光秀に天下の面目を
蘭丸を従えた、上機嫌の信長が、部屋に入ってきた。
「すまん。孫市の話が実に愉快で、ついつい長話になってしまった。二人を待たせてしまった。許してくれ。この通りじゃ。」
信忠の方に顔を向け、軽く頭を下げてから、上座のお濃の方の隣にドスンと座った。信忠が慌てて、
「父上。そのようなこと。」
「何を言っておる。お前は、既に織田家の当主、わしは隠居じゃ。当主に礼を持ってあたるのが当然であろう。」
そう言われても、信忠は頭を深く下げるばかりだった。
「ところでだ、日向守には、長宗我部との折衝役を外し、わしの先陣として、中国の筑前守のところに行かせることにした。」
「いよいよ、四国攻め、毛利攻めの締めくくりですか。しかし、日向守殿を四国対応から外すのは?」
「キンカン頭のために天下の面目をほどこすためだ。」
長宗我部が、あくまでも三好氏と和解して、天下の秩序に入らないため、四国攻めはやむを得ない。このまま光秀が折衝役にとどまっていては、和平交渉しながら、戦いを始めたと非難されるかもしれない。それが降ろされたとなれば、あくまで長宗我部を擁護していて降ろされたということで、光秀は義を貫いた、義に厚いということになり、天下に大いに面目をほどこすことになる、信長なりの配慮である。お濃の方は肯きながらも、同時に既視感を感じた。
「金柑頭には、わしの中国攻めの先陣を務めさせる。」
信忠は膝を打った。濃も蘭丸も大きく肯いた。備中高松城を水攻めにして、救援の毛利勢と対峙している秀吉から、信長の出馬の要請が来ている。秀吉だけでは手に余るというわけではない。一人ではあまりの大功では、不味いということと信長の威光を明らかにすることなどさらに筋を通すということでもある。秀吉の、信長の方針への深い配慮である。その信長の先陣を光秀が勤めるなら、
「禿ネズミは、金柑頭に頭を下げて迎えねばならぬ。金柑頭は大いに面目を施したと思うであろう。」
本人の気持もそうだが、織田家家中の中でも、そのような晴れ舞台をまかされたのだから、失策があったと軽んじる者はいまい。
“内にも外にも面目をほどこせる。流石に、殿じゃ。”濃の方は感心したが、やはり既視感を感じた。何故かと思ったが、暫くして思い立った。浅井長政である。朝倉攻めの際、信長は彼に何も言わずに出兵した。彼がそのまま参加しなければ、さすが義に厚い、恩ある朝倉家に刃を向けなかったと天下に面目をほどこせる。織田家家中等には、信長から命じられなかったからと言い訳がたつし、信長も処罰する、責任を追求することは出来ない。信長の優しい配慮であるであった。しかし、彼は裏切った。“日向守殿は分かってくれるかのお。”少し不安が込みあげてきた。しかし、“日向守殿は、この後も殿から好意を受けるのだから、大丈夫であろう。”とお濃の方は思ったし、思おうとした。
信長は上機嫌で、今後の方針を語った。天皇から、征夷大将軍か、太政大臣、関白のいずれかの地位を打診されていることに、
「もったいないお言葉じゃ。」
「恐れ大いことだ。」
と言いつつ、全ての地位につく、一カ月未満ですべての地位を去るが、信忠に征夷大将軍を継がせたいと言った。
「それこそ、恐れおおいことです。」
「何を言うか。天下のためだ。」
信長の天下が、日本六十四州のほほ全域に広がってから、10年ほどが過ぎていた。もちろん、岐阜の命名の時点、天下布武の印を作った時に、日本六十四州が、頭にはあった。しかし、各地に有力な戦国大名が君臨している中でそれを全部切り従えることは現実的ではない。一方、畿内は日本の中心、政治、経済、文化の中心であり、影響力は大きい。三好長慶などの先人の事績から、畿内の制圧で天下全体を間接的にでも統率出来る。天下に、秩序も平和ももたらすことが出来る。そう考えた信長は、畿内ばかりを天下布武の対象とした、だから、上杉、武田、毛利などと戦う意思はなかった。それが、信長包囲網の形成、戦いを経て、武田を滅ぼし、毛利を屈服させ、上杉、北条、長曾我部の屈服も間近になっている。本当の天下布武、本来の天下布武を考えられるようになったのである。長篠合戦の勝利が、その転機でもあった。それを境に、家康に対する、主に手紙の敬称だが、筋を通すために変えたのである。自ら口にした天下という言葉で、長篠合戦を思い出した。“鉄砲の三段打ちを大々的にやったな。あの時の音が、新しい幕開けだったのだな。”珍しく感慨に耽る自分の老いを感じた。鉄砲の三段打は、勿論、織田軍全ての鉄砲が一斉に三段打ちをしたのでは勿論ない、各隊が状況に応じて三段打ちをしたのである。
「その後は如何するか?」
信長は濃と上機嫌で話し続けた。この時、信長も、他の3人も、全く不安を感じてはいなかった。
本能寺で叫んだ「是非に及ばず」とは、「とんでもないことだ」の意味だったのだろうか。少なくとも、筋を通し、面目を気にし、気配りしすぎた信長には、身に覚えのないことだったろう。




