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羽をもたないムスカ




イネスは、膝の治療を終えてから、バベットとクロエに風呂場に連行されていった。イネスは断末魔のような叫び声をあげていた。絡まった毛は、貧しさ故だと思っていたが、おそらくはそうじゃないのだろう。

先ほどまで、誇り高い魔女として、ジゼルに悲しい予言をしていたとは思えない情けない様子だった。

ジゼルは、窓際にある椅子に座って、アンヌ=マリーのいれた紅茶を飲んでいた。

気に入っていた母のカップを割ってしまったことを、わずかに後悔する。




「……なんで、ジゼル様は、そんなに寛容なんですか。」

「突然、なに?ララ」

「魔女のことです。」

「……あなた、本気で殺そうとしていたわね?駄目よ。」

「魔女の占いは、あまりにも失礼でした。王女殿下であれば、魔女を処刑することだって簡単なはず。なのに、許して、近くに置いてしまう。私のことだって……」

「私は、寛容、なんかじゃないわ。」




視線をそらしたまま微笑んで、ジゼルは傍らに立つララを仰ぎ見た。




「守り人はね、神殿という檻に飼われて生きているの。檻の中ではね、最初に、あきらめることを覚えるのよ。」

「ジゼル様、檻なんて……」




アンヌ=マリーはそんな言葉を言ってはいけないと、首を横に振った。




「それにね、檻の中から眺めていると、檻の外の人たちの感情が手に取るように分かるものなのよ。……ねえ、ララ、怒るのはやめたの?」




ララが息をのんだ。




「ララは、ずっと、私に怒っていたのでしょう?なのに、怒るのをやめたわね。猜疑心や警戒心を捨てたわけじゃないけど。それにね、ずっとアンヌ=マリー、あなたはララに怒っていたわ。」

「ジゼル様!」




カップを机に置いた左の手を、アンヌ=マリーが握った。




「……でも、怒るのはやめた。それは、ララが怒っていた理由を知ったからじゃないの?でも、私には、その理由を言わなかった。それは、知っても、どうしようもないことだと思ったからじゃないの?」

「ジゼル様、違うのです……違う。」




アンヌ=マリーは必死になって首を横に振っている。ジゼルはゆっくり、その頬を撫でた。




「ねえ、ララ、番ってなに?」

「それはっ!」

「あなたは、私に本当は知らしめたかったのではない?あなたか、それとも、エルかは、わからないけれど。」

「ジゼル様、知ってもどうしようもないことなのです!」

「アンヌ=マリー、知って傷つくことも、知らずに傷つくことも、結局、同じなのよ。自分のことしか愛していない、傲慢さの表れだわ。でもね、知らなかったら、誰かを傷つけるのよ。陛下は仰ったわ。誰かの犠牲のもとに成り立つ国などいらない。誰かの犠牲のもとに成り立つ幸せなんて、あってはならないのよ。」




ジゼルが神殿で、神秘的だと言われていたのは、その瞳に何も映していなかったからだ。何も映していない瞳に、人は自分の見たいものを見る。だから、神秘的だとか、聖母だとか言われていたのだ。




「……番は、獣人にとって、半身です。」




獣人は、好いた相手を、ただ一人、生涯愛する。

獣人は、人とは違い、利益で結婚相手を決めることはない。愛する人と共にいるために、この国の法に則って、結婚という選択をするのだ。

たとえ死別しても、誰かをもう一度、愛することはない。

だから、婚約相手とは、そういう相手なのだ。獣人のほとんどは、愛する人、選んだ人と、番になる。その体に、番の証を刻み、互いの香りを纏わせる。

証を刻まれた二人を分かつことはできない。苦痛と狂気にさいなまれるほど、半身を愛しているからだ。

それが、獣人の番であり、獣人の婚約だ。




「そう。だから、私は、獣人に敬遠されていたのね。わがままなお姫様の一言で、次に半身を奪われるのは、自分かもしれないから。」

「でも、ジゼル様は、ご自分で望まれた訳ではありません。陛下のご下命で……」

「知らなかったことは、言い訳にはならないわ。私は、確かに、自分の一言で、二人の人生を変えてしまったのだから。」




ジゼルは、自分の左手をかざした。背中側から入ってくる夕日の光で、約束の指輪が輝いて見えた。




「それに、私、きっと望んでいたのよ。自分では気づいていなかったけれど。」




左手を自分の胸に重ねた。あのまま檻の中にいたのなら、ジゼルはこんな気持ちを知らずに済んだ。動けなくなると思うのに、動かなければ死んでしまうと思うような、締め付けられるような、引きちぎられるような胸の痛み。

ぎゅっと、服を握りこむ。




「馬鹿みたいだわ。自由な彼の翼を手折って、こんな私が妻になろうだなんて。」

「ジゼル様」

「馬鹿みたいだわ。名前を呼ばれたことなんてないのに、一人で浮かれてエルなんて呼んで。」

「ジゼル様、」

「馬鹿みたいだわ。地面に這いつくばる虫けらに過ぎないのに。」

「ジゼル様!!」

「だから、これは罰なのね。こんなに胸が、痛いのは。この痛みの名前を、二人は知っている?」




ジゼルは、ふわりと微笑んだ。




「私はね、知らないわ。……知りたくないわ。」




涙があふれそうだったけれど、自分にそんな権利はないから、微笑んだ。

誰かの犠牲のもとに成り立つ国なんていらない。そう言っていたオレールは、エマニュエルを犠牲にして、ジゼルを本当に幸せにできると思っていたのだろうか。




「ねえ、アンヌ=マリー。陛下に謁見するわ。なるべく、早く。」

「どうなさるおつもりですか。この結婚は、陛下が初めて公示されたご下命です。それに反して、もし、陛下のご不興を買ったら!」

「不興を買ったら、あるべき場所に戻るだけよ。」




そこは、空をうらやむ虫けらには、きっと、似合いの場所だ。

ララが、ゆっくりと片膝をついた。右手を胸に添えて、頭を垂れた。黒く縁どられた茶色の三角耳を、ジゼルは、初めてまじまじと見た。

こんなに綺麗な騎士の誓いを、後にも先にも見ることはないだろう。

ジゼルは、左手の薬指にそっと触れながら、そう思った。







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