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優しい人々

「い、今なんと…?」

 信じられない名前が聞こえた気がする…いや、聞き間違いであって欲しい。

「初めて聞いたのなら驚くのも無理もないか…お前はアプロディタに会いに行くことになる。」

 聞き間違いではない。つまり、戦後すぐに消息を絶った大英雄、アプロディタ様がシャンバルに居て、そこへ私が、魔力を吸収し、最悪死に至らせる恐ろしい魔導具を届けに行くってこと?それに、さっきのグスタール様の言い方だと、アプロディタ様がシャンバルにいることを親父も知ってたって事だよね!

 ダメだ、どう考えても暗殺としか思えない。そもそも、救国の英雄が流刑地であるシャンバルに居るということ自体に闇を感じるのに、そこへ悪意の塊の様な魔導具をしかも十数個も持って行くって…完全に暗殺だよね。

 アプロディタ様について私の持ちうる情報は、私と同じ特殊体質で、女神と瓜二つの外見に桁外れの魔力、そして、国王をも凌ぐと言われる大貴族エルドグリース家の末子であり、現当主サムイル様の溺愛を受け、後継者となりそうだったが、アプロディタ様本人が、それを拒否する宣言をした(したのか、させられたのかは分からない)。そして、その数年後には、救国の英雄となった。

 情報を整理していくうちに、一つのストーリーが私の中で作られた。

 アプロディタ様は、サムイル様の子どもの中で唯一の女性であり、本来であれば生まれてすぐに許婚を決めていた筈だ。そうならなかったのは、桁外れの魔力のせいだろう。余りにも優れた血を他家に嫁がせることは、損失と脅威となる。故に嫁がせるという選択肢が出てこなかった可能性は大いにあるだろう。

 サムイル様の気持ち、私は女だから父親の気持ちというのは分からないけど、私の実父が私に対して結構甘かった事を考えると、女神と瓜二つの我が子に対して甘々になるのも頷ける。そして、その魔力、最も優れた者が家を継ぐという発想は実際にある(数百年前はそういう考えの方が多かったが、それによって家督争いが頻発し、多くの貴族や国家が衰退していったことで、母の身分と生まれた順で相続順位が決まることが多くなった)。そのことを考えると、アプロディタ様が当主となる正統性を主張することは一応出来る為、愛しい一人娘に継がせると言ってしまったのかもしれない。

 サムイル様のその発言の後に、エルドグリース家中でどんな取決めや話し合いがあったのかは分からないけど、騒動の中心人物の一人であるアプロディタ様が宣言を出すことで騒動は鎮火されることとなると同時に、べールナルド様が正式に後継者と決まった。

 ここで仮説が二つになる。

 そもそも、本当にアプロディタ様自身が継ぐ気が無かったのか、それとも継ぐ気はあったが、宣言を出さざるを得ない状況だったのか。

 継ぐ気が無かった場合、家中としては騒動も起きず、最も理想的な形でべールナルド様が後継者となる。一方で、継ぐ気があった場合、それを何かしらの方法でアプロディタ様に宣言を出させることとなり、禍根が残っているだろう。

 どちらであったにせよ、それ以降に何事もなかったならば、その宣言だけで良かっただろう、しかし、あの戦争で圧倒的な戦果を残し、英雄となってしまった。それによって、アプロディタ様の名も、実力も知れ渡り、人気が高まってしまった。そうなると、再び後継者問題が再燃してもおかしくない。それを警戒したエルドグリース家の策謀でシャンバルに幽閉したのだろう。しかし、それだけではすまなくなってしまう何かがあったのかもしれない。邪魔な英雄をいつまで隠しておけるのか、いつまで大人しくしているのか、そんな悩みを解決する手段、それは暗殺。バレなければ、エルドグリース家の生んだ英雄として名声はそのままで、家中の火種を消す手段となり得る。

 

 うん、我ながら良い推理じゃないだろうか。王族や貴族では後継者問題なんかでドロドロして怖いってよく聞くし、血の繋がった兄弟同士で血で血を洗う戦いをするなんてことも聞く。そういう点では貧乏で良かった。…しかし、暗殺ねぇ。戦況を一人でひっくり返すくらい強い英雄相手、実行犯は失敗したり、バレたりしたらただじゃ済まされないよね。仮に成功しても、真実を知る人間は邪魔だろうから間違いなく消されるよね。

 あれ?実行役って私じゃん!無理、無理だって!

「行きたくない!行きたくないです!」

 大金を得たって死ぬなら意味が無いし、そもそも死にたくない。恐ろしい真実に気づいてしまった今、この仕事を受けるメリットが無い。ああ、でもダメだ。真実に気づいてしまった以上、どっちみち口止めとしてここで殺されるんだ。

「と、突然どうしたのだ!?」

 行きたくないと泣きわめく私に、グスタール様が驚いた様に言う。

「嫌だ、死にたくないよー!」

「…お前、なにか勘違いしてないか?」

 へたり込んで泣き叫ぶ私に、グスタール様がなにかを悟った目でそう言った。


 ヒック、ヒックと嗚咽交じりに私の推理をグスタール様に披露した結果、

「子供の想像力は豊かというか…そもそも、訓練されたわけでもない子どもにローディを暗殺など出来る訳がないだろう。」

 呆れた様な苦笑いでそう言われる。

「だってぇ…あの魔導具がぁ…」

 涙で濡れる目をハンカチで拭いながら、魔力を吸収する魔導具が勘違いの原因だと伝える。そもそもあれが無ければ、こんな発想にはならなかっただろう。

「まあ、あれは確かに勘違いしても仕方ないか…普通は死ぬからな。」

 そう言うと、グスタール様はしゃがみ、私と目線を合わせる。

「確かに、私たちの様な普通の人間なら死ぬだろうな。だが安心しろ、ローディ…アプロディタはその程度では死なん。むしろ、どうやったら死ぬのかこっちが聞きたい位だ。」

「でも、あれいっぱいありますよ。」

 親父が作っていた正確な数は覚えてないけど、十数個あった筈だ。一個でも充分致死量なのに、そんなに大量に使ったら…助かる未来が見えない。

「十二個だな。大丈夫だ、問題ない。既にローディは十二個身に着けている。今回はそれの寿命が来たから交換する為に、ローディ自ら発注したのだ。」

「は?」

 グスタール様の言っていることのが分からなかった。

「ローディは桁違いの魔力を持っているが、平時ではあまりにも大量の魔力によって弊害があるのだ。故に魔力を抑える為に、あの魔導具が必要なのだ。」

 それって、桁違いとかそういうレベルじゃありませんよね?そんな感想を抱く私に、

「なので、何の心配もいらん。考えてみろ、英雄に会えて、金も貰えるのだ。良い仕事ではないか。」

 そりゃあ、そういう言い方したら凄く割の良い仕事っぽく感じますけどね。

「そりゃあ、有り難いですよ。高額な報酬も頂けるので。でも…」

 全然足りないんです。借金だけじゃない、私には入学金という目下の敵がいるのだ。

「金の問題か?先程も言ったが、その為にもシャンバルへ行くのだろう?」

 グスタール様の言葉にキョトンとする。そりゃあ、報酬貰うために行くんだけどさ、それだけじゃあダメなんですよ。なのでどうやってお金を稼ぐか考えているのに。そんな私を見て、グスタール様は溜息をつき、

「これも聞いていないのか…お前たちペチェノ家の借金は、全てローディが個人で立替ている。ローディなら恐らく入学金ぐらい出してくれるだろう。あいつにとって、借金が金貨の十枚や百枚増えた所で今更だろうしな。」

 新たな事実を聞かされ、つくづく親父は私に何も説明していないということを実感する。本当に何を考えているのだろうか、あのダメ親父は。しかし、仮にグスタール様が言う通りになったとしても、

「そんな、おんぶにだっこでいいんでしょうか?」

 私にも良心はある。将来への投資だとしても、自助努力もせずに、『お金貸して下さい。』がまかり通るのは違う気がする。

「それを決めるのはローディだ。まあ、どちらにせよ、あいつに会っておくのは無駄ではないと思うぞ。」

 確かに、結果はどうであれ、史上最強レベルの英雄にお目通りが叶うのは魅力的だし、伝聞でしか知らないその人に会ってみたいとは思う。でも、もしかして気難しい人だったりして、怒りを買ったりするかもしれないという不安はある。

「あの、アプロディタ様ってどんな感じなんでしょうか?」

 兄弟として、アプロディタ様をよく知るであろうグスタール様から少しでも情報を得たかった。

「どんな感じ…か。」

 ムー、っと腕を組み、考え込むグスタール様。なんと表現するべきか考えているのだろうか?

「そうだな、少し、いや、ちょっと変わっている。…違うな、かなり…」

 グスタール様の零す言葉に沈静していた私の不安が再燃する。身内からそこまで変人扱いされるって、大丈夫だろうか…

「かなりの気分屋だが、寛容性は高い。以前襲撃された時も、一瞬で無力化し、その後、大笑いしながらその暗殺者と食事を共にして、そのまま帰した位だ。大抵のことは笑って許すだろう。」

 それは、寛容というより、イカレてるんじゃないですかね。というより、その暗殺者は、きっと生きた心地がしなかっただろう。てか、やっぱり暗殺未遂事件起きてるじゃん!…まあ、そんな感想は心の中に留めておいて、

「そうですか…随分と寛容な心をお持ちの様で、少し安心出来ました。」

 安心出来るのは事実だ。明白な敵意を持っていてもそれくらいの処置なら、機嫌を損ねる心配もあまりなさそうだし。


 アプロディタ様への手紙を書く為、少し待ってくれというグスタール様の頼みを受け、何をするわけでもなく、私が寝かされていた台に腰を下していると、兵士の人が食事とスープを持って来てくれた。

「倒れていたせいで昼食を食べれなかっただろう。」

 というグスタール様からの配慮だった。もしかしたら、その為に手紙を書く、なんて言ってくれたのかもしれない。

 トレーに載せられた食器には、丁寧に切り分けられた薄切りのパンが二枚に、レタスが添えられた芋のサラダ、芋のポタージュスープ。うん、パン以外芋ばっかりだ。それでも我が家の食事に比べれば、十分過ぎる程贅沢だ。

 しかし、芋かぁ。料理の汎用性も高いし、安い、我が家の主食もパンから芋に変えようかな。我が家の猫の額程の庭を耕して、そこに種芋を植えるのもいいかもしれない。そんなことを考えながら、レタスと芋をパンに挟み、サンドウィッチにして食べる。

 大陸中央に位置するルリラ皇国と西に位置するドドル王国、その二国の間にある複数の小国がある。その南部スパルコ王国が芋は百年程前に、アルガン大陸より持ち帰った作物だ。アルガン大陸は私の住むマルネェ大陸から南西に位置する大陸で、芋の他にも、トマトやトウモロコシといった様々な作物がマルネェ大陸に普及するきっかけとなった。

 それらの作物は、当初、有毒だと思われており、観賞植物として貴族たちの手に渡ったが、その十数年後に起こった飢饉で麦が全く獲れなくなった際に、貴族に雇われていた一人の庭師が、空腹に耐えられず、手入れをしていたトマトに手をつけた。死を覚悟したが、何も起こらないどころか、中々に美味で、何度もこっそりと食べていたが、遂に庭の主である貴族に見つかってしまう。

 それを見ていた貴族は、その植物が食用だと知り、飢饉対策の為にそれらの植物の栽培を推奨した。その情報はたちまち大陸中を駆け巡り、マルネェ大陸でそれらの作物の栽培が始まった。

 それらの作物の中でも、芋は特に栽培量が圧倒的増えている。理由は、冷涼な気候でも育つだけでなく、麦やその他の作物よりも、土の栄養を必要としないし、土中に実る芋は、虫害や鳥害のリスクも比較的に低い。それまでその寒冷な気候で、農業用地と出来る土地が限られていたルユブル王国にとって芋は、正しく救世主であった。

 とはいえ、他のルユブル王国内の領地と違い、エルドグリース領では、未だに芋よりも、麦の方が一般的だ。エルドグリース領南部、ウックルがある。ドドル王国と隣接したその地域一帯は、先の戦争でドドル王国の侵攻目標となった場所だが、大陸で最も作物の栽培に適した地と称される。理由はその一帯の土壌が、『土の皇帝』と称される黒い土、チェルノーゼムであることだ。『エルドグリースの食糧庫』と呼ばれている。それによって、大量の作物が生産可能であり、その作物はエルドグリース領内へ輸送されている。その為、一応飢饉対策として芋を栽培してはいるが、主食は麦という状態が続いている。

 最も、簡単に栽培が可能な為、自宅の庭や、兵舎の空地などで芋を栽培し、食費の節約に一役買っている。今私が食べているこの芋も、恐らくそういう経緯で栽培された物だろう。


 モグモグと芋のサンドウィッチを味わって食べながら、芋のポタージュで口を潤す。芋っていいなぁ、その素朴な味で色んな料理にもなれるし、何よりもお腹に溜まる。空腹が満たされるこの幸福感というのは筆舌しがたい。

 残りが三分の一程になった時に、手紙を書き終えたグスタール様が、私の前にやって来た。

「すまない、待たせたな。食事は口に合っただろうか?」

「はい、凄く美味しいです。芋ってあんまり食べる機会がありませんでしたけど、我が家も取り入れようと思います。」

 実際、庭で芋を栽培出来る様にすれば、家計が助かるだけでなく、食事面も改善される。

「それはいい。我が領も、もっと他領の様に芋の栽培を推進せねばならぬと思っているのだ。食料生産量が増えれば、人口も増える。人口が増えれば、経済規模も拡大し、税収も増える。税収が増えれば軍の増強に繋がる。良いことずくめだ。」

 確かに、ウックルの豊富な食料があるとはいえ、それ以外の土地では作付け可能な土地は少ない。その為、エルドグリース領(というより、ルユブル王国全体)はその広大な面積に対して人口が少ない(そもそも居住可能な土地が少ないというのもあるけど)。だけど、

「芋もいいけど、スヴョークラもいっぱい育てて欲しいです。」

 スヴョークラ、赤い甜菜は、癖のない甘味と旨味で、スープやサラダに使われる。私は、それが大好きなのだ。今よりも安く市場に出回る様になってくれると、本当に嬉しい。…芋じゃなくてスヴョークラを庭で育てようかな?

「…考えておこう。」

 笑いを嚙み殺しながら、グスタール様がそう言う。これは絶対に聞き入れてもらえないな。まあ、分かってましたけどね。芋は主食となり得るが、スヴョークラはあくまでも副菜だ。重要性では芋に劣る。

「さて、本題だ。これをローディに渡してくれ。」

 グスタール様はそう言って、丁寧に蝋に華印を押して封をした封筒を差し出してくる。

「はい。確かに、お預かりします。」

 両手でそれを受け取り、鞄に仕舞う。

「私はこれで失礼するが、慌てずに、ゆっくり食べてくれ。ああ、それと、ローディをなるべく直接見ない様にな。目をやられるぞ。」

「はい、ありがとうございます。」

 私の返事を聞くと、グスタール様が部屋を出る。目をやられる?美しさに見惚れてしまう的な意味だろうか?まあいいや、とりあえず遠慮なくじっくりと味わって食べるとしよう。私は、残っていたサンドウィッチを口に運んだ。


「美味しかった。」

 食事を終え、衛門の詰所を後にしながら、そう呟く。魔砲にぶつかって気絶してしまうというアクシデントではあったけど、結果的に様々な情報を得られただけでなく、昼食まで貰えるという幸運に恵まれた。怪我の功名と言う奴だろう。

 さて、予定よりも遅くなってしまったけど、バザロフ家へ挨拶に行くとしよう。ヴァルラムさんは工房の方にいるだろうし、ジャンナさんも家にいるだろう。先にジャンナさんに挨拶しようと、家の方へと向かう。

 バザロフ家の玄関の前に立ち、扉を叩く。…あれ、反応が無い。もう一度扉を叩いてみるが同じ反応、留守の様だ。買い物にでも行ったのかな?仕方ないので工房の方へ向かい、先にヴァルラムさんの方から済ませることにする。

 工房の入口から顔だけ出し、中を窺う。忙しそうなら後にしよう。そう思ったが、思ったよりかは落ち着いているし、大丈夫かな?工房を覗き込む頭を引っ込めようとした時、

「何してんだ?」

「ぴゃぁっ!」

 突然背後から声をかけられ、驚いて尻餅をつき、間抜けな声が出てしまう。

「なんだ、リリーじゃねぇか。何してんだ?今日は手伝いは要らねぇぞ。」

 バザロフ家の次男エゴールさんが、地にお尻をつけた私に手を伸ばしながらそう言う。

「うぅ、ビックリさせないで下さいよ。」

 そう言いながらエゴールさんの手を取ると、グイッと引き上げられ立ち上がる。

「ビックリって、工房覗き込んでる奴がいたら声掛けるだろ、普通。」

「そりゃあそうですけど…」

 服に付いてしまった砂を掃いながらそう言う。

「んで、なんか用か?」

「あ、そうでした。ヴァルラムさんいるかなぁ?って。少しお話がありまして…」

「いるぞ。おーい、親父!リリーがなんか用があるってよ!」

 私を両脇からヒョイと持ち上げ、そのまま工房へと入って行きながら、そう大声で言うエゴールさん。やめて、悪目立ちしてるから。ほら、皆見てんじゃん!あ、マクシムさんだ。マクシムさんは私に例の厳つい笑顔で手を振ってきたので一応振り返しておく。…じゃなくて!

「お、降ろして下さい!ヴァルラムさんに怒られますよ。」

「軽いなー、もっとしっかり飯食えよ。」

 と聞く耳を持ってないエゴールさん。もっと食えって…食べれないから仕方ないでしょうが!

「うるせぇぞ!何やってんだ馬鹿野郎!」

 ヴァルラムさんの怒鳴り声が響く。ほらぁ、騒がしくするから怒られたじゃないですかー。

「悪ぃ悪ぃ、ほれ、なんか話があるんだろ?」

 ヘラヘラと笑いながらヴァルラムさんに謝り、私を降ろすエゴールさん。え、ここで言うんですか?なんか滅茶苦茶注目されてるんですけど…

「あー、その、えーっと、なんて言うんですかね…」

 工房中の注目が集まっているという状況に混乱してしまい、しどろもどろになってしまう。そんな私を見て、ヴァルラムさんは、なにかを察してくれたのだろう。

「何か大切な話なのか?…おい!お前ら、さっさと仕事に戻らねぇか!」

 と一喝する。ありがとうございます。

「んじゃ、ついてこい。」

「はい。」

 ヴァルラムさんの後とトテトテとついて歩く。そんな私の後ろをエゴールさんもついて来る。ヴァルラムさんの席、工房の一番奥にある作業場へ着くと、ヴァルラムさんはどっかりと椅子に腰を下ろし、エゴールさんはその隣に立った。作業の途中だったのか、机には製作途中の魔導石と果物ナイフみたいなサイズの小刀が置かれている。

「それで、どうしたんだ?」

「は、はい。その、エルドグリース家の依頼でシャンバルに行くことになりました。しばらくヴィドノを離れるので挨拶をと思いまして…」

 アプロディタ様のこととかは言わない方がいいのだろう。なんせ戦後すぐに消息を絶ち、姿を隠しているということは、その所在を明かしたくないということだろうから、私がペラペラと話してしまってはいけないと思う。

「シャンバルって、ガキが行く様な場所じゃねぇぞ…バンクの野郎、何考えてやがんだ!…何時からだ?大丈夫なんだろうな?」

 呆れた様に言うヴァルラムさん、隣に立つエゴールさんも心配そうな顔をしてくれる。その反応が普通ですよね。やっぱりおかしいのは我が家のクソ親父だけだ。

「明後日からです。それに、一応、騎士団もついて来てくれるそうなので。」

 果たして、騎士団がいれば安全なのかは知らないけど、一人で行くのと比べれば、戦闘や護衛のプロである騎士団がいるのは大変心強いのは本当だ。

「とは言ってもなぁ…」

 と、ヴァルラムさんは納得いかない様に腕を組む。そりゃあ、私だって心底安心しているなんてことはない。というより、つい先程までは不安の方が勝っていた。だけど、その行く先には大英雄が居るということを知り、なんとなく気持ちが軽くなった。実際にその姿も、力も見たことはないけど、不思議と安心感が何故かあった。これが英雄の名声というものなのかもしれない。

 それに、どんなに心配してくれ、シャンバル行きに反対しようと、領主の下した決定を私たち土地無し貴族が覆せるなんてことは有り得ない。それはここにいる全員が分かっている。だから、

「しょうがねぇだろ。でもな、リリー。危ないと思ったなら、すぐに逃げろ。騎士団は命のやり取りが仕事の奴らだが、おめぇは違う。逃げたって恥でも何でもねぇからな。絶対に生きて帰ってこい。」

 エゴールさんがそう言って、私の頭をガシガシと乱暴に撫でる。

「わぁ!何するんですか!…もー、ぐしゃぐしゃになっちゃったじゃないですか。」

 エゴールさんにぐしゃぐしゃにされた髪を、手櫛で戻す。でも、『生きて帰ってこい』という言葉が胸に温かく染み込む。

「今日は家で夕飯を食っていけ。ジャンナが一番リリーを気に入ってるからな。」

 ヴァルラムさんも小さく笑ってそう言う。

「ありがとうございます。でも、まだ挨拶しなきゃいけない人がいるので、そっちを先に済ませて来ます。」

「ああ、そうしろ。エゴール、ジャンナが帰ってきたら、夕飯を五人分用意する様に言っておけ。」

「あいよ。」

 二人に一礼し、工房を後にした。


 ヴィドノの街にある唯一の教会である、ラザール聖堂、その前に少し広がる小さな広場。その場所には、神々や天使たちの石像が立ち並ぶ。私は、その中心に位置する女神アプロディタ様の像の前に立ち、それを見上げていた。それ程信心深い訳ではない私は、こんなにもじっくりとこの石像たちを眺めることなど無かった。これらが、どれ程前に作られた物なのかは知らないけれど、雪に、雨、風や日光にさらされ続けたそれは、所々風化し、色褪せ、本来の美しさを失っているだろう。しかし、その経年劣化でさえも美しさの一つであるように感じる程、不思議な魅力を放っている。

 本来の形を失っても、なお美しいという感覚に衝撃を受けてしまった。魔導具の製作やヴァルラムさんの所でのお手伝いなど、何かを作るということは何度もしている。だけど、私が作った物たちが、気が遠くなる程の歳月が経った後も、誰かに美しいと思ってもらえるだろうか?そもそも、それが残っているだろうか?親父の様に完璧を求め、究極の芸術の果てにある物は、きっと信じられない程美しい物だろう。しかし、その内、何か一つでも欠けてしまったとしたら、その美しさは失われるのだろうか?分からない。私はそれを分かるレベルに達していない。いや、もしかしたら、その答えに辿り着くことさえ生涯無いかもしれない。

「おや、リリーさん。」

「あ、ソンズさん。」

 偶然にも、絶好のタイミングで聖堂内から出てきたソンズさんから声を掛けられた。

「どうされましたか?随分と真剣な眼差しでアプロディタ様の像を見つめておられましたが。」

「ちょっと考え事をしてました。この像は古くなって色褪せたり、欠けたりしてるのに、なんで綺麗何だろうって…」

 別に隠す様なことではないし、悩みを聞くことが仕事の一つである神父様相手なら、こういう疑問をぶつけてもいいだろう。

「成程、難しい問題ですね。私も、元々の姿を見たことはないので、今の姿と比較しようが無いのですが、確かに、今の姿も十分美しく思います。」

 ソンズさんはそう言って、私の横に立ち、私と同じ様に像を見上げ、続ける。

「しかし、私たちと違い、美しいと思わない人もいるでしょうし、答えは分かりません。私個人の意見としては、完璧ではないからこそ美しいと思えるのだと思います。勿論、完璧なものは美しいですよ。それと同じくらい、欠点を美しいと思い、愛おしく感じるのも、人間の優しさや素晴らしさではないでしょうか?」

 欠点が美しく愛おしい…きょとんとする私に、ソンズさんは笑い。

「物だけに限らず、人だってそうですよ。完全無欠の存在など有り得ません。故にその欠点を補おうと努力したり、試行錯誤する姿に魅力を感じるのです。」

「でも、やっぱり完璧な方が良い気がします。」

 どんなに綺麗事を並べても、欠点ばかりは嫌だ。私だってもっとこうありたいという理想はある。お金や身長、魔力とか…しかし、どれだけ望んでも、どれだけ努力しても、叶わないものもあるし、むしろそっちの方が多い気がする。

「当然です。私だって完璧でありたいと思います。ですが、そんなこと到底無理な話です。神々でさえ欠点があり、それをお互いに補い合うとされているのですから。それに、欠点が、時には長所や愛着となることもあります。完璧と思えていたものも、人によって欠点の塊なんてこともありますし、感じ方は人それぞれで、正解なんてないんでしょうね。」 

 分かる様な、分からない様な…

「リリーさんは、これから様々なことを見て、経験していくのです。今はあまり深く考えずに。色んなことに挑戦してみる方が貴女の為になると、私は思いますよ。」

 ソンズさんは、優しい笑顔でそう言う。挑戦かぁ…

「何かしようにも、お金がなぁ…」

「では、読書なんてどうでしょう?教会に置いてある本でしたら自由に読んで頂いて構いませんよ。文字は教わったでしょう?」

「まあ、一応…なんとなくって感じですけど。」

 ヴィドノに来て、一番最初に親父から教わったのは、文字と計算。最も、教わると言える様な代物ではなく、古めかしい教本と文字表を渡され、『やっとけ。』と言われただけだ。なので、本当になんとなく文字が読め、簡単な計算が出来る程度だ。 

「それなら、尚更お勧めしますよ。文字の勉強をしながら、知識を得ることが出来るのですから。」

 成程、読書か…いいかもしれない。シャンバルでの用事が済んだら、本を借りに来ようかな。本なら、魔法史の研究をしているロジオンさんもいっぱい持っているし、以前、『誰も歴史に興味を持ってくれない。』と嘆いていたので、簡単に読ませてくれるだろう。その後、長い話を聞かされることになるだろうけど、今までは退屈で聞き流していたその話も、知識があれば面白いのかもしれない。

「ありがとうございます。今度借りに来ます。」

 うん、なんだか楽しみになってきた。

「おや、今日からでもいいんですよ?」

 思い立ったが吉日とは言うけど、しばらく出張するから借りて行くのも気が憚れる。…そういえばなんか話に夢中になって、本題を忘れていた。

「そ、そうでした。本当は今日からでも借りて行きたいんですけど、私、明後日からシャンバルに行くことになってまして…なので帰ってきた時にお願いします。」

 そうだった、シャンバル行きを伝えに来たのに、つい人生相談をしてしまっていた。私の言葉にソンズさんは、いつもの優しい目が見開かれ、明らかに驚いていると分かる。

「リリーさん…いったい何をしてしまったのですか…」

 ソンズさんが震える声でそう言う。何をしてしまった?…ああ、そういうことね。

「誤解です!エルドグリース家からの依頼です!私、何にも悪いことしてませんから!」

 私の言葉が足りなかったのが悪いのは分かるけど、何故私が罪人としてシャンバルへと送られると勘違いするのだろう。自分で言うのもなんだが、素行は良い方だし、俗に言ういい子の部類だと思っていたのに…

「ああ、そういう…安心しました。リリーさんは悪いことをする様な子ではないと信じていますが、如何せん生きる為に仕方がないということもありますので…」

 ああ、借金に常に飢餓状態だからね。可能性を疑われても仕方がない。…ないのかなぁ?

「いえ、言葉足らずだった私も悪かったと思います。」

 私のことをある程度知っているソンズさんでも、そういう誤解が生まれる程度には我が家の家計はボロボロだ。ソンズさんだったから良かったけど、あんまり知らない人たちだったら、誤解さえ解けないかもしれない。そういう意味では、しっかりと誤解されない表現とか説明が必要なのだろう。

「しかし、シャンバルですか。危険も多いとは思いますが、必ず元気な姿で帰ってきて下さいね。」

「はい、ありがとうございます。」

 ソンズさんの言葉に、軽く礼をしながらそう言う。

「じゃあこれで失礼します。…それに、今日は私の話に付き合ってくれてありがとうございます。」

「いいえ、人々の悩みや話を聞く、それもまた教会の務めですから。リリーさんに神のご加護のあらんことを…」

 私の為に祈るソンズさんに、もう一度礼をして、歩き出した。

 ヴィドノの街へ来て四年。そんな短い期間で、こんなにも私のことを考えてくれる人たちがいる。そして、そんな優しい人たちがいるこの街が、本当の故郷の様に感じる様になり、好きになっていた。

 それだというのに、何も私に説明もしないあのクソ親父は何を考えているのだろう。


 私は、招待されたバザロフ家で夕食を頂いていた。バザロフ家にお邪魔するなり、私のシャンバル行きをヴァルラムさんから伝え聞いたジャンナさんが、泣きながら私に抱きついてきたことによって窒息死しかけるというハプニングもあったが、ヴァルラムさんとロジオンさんによって救出され、事なきを得た。

 食事を食べながら、ヴァルラムさんから魔導石加工について聞いたり、親父の愚痴を言ったり、ロジオンさんの魔法史の話を聞いたり、色んな話をする。ジャンナさんはずっと心配そうな顔をしていたけど、途中から少しだけ笑顔を見せる様になり、比較的明るい雰囲気で食事を終えることが出来た。

 食事を終え、片付けを手伝ってから帰り支度をしていた。お土産に貰ったパンや料理を包んでいると、ヴァルラムさんが声を掛けてきた。

「リリー、これを持っていけ。」

 そう言って差し出される白い布に巻かれたなにか。それを両手で受け取ると、硬くてずっしりとしている。

「なんですかこれ?」

「中を見てみな。」

 ヴァルラムさんの言葉を聞き、巻かれていた布を解いていく。

「これは…ナイフ?」

 質素だが手が込んでいると分かる鞘に、真新しい柄の先には、キラリと光る魔導石が埋め込まれている。鞘から抜くと、青白く輝く刀身が現れる。握った柄から清流の様に流れる魔力が伝わってくる。一流には程遠い私でも分かる逸品だ。

「ヴァルラムさんが作ったんですよね。」

「ああ、腕が落ちない様に、依頼が無い時はそういう小物を作って感覚を忘れない様にしているんだ。そいつはそんな感じで作ったやつだから、遠慮なく持ってけ。」

 ヴァルラムさんはそう言うが、刀身に刻まれた私の無事を祈る文字が、それが噓であると伝えてくる。私に遠慮させない様にする為のヴァルラムさんの心遣いだった。

「ありがとうございます。絶対に帰って来ますから。」

 刀身の文字を指でなぞりながらそう言うと、目頭が熱くなってくる。ヴァルラムさんも照れくさそうに鼻の頭を掻いている。


「リリーちゃん。絶対に帰ってくるのよ。」

 また涙を流しながら、ジャンナさんに抱きしめられ、再び窒息死しかけた。再度救出され、ゴホゴホと咳き込みながら、お礼を言って我が家へと向かう。

 すっかり遅くなってしまった。出発まで残された時間は明日のみ。明日は一日中準備に追われることになるだろう。だから、今日済ませなければならないことを、後回しに出来ない。

 何故アプロディタ様がシャンバルにいることを親父が知っているのか、なんで私に教えるどころか、説明さえしないのかを問いたださなければいけない。

 場合によっては一発位蹴りを入れてやると意気込みながら、家路に着いた。



 

 

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