ムルジムの告げる歌
オレールは、玉座の肘掛に肘をついて、額に手をやる。支えた頭が重くて、ため息が出た。
「……そんなに気配を漏らして。姉上にばれなくてよかったな。」
玉座を守る位置に立っていたのは、オレールが最も信頼する家臣である銀色の狼だ。主人に、盲目にならない、本当の意味で忠実な彼を、オレールが自分の近くに置いたのは、5歳になるころだった。
オレールの性格も本性も、病的な執着という性もすべてエマニュエルは知っていた。
「神殿に、戻る……?姫が?」
オレールの言葉に反応もせずに、ぶつぶつとつぶやく、その瞳に光は消えている。薄気味の悪い瞳は、自分が玉座を見る目と同じだと、オレールは思った。
「神殿に戻したくないなら、姉上と話をしろ。」
「縛り付けるために無理に番になった私は、姫に嫌われています。夫婦という鎖があれば、姫を戻さずに済むと思っていたのに、くそっ」
牙をむき出しにしているエマニュエルに、オレールは頭がどんどん痛くなった。
「あの話を聞いて、どうして嫌われていると思うんだか。」
「姫は、私の目すら見てくださらない。」
「あのな!姉上は、お前に執着しているんだ。お前のすべてが欲しくてたまらないんだよ。体も心も、お前の生のすべてを支配したいんだよ!」
「そんな、まさか。」
オレールはがっくりと首を落とした。
「なんのために、姉上が、あそこまでしたと思う。ありとあらゆる人も獣人も巻き込んで、たくさんを始末したと思う。」
「それは、陛下が始末していたがっていた家を、潰すためでは?」
「あれは!どさくさに紛れて、僕が勝手にしただけ!運命の番を消すために決まってんだろ!」
「それは、否定されました。目障りな泥棒猫を始末しただけだと。」
「なに、真に受けてんだよ!バカかよ!お前は、どうして、姉上のことになると、盲目になるわけ!」
オレールは玉座をおりて、エマニュエルのもとに大股で向かう。馬鹿が、そうののしると、エマニュエルは眉をひそめた。
「いいか!姉上を神殿に戻したくないなら、話し合え。」
「私は、」
「姉上の行動理由のすべてはお前だ!お前のすべてが欲しい。お前の行動や感情の理由を、全て自分にしたい。でも、自由なお前に執着したから、離れようと思ってるんだよ。お前が自由に生きているのを、神殿から眺めて、そして、お前が死んだときに自分も死のうと思ってるんだ。」
「それでは、まるで……姫が私を愛しているようではないですか。」
「……そうだろうが!お前、本当に馬鹿か!さっきまで、姉上は、ずっとお前への愛を語ってたのに気づかなかったのかよ!」
エマニュエルは、その瞬間、音がするのではないかと思う勢いで、顔を真っ赤にした。
人差し指で、エマニュエルのことを小突いていた、オレールは顔をゆがめて手をおろす。
「……気持ちわるっ」
まさか、と言いながら、エマニュエルは、じゃああの時も、いや、あの時も、あの時も、全部、なんてぶつぶつ言っている。
「おい。感動しているところ悪いが、早く行かないと、姉上を止められないぞ。」
「……そうですね。申し訳ございませんが、今日は、いやしばらく、お仕えできませんので、悪しからず。」
エマニュエルは、高速で尾を揺らしながら、踵を返していた。とんでもない速さで、走り出したが、瞬間、戻ってきた。
「なんだよ!」
「一つ、確認しておきたいことがございます。」
先ほどまでの、真っ赤な顔とは違う。オスの顔に、オレールはたじろいだ。
「ジスラン・ドゥニは、必要な人間ですか?」
「は?ジスラン・ドゥニ?」
「北の飛び地を領地として持っているドゥニ伯爵家の当主です。若くして当主になってしばらくたちますが、まだ、未婚です。豊富な海の資源のためか、大きな商売はしていませんが、富はそれなりに。それ以外に目立った功績はありません。」
「……あー、思い出した。なんにもしてないボンボンだけど、領地のおかげで金はある。育ちはいいが、女遊びも激しいやつな。まあ、上手に付き合って別れるから、放置してるけど。死んだら、領地も王家に戻るし、別に、居ても居なくても、いいかな。」
「承知しました。」
また、すごい勢いで、走り出したエマニュエルに、オレールはため息をついた。
「何を、承知したんだ。」
オレールは、黒い玉座の肘掛を手で撫でた。
姉の言う通り、オレールは、玉座に執着している。誰の手にも渡さないために、全員を殺した。家族の情など、みじんも感じなかったが、神殿から出した姉を見た瞬間に、同じだと気づいた。
姉を、神殿に戻さないために始めた家族ごっこだったのに、オレールは血の繋がり以上を姉に感じた。
ジゼルは、家族だ。
オレールは、初めてそう思った。
途中までは、利用しようと思っていただけだったが、姉のことを考えるようになった。エマニュエルとは真実、うまくいってほしいと思っているし、神殿には帰ってほしくない。
姉の助言は聞き入れるし、人参だって食べた。その結果、オレールは、他者への執着の片鱗を知ってしまった。
助言を聞き入れた結果、この先、自分が執着するであろうものを理解して、頭を抱えている。
人参など食べなければよかった。
そう思う一方で、晩餐に出されるのを楽しみにしている自分もいる。
「あー、くそ。」
頭にこびりついて離れない執着が、オレールをさいなむ。手に入れたいが、それには、この玉座が邪魔なのも事実だ。
「姉上の、占いはよく当たる。」
オレールは、自分の執着がこれから生むものを想像して、背中が粟立つのを感じた。




