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ベガが落ちる色




鏡台の前に座り、髪を結われて、赤いルビーがあしらわれた髪飾りを付けられる。本来の肌の色を取り戻したものの、噛み痕だけは、はっきりと残してしまった首筋は、隠すことなく晒していた。ララがそうするべきだと言ったからだ。

ジゼルは、その傷跡を手でたどりながら、鏡の中の自分に、小さく問いかけたくなる。


―――――あなたは、これで、幸せなの?




「ジゼル様、できました。」

「……ありがとう。いつにもまして、綺麗だわ。」




何の面白みもない栗色の髪をまとめられて、淡いグリーンのイブニングドレスを身に着けていた。今夜は、王家に近いフォルジュ侯爵家主催の舞踏会だった。彼もまた親獣人派であり、妻は羊の獣人だと伝え聞いた。

夫婦で参加する場合には、夫の色を身にまとうことが多いが、ジゼルはそれをあまり好まなかった。

理由は簡単だ。夫が自分のものであり、自分が夫のものであることを誇示する行為が、あまりに愚かしく感じられたからだ。




「姫、準備は?」

「ええ、整いました。お待たせして、申し訳ありません。」




エル、そう呼びかけようとして、止まった。夫は、銀色の短い髪を、整えて、舞踏会にふさわしい白い騎士服を身に着けていた。その中に、自分の色を一瞬、探そうとしてしまった。




「行きましょうか。」

「はい。」




ジゼルは小さく返事をして、夫の手を取った。いつだって、親切な手に、ジゼルは躊躇なく手を重ねるけれど、夫は親切以外の感情をその手にのせてくれることはない。

興味も関心も、そこにはなかった。

会話のない馬車を降りて、人の声が漏れ聞こえてくる屋敷を見上げる。石造りの屋敷は、ジゼルの住んでいるリシュリュー公爵邸と同じなのに、温かく見えた。冷え切っている自分の屋敷とはまるで違う。




「姫、行きましょう。」




せめて、人のいる場所では、夫婦らしく名前を呼んでほしいと思ってしまう。きっと、それは過ぎた願いなのだ。本当は、今、この時も、自分は神殿の中で祈りを捧げているはずだった。

こんな舞踏会はおとぎ話の中だけで、自分には無縁だったのだ。だから、たとえ、お姫様と王子様のようにいかなくとも、この状況に感謝し満足しなければならない。

高いヒールは、神殿を出てから履くようになった。自分を痛めつけるために履く高い踵の靴は、夫の手にすがる言い訳になる。




「リシュリュー公爵、それに公爵夫人。よくぞ、いらして下さった。」

「フォルジュ侯爵、お招きいただきありがとうございます。」

「守り人様に来ていただけるのは、我が家の誉れでございます。気の置けない友人や、獣人の友を多く呼びましたゆえ、ぜひお楽しみください。」

「……お心遣いに感謝いたしますわ。」




人の多くは、ジゼルを神聖なものとして扱う。神の炎の前で跪いていたにすぎないのに、まるでジゼルがその炎そのものかのように思うようだ。




「姫、踊りますか?」




その問いかけに、ジゼルはわずかに首を横に振った。満足しなければならない。感謝しなければならない。夫という押し付けられた役割を、賢明にこなそうとしてくれるエマニュエルに、負担をかけてはならない。

ジゼルは、ダンスは苦手だと言い訳を並べて、エマニュエルの瞳から視線を外した。ダンスを踊らない間は、絶えず挨拶が交わされる。敬愛と畏怖それに羨望が混ざる目で、ジゼルに言葉をかける人、エマニュエルの知り合いだという獣人たちが入れ替わり立ち代わり、まるで目の前でダンスするようにくるくると現れると、ジゼルは少しだけ眩暈を覚えた。

人は皆、ジゼルとエマニュエルを似合いの夫婦だと褒めたが、ジゼルはちっともうれしくなかった。それは、獣人たちが、同じ質問を繰り返すせいなのかもしれない。




「……番、ですわよね?」

「ええ。」




エマニュエルと獣人の知り合いの間で交わされる何度目か分からない、同じ会話を耳にすると、ジゼルは居心地の悪さを感じた。

その、なぜだか不思議そうな表情は、最初は気のせいだと思えた。でも、入れ替わり立ち代わり同じ質問と答えを繰り返されると、何かがおかしいと思えた。

皆、ジゼルの首筋の傷を見てから、そして、ほんのわずかに首を傾げるのだ。


――――――なぜ、あなたが、番なの?


そう問いかけられているようにすら感じて、ジゼルは息苦しさを覚えていた。




「……姫、お疲れですか?」

「ええ、少し。」




これならば、踊りたいと我がままを言ってしまった方が楽だったかもしれない。欲張りな願い事をすれば、きっと、屋敷に帰ってから、後悔して反省して、そして、口もききたくなくなるほど落ち込むことが想像できた。だから、踊りは苦手だからと、言い訳まで並べ立てたのに。

これなら、踊って、一時の夢をみて、後悔した方がましだった。




「こんなに挨拶に来るとは、私も思っていませんでした。少し、休みましょう。飲み物を取ってきますので、こちらでお待ちください。」

「私も、行きますわ。」

「いいえ。ここで待っていてください。すぐですから。」




エマニュエルと、離れることが、心細いのだろうか。とっさに、ついていくと言ってしまったが、エマニュエルに断られると、それ以上の言葉は続かなかった。

ジゼルは諦めて小さく頷いて、エマニュエルの手を離した。諦めることを、神殿の中で一番最初に覚えたはずだ。こんな風に傷つく理由も、こんな風に胸が痛くなる理由もないはずなのに。

ジゼルは、髪の後れ毛を気にするふりをして、そっと、首筋の傷に触れた。






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