02
「うう、ん……まぶ、し……」
太陽の光が瞼に当たり、眩しさから目が覚める。
はて、私はどうして寝ているのだろう。さっきまでお風呂に入ろうとして……
「ち、遅刻!!」
そうだ。仕事に行く前にすっきりしようとしてお風呂に入ろうとしたんじゃないか。何二度寝をかましてるんだ私は!
慌てて状況を確認するために時計を探す。
「…………どこ、ここ」
時計どころか築二十五年のワンルームの部屋がそこにはなくて、豪華な家具が鎮座している広い部屋に居た。
天井もテレビでやってるような有名人のお家紹介などで出てきそうなシャンデリアが一つどころか四つもある。
よくよく考えれば、私のいるこのベッドも中古で買ったパイプベッドとは違い、とても弾む豪華なベッドだ。
シーツも触るだけで心地いいと感じる。そして両手を広げてもまだベッドの端に手が届かない。
ふと、自分の手が視界に入った。二十六歳にしてはあかぎれ一つない、すべすべの小さな手。
(……ん? 小さな手?)
慌てて私はベッドから降りる。すぐ近くに鏡台があったのをさっき確認していたからだ。
勢いよく鏡台に備え付けの椅子を退けると鏡の前に立つ。
そこに映っていたのはいつもの見慣れた私の顔ではなかった。
金色の腰まで伸びた髪、小さな顔には見たことのない紫色をしている瞳があって。とても可愛らしい人形のような少女がそこにいた。
「……まだ、夢でも見てるのかな」
鏡の中の少女がしゃべってるように見えるけどきっと気のせいだろう。だから私は思いきり、自分の頬を掴み勢いよく引っ張った。
「いたあああい!!」
結論、痛いものは痛い。
痛みを感じる頬を撫でつつ、大きな目から溢れる涙を手の甲で拭う。
服で拭おうとしたけど、よく見たらお姫様が着ているような綺麗な服だったから慌てて袖をまくった。
(いったい私はどうしちゃったんだろう。ついさっきまで徹夜でゲームをしていて、お風呂に入って……)
ふと、先程鏡で見た自分の顔を思い出す。
私はこの顔を知らない顔とは思えなかった。どこか見たことのある面影をしていたような気がして、もう一度鏡を見つめる。
「――金色の柔らかな長い髪は風に揺れて、アメジストにも似た紫色の瞳で王子の隣で笑っている彼女を見つめていた」
ゲーム内で出てきた文章を口にして、私は自分の髪や目元に触れる。
「まさか……」
まだ確信が得られない。何かこの子の正体が分かるものはないかと部屋の中を見渡していると、突然扉をノックする音が聞こえてきた。
そして小さく「失礼いたします」と声がすると扉が開いて一人の女性が入ってきた。
現代社会ではコスプレでしか着ることがないだろう黒いクラシックなメイド服を身に着けている茶色の髪の女性だ。
一瞬誰か分からなくて鏡の前で困惑しているとメイドの女性は驚いたように声をあげ、慌てた様子で私のもとへ駆け寄ってきた。
「お嬢様……!」
「え、えっと……あの……」
「ご無事で本当によかった! 一晩目覚められなくて、本当に心配したのですよ! セレナは……セレナはお嬢様がこのまま目覚めなかったらと思うと心配で……っ!」
このメイドさんはどうやらセレナさんというらしい。
この様子からすると私のお世話をしてくれている人なのだろう。
泣いてる彼女に申し訳ないが、全く思い出す気配がなくて下手に言葉を出せない。
混乱する私とは対象にセレナは瞳を潤ませながら私に少しでも怪我がないかを確認するために全身をくまなく触る。
(ど、どうしよう。……いや待てよ。ここは彼女から情報を得られるチャンスなのでは!)
少なくとも私に対してこんなにも心配をしている様子を見せているのだから、意識を戻した直後で少し混乱している様子を見せればきっとどんな質問でも答えてくれるはずだ!
意を決して涙目で私の心配する彼女を落ち着かせるためにそっと肩を優しく叩き、笑顔を見せる。
「大丈夫よセレナ。私、ついさっき起きたばかりなの」
「そ、そうでしたか。ご無事なようで何よりでございます、お嬢様」
「た、ただ……今まで違う誰かになる不思議な夢を見たせいか、起きた直後に混乱しちゃって。……セレナ、ここが現実だって確認するために私の名前を呼んでくれる?」
「名前、ですか?」
とっさに思いついた言い訳をセレナは信じてくれたのか、一つ咳払いをすると私の質問に答えてくれた。
「お嬢様はグラシア家侯爵令嬢、リリアンヌ・グラシア様であらせられます。……これで大丈夫でしたか?」
(や、やっぱりそうだった……!)
まさかとは思っていたけど、どうやら私は徹夜で涙を流してまで遊んでいた乙女ゲームの悪役令嬢、リリアンヌ・グラシアになってしまったのだった。