れていると言うに、馬車の中からでも分かる巨体と恐ろしい程の魔力。強い、多分ここにいる誰よりも強い。あんなのを相手にするなんて、絶対に出来ない。エルマチェンコさんの判断は正しい、強力な魔法生物に人は勝てない。逃げるしかないのだから。

「大丈夫…大丈夫です。私がお守りします。」

 私の右に座り、右手を腰の剣に伸ばしながら、左腕で震える私の肩を抱くアンナさん。私だけではない、彼女の手も震えていた。そして、私と、自分に言い聞かせる様に何度もその言葉を繰り返している。

 本来ならば頼もしいその腕も、今はか弱い、私と同じ一人の女の子の腕だと感じる。


 馬車を引っ張る馬たちも、命の危機を感じて全力で走る。それでも熊の方が早い。熊は最強の捕食者だ。その強靭な肉体に反して臆病な性格だと言われるが、攻撃に転じた場合、その力は遺憾なく発揮される。

 迫る絶望感、迫る死の恐怖。徐々に追いついてくるその姿に、体がガタガタと震え、涙が溢れてくる。 

 死が、その恐怖が私の背に手を伸ばしてくる。そんな錯覚が私を襲う。私の肩を抱くアンナさんの手に痛い程の力が入る。

 彼女だって、私と同じ様な恐怖を感じているだろうに、本当に命を賭して私を守ろうとしてくれている。


 心強い味方が守ってくれていても、恐怖は薄まる事は無い。恐怖のあまり、目を閉じようとした時、小窓から光が見えた。

 それは、比喩でもなんでもない、彼方にあっても強烈な輝きを放つ、光を私は見た。




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