表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大将首は自分で守れ  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
プロローグ~……と言えども~
6/45

名族なんだけど……

 信濃村上氏。河内源氏に端を発する村上氏の嫡流である信濃村上氏は11世紀末。仕えていた白河上皇を呪詛した嫌疑で各所へ配流。その中の1人守清が流された場所が信濃の国更科郡村上。ここで源から村上に改姓。12世紀末、木曽義仲の挙兵に加わり上洛。その後の義仲と法皇が対立した際、村上氏は義仲と袂を別ち、義経と行動を共にし、一ノ谷で活躍するなど平家追討にも功績を挙げる。しかし源氏の嫡流でなかったこともあり、信濃の守護になることは出来ず鎌倉時代を通し、一御家人の地位に甘んじることになります。

 14世紀に入り、後醍醐天皇が鎌倉幕府に対し兵を挙げると村上氏はこれに参加。護良新王の身代わりになるなど犠牲を払うことになるも倒幕に貢献した村上氏は後醍醐より信濃における権益が承認され『信濃惣大将』と呼ばれるようになり、その後の鎌倉残党との戦いにおいては鎮圧軍の主力として活躍するのでありました。

 その後、後醍醐天皇の政治に不満を募らせた足利尊氏が反旗を翻すのに呼応。村上氏は朝廷方の新田義貞を相手に功を挙げるなど足利尊氏側。室町幕府側として活動を続けるのでありましたが……。鎌倉時代同様、幕府の要職に就くことが出来ず。信濃村上氏は次第に幕府に対する不信感を強めることになるのでありました。そんな村上氏の動きに対し幕府は実力者斯波氏を信濃守護に任じ封じ込めを図ろうとするも失敗。その後、派遣された小笠原氏も京へ追い返すなど幕府との対立を利用しながら一定規模の自治を続けて来たのでありましたが……。


 15世紀初め。関東で戦乱が勃発。関東管領上杉氏憲が関東公方足利持氏と対立し、氏憲が罷免されたことに端を発したこの反乱に駿河、越後両守護と共に信濃へ派遣された小笠原政康も出陣。この際、政康は信濃の国人衆を指揮下に修めることに成功。この功績に対し幕府は政康を信濃守護に任命。政康は信濃での影響力を強めていくことになるのでありました。

 面白くないのが村上氏。幕府の直臣となることを望んでいたが、その願いが叶わぬものとなった村上氏は、幕府と対立していた関東公方と通じることしばし。その時々の情勢に翻弄されながら家名保つのに四苦八苦する時期を過ごすのでありました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ