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大将首は自分で守れ  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
プロローグ~……と言えども~
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担がれた神輿・武田晴信

 今川義元が息子の氏真に家督を譲る約20年前。駿河の隣甲斐の国でクーデターが発生。当主であった武田信虎は義元が待つ駿河の国へと追放されたのでありました。首謀者は信虎の嫡男武田晴信。のちの武田信玄であります。このクーデターは親子の仲が良くなったこともありますが、それだけでしたら信虎が晴信を。となっても不思議なことではありません。では何故当主の信虎が追放されることになったのか?で注目されるのが晴信を支持した人物であります。板倉信方に甘利虎泰など信虎時代からの重臣たちでありました。信虎の代からの重臣が何で?追放直前の海野平の戦いで活躍しているにも関わらず……。


 前日まで共に普通に仕事をしていた重役たちに、昼の会議の場で不意に解任動議を突き付けられ、知り合いの会社の顧問(なんの権限もない)に追いやられ、悠々自適の生活を送ることになったワンマン社長そのものがこの時の武田信虎でありました。


……と言うことはこのクーデーターの首謀者は嫡男の武田晴信では無く、板倉や甘利などの重役連中。つまり晴信は、彼らに担がれた神輿として武田家の当主に就任することになったのでありました。

 信虎追放時、武田家の外交方針は南部の今川家と北西部の諏訪家と和睦。武蔵と上野の関東管領・両上杉家と同盟を結び東の相模の北条家と北の信濃東部を伺う。と言うモノでありました。諏訪家には晴信の妹が嫁いでいました。

 これが信虎が追放されると共に一変。晴信の妹の嫁ぎ先諏訪家との同盟は断絶。諏訪領へと侵攻し制圧。その際連携した高遠家へ挑発。高遠が挙兵してきたところを返り討ちにするなど信濃南部へ進出。その間、今川と北条の仲を取り持つことにより本拠地甲斐を安全地帯にすると共に、治水と金山開発に着手。金山から得た経済力を背景に重役連中に担がれた神輿・武田晴信は戦線を信濃全体へと拡大していくのでありました。


 膨張を続ける武田家への対応を余儀なくされたのが……。

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