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大将首は自分で守れ  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
プロローグ~……と言えども~
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今川義元を以てしても

 足利義材の後ろ盾のもと、実力者波多野全慶を討った牧野古白。これにて東三河は彼のものとなった。

……と言うことにはならず……。足利内の争いは続いていたのではありますが、それが影響を及ぼしたわけではありません。では何が影響して来たのか?と言いますと

(……他地域での争いを勝ち抜いた勢力が徐々に東三河へも……。)

勢力は次の2つ。1つは西三河の松平清康。もう1つは駿河遠江を制した今川氏親。単独で両者に相対することは出来ない牧野古白が近づいたのが駿河の今川氏親。氏親も氏親で成長著しい清康と直接ぶつかるよりは。東三河を間に挟んだほうが……。と両者の思惑は一致。そんな氏親から古白に対し、北西から侵攻して来ることが予想される清康と相対すべく拠点を豊川の南に築くよう指示。豊川の北側を拠点としていた古白にとっても渥美郡進出の拠点になるこの地での築城を快諾。今橋城を造るのでありましたが……。

(牧野古白と今川氏親の関係が悪化……。)

本来安全であるハズの城の東と南から今川とその今川と新たに関係を結んだ渥美郡に勢力を張る戸田家に攻め取られ、古白は自害して果てるのでありました。

 その後、戸田家と今川家の関係が悪化するに伴い、牧野家と今川家の関係が修復されるなど今橋城は幾度となく落城を繰り返す中、登場したのが今川義元。


 今川家はほかの守護大名とは異なり関東公方への備えが任務となっていたため、京にはおらず駿河に在中していたため長年に渡り、駿河を直接支配することが出来たこと。加えて今川家は清和源氏の流れを汲むばかりか足利家からの分家であるため将軍となることが出来る家柄であり、かつ駿河には金山があり豊富な資金力を有していた。この『地盤』『看板』『鞄』の『三バン』を持つ今川家の家督争いを勝ち抜いた今川義元は、北の武田家。東の北条家と同盟を結びつつ勢力を西へと拡大。牧野家と戸田家の争いを利用しつつ東三河。更には松平家の帰順を経、西三河をも領域に加えることに成功したのでありましたが……。

(……その今川義元の力を以てしても統治には苦労したようでありまして……。)

「ここは私の父祖伝来の地です。」

とか

「ここは私のもとに戻すと言う約束では無かったのですか。」

と言いました係争沙汰。これに端を発した反乱の鎮圧に四苦八苦するのでありました。義元の統治は従えば善し。所領に関しても最大限認め、今川家のために活躍してくれれば更に加増する方針を採っていたのでありましたが……。

 業を煮やした義元は家督を息子の氏真に譲り、自ら三河へ赴き統治しつつ新たな仕事先として尾張への進出を目指すことになるのでありました。

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