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スコルピウスと花の蜜




謁見のために選んだ服は、神殿で着ていたものに似た白のドレスだった。神殿で着ていたものとは違って足にまとわりつくシルクではなく、肌をふわりと撫でる軽いシフォンのドレスだ。

これにベールを被って、サラサラと音を立てる華奢な鎖を付ければ、守り人の出来上がりだった。きっと、中身は誰だってよかった。飾りだけの祈る人だ。




「ジゼル様」




アンヌ=マリーに呼ばれて振り向くと、首筋が鈍く傷んだ。首元まで覆われているから、傷が見えることはないけれど、確かにそこにあると主張する。

アンヌ=マリーは悲しそうな顔をしていた。主人がこれから選ぶであろう選択が、自分の未来も変えるからか、単純に同情しているのかは分からなかった。




「髪をまとめて頂戴。髪飾りは、そうね…これを。」




持っている中で、一番、繊細な髪飾りを選んだ。神殿に戻ることを自分から選んだのだから、この身を飾る服も靴もアクセサリーも全て祈るための道具でなければならないと思った。

シニヨンに纏めた髪に、ユリのモチーフの細いシルバーの細工が飾られる。

左手の薬指に触れながら、立ち上がって、ジゼルは自分の愚かさにため息をつきたくなる。

それを、アンヌ=マリーが痛ましいものを見る目で、見ていたことに気づいた。

これが、同情からくるものだというのならば、やめてほしかった。喉が焼けるほどに叫びだしたくなって、ジゼルは後ろ髪に中指で触れながら、歩いた。

赤い絨毯は、獅子宮の謁見室に続いていた。この色は、王家にふさわしい色だと思った。好戦的で血塗られていて、共食いによって大きく力をつけた飢えた獅子の色。それを継承するに、オレールは値しているだろう。

オレールの優しさに、ジゼルは食いちぎられたのだから。

宮廷近衛が、ルンカを持って扉を守っていた。その柄は金細工で飾られていて、戦いに向いているとは思えない。細工が、肉食獣をかたどっているのを、ジゼルは入室が許可されるまでの間、横目で眺めていた。




「姉上!」




謁見室は、王家の力を示すため、やりすぎと言えるほど華やかにされていた。赤と金、それを邪魔しない絵画の数々は、神殿の質素なつくりとは正反対なのに、同じ威圧感を覚えた。

宮殿と神殿は同じだ。

ジゼルは、そこで初めて気づいた。宮殿も神殿も同じ。同じ、牢獄だ。

ジゼルを守り人として閉じ込めるか、王女として閉じ込めるか、そこにはたぶん違いはない。ただ、宮殿には、ままごとがあっただけ。




「ここでは、そう、呼んではいけないのではなくて?」

「でも、姉上は、姉上です。突然、謁見の間で会いたいだなんて、どうしたのですか。執務室でいいのに。」




砕けた話し方に、ジゼルは微笑んだ。ジゼルのために、オレールは、ままごとの役者をそろえてくれた。それは確かに、ジゼルの心を食い荒らしたけれど、拙い優しさだった。自分によく似ていて、不幸せで不憫な弟を、ジゼルは愛おしいと思った。

可哀そうで可愛い弟。この子に会えただけで、ジゼルは神殿を出た意味があったのかもしれない。




「オレール、お願いがあって……」




オレールは金と赤で彩られた謁見室には、不釣り合いな真っ黒で重厚な椅子に座っていた。数段高いそこは、両側に金色で縁取られた赤のカーテンがかけられている。

そこは本来、警備の人間が隠れて立つためのものだ。

だから、誰かがいたっておかしくない。

だから、近衛のあの人が、いてもおかしくない。わかっていたことだったのに、姿を見た瞬間に、ジゼルは動揺した。

革のブーツが音もなく、オレールの玉座に近づく。真っ黒で重厚なその椅子に、ジゼルは昔一度だけ座ったのを思い出した。




「オレール、私、」

「陛下」




低くて落ち着いていて、腹の底まで響く声は、狼の遠吠えよりも鋭くジゼルの心に刺さった。その瞬間、ジゼルの首筋はずきりと痛み、燃えるように熱を持った。


神殿に、帰ろうと思うの


それを口にしようと思えば思うほど、傷は熱くなってジゼルは耐えきれずに首筋に手をやった。

オレールに、何か、耳打ちをして、エマニュエルはジゼルのもとに歩み寄った。そのまま、首筋にあてた手を取られ、抱き込まれるように腰を引き寄せられた。とたん、熱をはらんでいた傷は、数回拍動してから、主張をやめた。




「陛下、こうして謁見していただきありがとうございます。単刀直入に、お願いがございます。姫との結婚を、」




無かったことに


続く言葉を想像して、ジゼルは、今度は心がずきりと痛んだ気がした。檻の中に入れて、何も感じないように、自分でハチャメチャに傷つけ続けてやっとなくなったと思っていた心が、痛んだ気がした。




「早めていただきたく。」

「っ!」




声も上げられず、自分の手をとる獣を見上げた。この謁見の間よりも、ずっとずっと赤い瞳は、ジゼルを見ることはない。でも、そこには、ずっとあったはずの迷ったような、惑ったような表情もなかった。




「姉上は、王女であり、守り人だったのだぞ!十分に降嫁の準備が必要なのは、お前にもわかるだろ?1年は絶対に、必要だ。」

「半年です。」

「なんだって!?」




二人は主従のはずなのに、時折、その関係があいまいに見える瞬間がある。それは、ジゼルの知らない二人の時間があるからだろう。でも、オレールの見せる姿に、それ以外というものが存在することを、ジゼルは知っていた。ジゼルには共有した時間はないけれど、血という水よりも濃いつながりがあった。




「そんな、無茶を」

「無理も無茶も承知の上です。これ以上は、譲れない。」




神殿に帰る


ジゼルの言葉はかき消された。望んでなどいない、その言葉を、本当は、今すぐにでも吐き出さなければならないのに、かき消されたことを言い訳に、ジゼルは口を閉ざした。

言葉は毒になる。吐き出さなければ、いつか、この毒がジゼルをむしばむだろう。

それでも、ジゼルは言葉を飲み込んだ。この毒が、いつか自分を殺してくれたら、きっとこの上なく素敵な最期になる。

そう思うと、飲み込んだ言葉が、甘い蜜のように思えた。








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