指先にシャウラ
弟であるオレールから、形ばかりの摂政に協力してほしいと言われたのは、ジゼルの婚約が正式に発表された、すぐ後だった。
成人に達していない弟には、摂政が必要だったが、宰相をはじめ外戚を信用できない様子だった。
傀儡にしたい宰相、自分で政を行いたい弟。
謁見した日から、対立は見えていたけれど、ジゼルは自分が思っていたよりも根深いのだと認識した。
「姉上も、ご不安ですか?」
「何に、でしょう?」
「私は幼い。宰相は、私では政が務まらないと言います。でも、このまま宰相に実権を奪われてしまったら……」
「私に、政は分かりません。でも、かわいい弟のためならば、協力は惜しみません。」
「本当ですか!」
ジゼルは、与えられた書類に目を通すことなくサインした。
「でも、姉上、書類は目を通した方が……」
「オレールに渡された書類だもの。必要ないわ。」
オレールを信頼しているから
そう呟くと、オレールは、少し嬉しそうに頬を赤くして笑った。家族の情を、思い出したその顔が、初めて、子どもらしく見えた。
その瞬間、ジゼルはオレールが可哀そうな子なのだと思った。オレールは、誰よりも、ジゼルに似ている気の毒な子だった。
「エマニュエルとは、どうですか?」
オレールの問いかけに、ジゼルは苦笑した。本題は、きっと、こちらだったのだろうな。
オレールが、先ほどよりも、ずっと緊張した表情を浮かべていたからだ。
「親切ですね。」
「そう、ですか。」
少し不安そうなのは、最初にこの話を告げられた時に、ジゼルが良い顔をしなかったからだろう。
ジゼルは別に、エマニュエルとの婚姻を望んでなどいなかった。ただ、自由に空を舞っていた彼が羨ましかったに過ぎなかったのに、翼をもいでしまった気がして、嫌だったのだ。
彼には、公爵位は窮屈だろうと思った。
それに、自分は、生涯独身だろうと思っていた。適齢期は過ぎていて、子どもも望めないかもしれない。そんな自分を押し付けられたエマニュエルが気の毒でたまらなかった。
でも、同時にこの婚姻が断れないものだとも理解していた。
オレールが最初に公示した婚姻だったからだ。
「彼に婚約者がいたと聞きました。」
「……誰からですか。」
「別に責められたわけではありません。最初に、会った時にアンヌ=マリーが教えてくれましたから、知っていました。」
「その人には、新しい婚約者をあてがっています。私がすすめる中から、彼女に選んでもらった。」
「そう。」
人の世界ではよくある話だ。より良い条件の人と婚姻関係を結ぶために、婚約を破棄することは、よくあることだ。誰かほかの人が良いと思えば代えるだけ。それは、一般的なことで、悪いことではない。
でも不思議と今回は違う気がした。獣人の寄り付かない閉じられた天秤宮にも、ジゼルの婚姻は快く思われていないのであろう雰囲気が伝わっていたからだ。
その理由を、ジゼルは知らない。
そして、知ろうとも思わなかった。
「結婚まで、1年あります。」
オレールのその言葉が、今の雰囲気は1年後には自然と変わっているだろう。そう言っているように聞こえた。
「そうね」
オレールは知っているのだ。この婚姻がよく思われていないことも、その理由も。
尋ねればいいだけ。ジゼルは、分かっていたけれど、尋ねることはしなかった。
知りたくない、そう思った。