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 母がルーカスの手を引き部屋に戻ろうと歩き始めた時だった。

 突然パシン、と聞こえてきた音が耳に残る。


 そして私は目の前で起きた光景に、思わず驚き目を見開いた。


 なぜならその耳に残った音が母の手が叩かれた音で、そして母の手を叩いたのが手を引かれていたルーカスだったからだ。



「ルー、カス……?」



 何が起きたか分からないと言わんばかりに母は呆然と彼を見つめている。

 叩いたルーカスは顔を真っ赤に染めて、大きな瞳から再び涙が零れていた。


 そして母を威嚇するように見つめたあと勢いよく私の元へと走り、そして先程のように強く抱きついてきた。


 ルーカスの唐突な行動に驚き固まっていた私はあわててルーカスを抱きとめる。

 やっと泣き止んだのに火がついたようにまた泣き出した弟を放っておくことも出来ず、背中を撫でて落ち着かせ始めた。



「ルーカス……こ、こっちにいらっしゃい、ね?」



 可愛がっていた息子の突然の行動に困惑しているのか、母の声は震えている。

 呼び掛けに答えることなくルーカスは首を振り、私から離れることを拒絶するようにしがみついた。



「いい子だから、ね?お母様を困らせないでちょうだい」

「やだ!」



 まさか娘だけではなく可愛がっている愛しい息子からも反抗されてしまい、母の顔色は良くない。

 小さな子供とは思えない力で私を抱きしめるルーカスを宥めるように優しく名前を呼ぶとルーカスは叫んだ。



「僕はねえさまと一緒にいたいのになんでひどいこと言うの! 僕とねえさまを離そうとするかあさまなんて大嫌いだ! ねえさまと離れるのなんて、絶対にやだ……っ!」



 ルーカスがクイナに対して害をなしたのは私と一緒にいたかったからだ。そんなルーカスの気持ちを母は知らずに私を拒絶することで否定した。

 だからルーカスはそんな母に反抗する態度を見せたのだ。私とこれ以上離れたくない、その一心で。


 この冷たい家の中で唯一大切にしていた息子から嫌いと拒絶されてしまい、母は力なく地面へと座り込む。

 怒りをあらわにするルーカスの気持ちを察した私は優しくルーカスへ言い聞かせた。



「ルーカスの気持ちはちゃんと伝わったわ。心配しなくても私と遊べるようにするから、もう泣き止んで? ルーカスは立派な男の子でしょ?」

「うん……」



 ルーカスの頬を濡らす涙を拭いてあげて二人で笑いあっていると遠くから私を呼ぶ声が聞こえてきた。



「お嬢様……!」

「クー!」



 怪我の手当てが終わったのか着替えてきたクイナと私を心配して付いてきたセレナが庭まで迎えに来てくれた。


 私と抱き付くルーカス、そして地面に座ったままの母親の三人を見てどういう状況か分からず困ったような顔をしているセレナが私に問いかけてきた。



「あの、お嬢様……奥様はいったい……」

「あ、えっと……子供が反抗期を迎えてしまい唖然としている……って感じかなぁ」



 さすがに私が母へ言った言葉を二人に説明するのは色々と思うところがあって言えないから曖昧に状況を説明する。

 気付けば大分長い時間を外で過ごしていたから肌寒くなってきた。



「そろそろ、戻りましょうか。ルーカスもこのままだと風邪ひいちゃう」

「で、でも……」

「そろそろおやつの時間だから一緒に食べましょ? それからお部屋で遊べばいいじゃない」



 この後も遊べると聞いてルーカスの瞳は嬉しさからきらきらと輝き、テンションが上がっているのかその場をくるくると回り始めた。

 駆けつけてくれた二人にもこれから戻ることを伝えて、共に屋敷内に戻ろうと歩き始めるが私は数歩歩くとそのまま動きを止めた。



 私自身前世は結婚もしていなかったから子供はいなかった。でも前世の年齢で言えば実は母と同年代になる。

 そして私はゲームをしたからどうして母がそこまでルーカスだけに愛情を注いでいたかも知っていた。

 理由があってここまですれ違っていることを知っているからこそ母と、そして鈴ではない本当のリリアンヌの関係性を正したいと思ってしまった。

 振り向くことはせず、視界に入らない状態で自分の背後にいる母へ言葉を贈る。



「……お母様。私はいつも羨ましかった。いつもお母様とルーカスが共にいる姿を部屋から眺めては、私もその輪の中に入りたいと思ってました。お母様にとってルーカスが大事なのは、とてもわかります。でも私も見て欲しかった。お母様に自慢の娘だって、褒められたかった。頭を撫でて欲しかった。けどもう、お母様に我儘は言いません。……これだけは伝えたいのです。私は……お父様とお母様の娘として、ルーカスの姉として……『リリアンヌ・グラシア』として生まれてきてよかったと思います。私を、生んでくださって……ありがとうございました」



 侯爵家の嫡男を望まれていたのに、苦しみながら産んだ最初の子供が娘だったせいで母は親族から労いの言葉一つをかけられるどころか、寧ろ娘を産んだことを責められた。

 父は、母を守る言葉をかけることなくただ一言「娘だったか」と呟いただけだったらしい。

 

 私が生まれたことで母は絶望の苦しみを味わった。

 そしてその翌年生まれたルーカスは、そんな母を絶望から救い出した英雄のようなものだったのだろう。

 

 だから私には愛情を注ぐことはなく、ルーカスだけを愛し続けてきた。


 その設定をゲーム内で知っていた『私』は生んでくれた感謝を母に捧げた。

 リリアンヌに生まれ変われたからこそ、大好きなクイナとこうして出会えたからだ。

 

 そして本当のリリアンヌも自分に冷たくする母を恨んでなどいなかった。

 ただ、愛情を欲していたけどもらえないと理解するとすぐに欲しがることを諦めて自分の置かれた立場を受け入れていた。

 

 これから私達の関係が変わるかなんてわからない。

 それでも同じ女性として頑張った母に私を産んだ時には誰も言わなかったであろう言葉を、私自身が母に伝えたかった。


 言いたかったことを言えて私はまた歩き出す。

 すると隣に居てくれたクイナがそっと私の頭を撫でてくれた。



「……大丈夫だ。リーンの想いは……ちゃんと奥様に伝わってるから」



 普段と違う本来の口調で私を励ましてくれるクイナの言葉に、返事をすることはせず一度首を縦に頷いて返す。

 瞳から零れるものが頬を伝って地面へと消えていったけれど、寄り添うように隣を歩く彼はそっと見ない振りをして手を繋いでくれたのだった。




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