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血の色、ベテルギウス




ジゼルは、屋敷の私室から庭を眺めていた。

目的があるわけでも、何かに見入っているわけでもなかった。頭が痛くて、手に持っている刺しかけの刺繍を続けられない。

その時、屋敷が騒がしくなった。

リシュリュー邸には、使用人が多くいるが、ジゼルを守るために仕えているのはララのみで、武芸に秀でたものは多くない。怒鳴るような声が、近づいてきて、ジゼルは少しだけ身構えた。

そして、そこで、力を抜いた。例えば、ここで死んだら、これ以上、悲しいことを知らなくて済むかもしれない。

夫と運命の番の、その先を、ジゼルは知らずに済むかもしれない。




「ジゼル!いるのは分かっている!出てこい!」




ジゼルを呼ぶ声は、行儀の悪い足音とは違って、年老いて聞こえた。記憶の中に、こんな声は存在しない。

ジゼルは、窓の外を眺めるのを止めた。




「先触れもなく、突然現れ、あろうことか王女殿下にとりつげなどと、何を仰っているのですか。」

「孫に会いに来ただけだ!何が、王女殿下だ。あれが何をしたと思っている!」




家令のモーリスの声も聞こえたが、それで、足音がやむことはなかった。

しばらくして、扉はノックされることもなく、開かれた。

ジゼルは、手に持っていた刺繍を、アンヌ=マリーに手渡す。刺繍はやめて、次はレースでも編もうか。ジゼルは、ぼんやりとそんなことを考えていた。

残念ながら、ジゼルには、一人で消費しなければならない時間が、たくさんある。




「ジゼル!」

「……宰相閣下、あなたにそう呼ばれるとは意外です。」

「お前、これに、サインをしたな!」




目の前に突き出された紙に、見覚えはない。ジゼルは、わずかに目を細めて、自分のサインを見た。いつもよりも、ぞんざいな殴り書きは、おそらく健闘会の日にサインしたものであろう。




「……ええ、そうですね。」

「わしの退任を承認するなど!分かっておるのか!オレールには、まだ、この国を統べる力はない!それを、お前は。私は、お前を神殿から出すことも反対だったのだ!」

「……少しは、落ち着かれたら、いかがですか?」

「これが、落ち着いていられるか!この国がどうなろうと良いということだな?」




ジゼルは、頭がより一層、痛くなって目をしばたたかせた。少しの間で良いから、目を閉じて、暗いところで横になりたい。




「どうでもいい?少なくともオレールには、考えあってのことでしょう?」

「お前を名ばかりの摂政にした時から、こうなることを危惧していたのだ。お前は、この国を混乱に陥れようとするだろうと。」

「……それは、心外ですわ。私は、10年間、この国のために祈りを捧げてきましたのに。」




ジゼルの手の中にあった書類を、宰相は奪い返した。引っ張られた紙が、ジゼルの指に小さな傷をつけた。ぴりりとした痛みに、ジゼルは自分の指先を見つめる。




「亡き前王陛下も、お前のことを決して神殿から出すなと、オレールに言っていた。」

「まあ、守り人がいなくては困りますものね。」

「……よもや自分のしたことを忘れたのか?私の娘にしたことを。」




ジゼルは、貼り付けていた微笑みを捨てて、祖父と名乗る男をみた。家族など、一度も、ジゼルの傍にはいなかった。今、オレール以外につながりを感じられる家族など、ジゼルにはいない。

夫となった人とも、つながりはない。あるのは、ただただ、負い目だけだ。

だから、ジゼルは、オレールが大切だった。可哀そうで可愛い弟。

ジゼルの目の前で、宰相は、紙を破り捨てようとする。




「その紙を破り捨てたところで、あなたの退任は変わりませんわよ。私は、いくらでもサインいたします。」

「なんだと!」

「それが、オレールの望みであれば。」

「それが、国を亡ぼすと言ってもか!」




ジゼルは、じっと宰相を見つめた。




「あなたが、恐れているのは、国が亡びることではないでしょう?」




ジゼルの前で紙は破り捨てられ、地面に散らばっていく。頭痛をひどくするような足音を立てながら祖父は出ていった。

ジゼルは自分の指先に残った赤い線を見つめる。指のしわを分断するような傷口からは、わずかに血がこぼれていた。

この血と、祖父の血には、似通ったところがあるのだろうか。指先をぎゅっと握って、血を絞り出して、ジゼルは、その血の色を確かめたいと思った。







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