呪われたアガスティアの葉
結婚して、エマニュエルは休暇を与えられた。
その休暇中に、エマニュエルの与えられていたバイエ領に行きたいと言ったのは、ジゼルだった。
結婚式で、エマニュエル側の親せきで出席を許されたのは、バイエ伯を継承することが決まった叔父だけで、母も幼い妹二人も出席を許されなかったのだ。
妻として、エマニュエルと友好な関係を築くには、家族と縁を深めていくことも重要だと、ジゼルは思っていた。
エマニュエル本人の心を動かせないなら、周囲から印象を変えて、妻の地位を確固たるものにしようと思ったのだ。
バイエ伯爵邸は、木の温もりを感じる、柔らかな匂いのする家だった。滞在を許していただいた礼をかねて、挨拶に行くと、そこには談笑する母と、娘二人がいた。
赤い瞳の母はエマニュエルとよく似ていたが、12歳と8歳だという妹たちは、少し印象が違って見えた。
普通の家族というものを、目の当たりにして、ジゼルは少し戸惑った。
家族と話すという経験が、ジゼルには圧倒的に足りていなかったからだ。
気の利いた会話ひとつできず、ジゼルは、少し落ち込んで挨拶を終えた。
「ジゼル様、何をして過ごされますか?」
滞在二日目にして、夫は、ジゼルを置いて、叔父の家に行ってしまった。それは、バイエ伯を継承してもらうための、手続きや引継ぎのためであることは理解できる。
どこかに連れて行ってもらえるなんて期待していなかったが、こうも露骨に避けられると気分は鬱々としてしまう。
「……ジョエル様とニネット様と、お話をしてみたいのだけれど。」
「王都で流行りのレースを持参しておりますから、それをお持ちになってはいかがですか?」
「本当に、気が回るわね、アンヌ=マリーは。」
「妹君がいらっしゃると聞いておりましたから。きっと、お気に召してくださると思うのです。」
ジゼルは、意気揚々とレースを持って、二人の部屋を訪ねることにした。二人は同じ部屋で生活をしているという。物語の中の、姉妹のようで、少し羨ましく感じる。
部屋の扉は、わずかに開けられていた。訪問は知らせていたので、開けてくれているのだろうか。ジゼルは、ノックしようと、手を持ち上げて、止める。
「すごく、綺麗な方だったね、お義姉さま。」
「そう?ニネットは、すぐ、そうやって騙されるんだから。」
「騙されるって。でも、本物のお姫様だもの。」
「それにしては地味だったわ。」
「ジョエル!」
中から二人の会話が漏れ聞こえる。
「それに、私たちのお義姉さまは、イザベラだけだわ。」
「まだ、怒ってるの?」
「叔父様だって言ってたじゃない。獣人の矜持を奪われたって。あんな地味に見えて、本当はわがままで傲慢なのよ。」
「……矜持って何?」
「プライドよ。」
「それって、大事なの?」
「もう、いいわ。あなたはまだ小さいから分からないのよ。」
「ニネットは、小さくないわ!」
この家は、木でつくられた家だ。ジゼルの足音もよく響いていたはずだ。耳のいい獣人なら、なおさら、ジゼルの息遣いに気づいたはずだ。
だから、これは、聞かせるために言われているのだと思った。小さなレディたちは、きっと、ジゼルを認めないと言っているのだろう。
「あの人が、お兄様の番なんて、信じられない!」
ジゼルは、いつもと同じだと思った。
家族の愛情を求めた時、ジゼルはいつも一人で処女宮に押し込められていた。家族が楽しそうに笑いあって食事をして、遊んで、話して、時に喧嘩をして、休暇を過ごして、そして、ジゼルは一人だ。
ここでも、同じだった。
ジゼルは、静かに踵を返した。庭の空気でも吸えば、少し、落ち着けるだろう。
今更、何の意味があるかは分からなかったが、足音を消して、懸命に歩いた。急いで離れれば、聞かなかったことにできると信じているかのように、素早く歩いた。
「ジゼル様、」
「神殿の中にいると、感情が動かないの。何もないから、何も感じなくていい。それが、苦しかったけど、今思うと、楽なことだったのね。感じなくていいから、何も考えなくていい。」
「それが良いことなの?喜びもないじゃない。」
振り返って、ジゼルは少し驚いた。赤い瞳と同じくらい赤い口紅に、視線が向く。豊満と言える体つきは、ジゼルにはないものだったが、強く「生」を感じる。
「お義母さま」
「本物のお姫様にそんな風に呼ばれる日がくるなんて、想像したことがなかったわ。」
番を奪ったことを暗に言われているのだと思って、ジゼルは視線を落とした。
「悪い意味ではないわ。それに、私は、今回のこと、悪いことだとは思っていない。」
「……私は、責任を感じています。」
「噂とは違う人ね。傲慢でわがままで、気分屋、そう聞いていたけれど。息子があなたを選んだのも分かるわ。」
選んだのではなく、選ばさせられたのだと訂正しようと思ってやめた。あえて、そう言ってくれているのに、義母の発言を否定しても、何も生まれないと思ったからだ。
「息子には、あなたの一番の味方でいるように言ったの。」
「ええ。とても、親切にしてくださいます。」
「でも、あなたは一人なのね。」
ゆっくりと近づいた義母の体から、酒精が香った。
「ずっと。」
その言葉は、予言とも呪いとも思えた。それは、義母がかけた呪いではない。
ジゼル自身が自分にかけた呪いだ。
この呪いは、きっと、一生とけない。それが、なぜか笑い出したくなるくらい可笑しかった。




