信長様は女の力を認めている
「自分が、政略結婚させられたという恨みでも感じられたのでしょうか?」
蘭丸が、何か理由を捜すかのように呟いた。
「殿は、政略結婚など女達にさせた覚えはないぞ。」
お濃の方の指摘に、蘭丸も、信忠もはっとした。他の大名に、娘や姉妹、親族を嫁に出したことは、お市の方など数えるばかりで、大抵は家臣達などに嫁に出している。お市の方などの場合も、信長がことを起こした訳ではない。信長からしてみれば、安心出来る相手に嫁がしたつもりだったろう。
「殿は、織田家家中が正に家族のように結ばれることを望んでおられるのだ。」
なるほどと二人は感心した。“流石にご正室様だ。”流石に義母様。家臣の間での婚姻も、大いに勧めていいるだけでなく、自ら仲介をしている。
「殿は、女の、妻の働きを高く評価しておられる。妻が、家族が一緒にいてこそ、家も守られ、仕事もできるのだ、男一人ではなにごともできない、と常日頃言っておられる。安土に、自分一人で住み、家族を岐阜や清洲においでるいるものが多いことかわかり、岐阜、清洲の家を焼くと脅されたのも、安土に超さなかったのをお怒りになったのではない。家族と離れていたことを怒られたのだ。殿は、家族が共にいることが一番だと考えられているのだ。そこが、関東北条の祖、かの早雲と異なるところじゃ。」
ちなみに、早雲は女は考えが浅はかだから、まかせてはならないと言っていた。
「それに、女を皆お愛しなさる。」
うっかり同意しかかった蘭丸と信忠は、お濃の顔を見て、慌てて言葉を呑み込んで、少し顔を背けた。
“愛を与える女の数が多すぎると言っているぞ、あれは。”
“そうですね。やはりおもしろくないのですね。”
二人の心は読唇術で通じていた。信長の側室達は数が多い。また、家康と同様未亡人で子供を産んだことのある女性が多く、同時に生まれた子供達も多い。ただ、女達の誰かが特に寵愛されて、信長に影響力を持つということはなく、あくまでも特別なのは正妻の濃だけであると、秩序つけをまげることはしない。男色も興味がなかった。蘭丸達のことは後世脚色で、他の戦国大名と異なり、記録は残っていない。その点は、秀吉も家康も共通である。ただ、秀吉は子作りを度外視した愛情、というか欲情本意、家康のように愛情がどこなのか分からない(晩年の長生きのために、初潮前の女達を好んで抱いたとか)のとは異なって、ある意味まとも、中庸である。
お濃の方は、二人の雰囲気を感じ取り、慌てて、
「ねね殿の筑前殿への不満をたしなめた手紙でも、女の役割を高く評価しておられる、殿は。」
と言ったが、その後直ぐに、
「正妻は、側室がどんなにいようとドンとしているのだ!」
と付け加えてしまい、二人の警戒心をたかめてしまった。“これは益々いかん!”
「殿は、本当に人に学ばれるお方だ。」
話題を変えるようとした。
「確かにその通りですね。」
信忠は、恐る恐る同意した。信長のやったことは大抵先駆者がいる。しかし、それを採用したのは、信長が一番早いかった。信長は、常に新しいことに注目し、それを吟味していち早く採用して推し進めている。また、先人の事業をよく調べて、参考にしている。その上で自身の新規な考えを実行している。天下布武の印も、先人の考えとはいえ、彼が形にしたのである。また、印の採用が遅かったというのも、今川は新領土で、斎藤も内乱処理で多数の領主がいったん消えたことにより、旧来のしがらみが消えた場所でである。新政策もである。尾張内のしがらみが残る中で戦っている時代の信長は、そうした条件がなかったためである。信長は、既得権や伝統を尊重しつつ、他人の業績を学びながら、周囲の意見を聞きながら、事前に口が酸っぱくなるほど説明し、実行するときは自らが決定し、果断に実行してきた。ただ、他人に果断だと思われていても、事前に周到な準備をした上でのことが多く、筋をちゃんと通している。
“それを一人で行っているから、独断、気短、専横と思われる、誤解されておるのだ。誠に、気の毒なことじゃ。”
濃は溜息をそっとついた。信忠と蘭丸は、彼女から、怒りのオーラが消えて、取りあえずホットした。
「おや。孫市殿のお話しがおわったようですね。しばし失礼いたします。」
二人には、何も聞こえなかったのだが、蘭丸には感じたのだろう。
「流石に、蘭丸じゃ。」
「いかにも。」