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大将首は自分で守れ  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
プロローグ~……と言えども~
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躍進の切っ掛けは

 信濃における守護小笠原政康の地位が盤石なものとなるに従い、相対的に地位を低下させることになった村上氏。……でありましたが、そんな政康が1442年に死去。家督は長男の宗康に受け継がれることになったのでありましたが、それに待ったを掛けたのが室町幕府管領畠山持国の後援を受けた甥の持長。彼らの対立により小笠原は3つの家に分裂。幕府が仲裁に乗り出すも収めることが出来ず対立は16世紀半ばの武田晴信の侵攻まで続くことになるのでありました。

 この小笠原の内紛の舞台となったのが信濃の国の中部と南部。これに中部と南部の国人の反発。更には今川の対応に苦慮する遠江斯波氏による援軍要請への対応などに忙殺されることになり、信濃の北部は幕府の影響下から外れることとなりました。この時期はちょうど応仁の乱後の混乱期。関東は関東の中で権力争いが続き、甲斐の国はまだ統一政権が誕生せず。越後もまた然り。信濃北部は権力の空白地帯となるのでありました。これをチャンスと捉えたのが村上氏。北部の高井氏に圧迫を加えるのと同時に小県。更には佐久郡へ南下し、信濃北部を掌握。そんな我が世の春を謳歌し始めた村上氏を継承したのが村上義清でありました。

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