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大将首は自分で守れ  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
プロローグ~……と言えども~
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将軍と言えども

 朝廷から源頼朝が征夷大将軍に任命され、鎌倉に幕府を開いたのは12世紀後半のこと。その成立に重要な役割を担ったのが関東の武士団。如何に頼朝が源氏の正当な血統を継ぎ、以仁王の令旨を振りかざしたところで自前の兵力を持たない頼朝が平氏を倒すことは不可能。彼の嫁の実家である北条氏の協力があって初めて立ち上がることが出来。頼朝が青春時代を謳歌した相模、上総など関東の勢力が味方することによって基盤を強化することが出来。最後、平氏を滅亡に追いやった壇ノ浦の戦いにおいても伊予や熊野の水軍なくして実現することは出来ませんでした。その水軍が源氏への支援も闘鶏の結果によって決定すると言う運に恵まれての勝利でありました。

 このような脆弱な基盤のもと成立した幕府でありましたので、ひとたび家来の機嫌を損ねたりなんぞしますと、たちまちその地位を脅かされることになり、頼朝は落馬。息子の頼家と実朝は暗殺され、源氏による鎌倉幕府はわずか30年で終焉を迎えることになるのでありました。


 時は移り、14世紀中頃。京室町で幕府を開いたのが足利尊氏。彼自身の力により六波羅探題滅亡に追いやるなど尊氏自身に自前の兵力を抱えていたこともあり、頼朝に比べれば基盤を有していたのでありましたが、吉野(南朝)との対立。弟と袂を別つ。更には鎌倉時代末期の混乱に乗じ、各地で独自の勢力が台頭することにより、鎌倉幕府(北条氏)の権力基盤であった守護地頭制度が崩壊していたため、室町幕府の財政基盤は脆弱なもとなるでありました。これに対抗するべく幕府は各地の勢力(守護大名)を三管領四職に任命。守護大名同士を牽制させることにより統治を図るのでありましたが、その守護大名同士の争いに幕府が脅かされることになり、その人生の大半を他国で過ごすことになったもの。暗殺されたものなど、常に不安定な運営となり、8代将軍義政の後継問題に守護大名内の相続問題が絡むことによって発生した11年にも及ぶ応仁の乱により京の都は荒廃。幕府による全国統治機能が失われることになるのでありました。

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