天下の面目
直ぐに、蘭丸は大きな箱を二つ持って、戻ってきた。それを2人の前に置き、再び自分の座に戻った。
「筑前守殿から、お二方にと言付けられておりました。」
「相変わらず、律儀よの、筑前殿は。しかし、直接送ればよいものを、蘭丸殿を煩わすこともあるまいに。」
「今日のお出でをお聴きになり、お二人にとのお思いになられたのですが、それには筋を通してのことかと。」
「流石に、殿の意に忠実な筑前殿じゃ。殿は、常に筋を通すことを大事にしておりますからな。」
「そういえば、殿は面目について大事にしておりますが、筑前殿の知恵で、今川殿の面目を天下に施しましたな。」
「さて、それはどういうことかえ?」
お濃は、好奇心丸出しに尋ねた。蘭丸は説明した。
今川義元の嫡男今川氏真は、決して軟弱な者ではなかったが、徳川と武田から攻められ、守りきれず、領国を失い、妻の実家の関東北条家に妻と共に身を寄せていたものの、北条家の代替わりで追い出され、徳川家康の元に逃げ込んだ。家康は、
「織田殿の許しが必要なので、織田殿のところへまいられるのがよいでしょう。」
と、何と信長に丸投げしたのである。家康としては、このまま殺すべきだが、自分が手を下すのは嫌だ、信長にやらせようという腹だった。信長はというと、そんなことは全く考えておらず、庇護することに決めた。が、である。
「殿は、このままでは、今川殿が殿の情けを受けたと思われ、天下の面目が立たないと悩まれたのです。」
「殿は、自分だけでなく、他人の面目についても、ことのほか考えておられるからのう。それで?」
蘭丸は続けた。
光秀から、彼が古今の学芸に通じているので、それを京都のしかるべき公家達に披露してはどうか、との提案があった。確かに正論だが、誰にでも分かるというもではないので、どうしたものかと悩み続けた。すると、秀吉が思い出したというように、
「若き頃、今川家中におりましたが、かのお方は天下に比類のない蹴鞠の名手と聴いておりました。」
「おお、それじゃ!禿ねずみ、よいことを言った!でかした!」
と膝を打って大いに喜んだ。見た目にもわかりやすいし、しかも多数の観客も呼べる。誰でも、その善し悪しがわかる。本人に打診したところ快諾し、京都の公家達を始め多数の人間を招き、さらに蹴鞠の上手を招き、蹴鞠の会を開催した。氏真は、その場で蹴鞠の名人ぶりを披露し、皆から喝采を受け、称賛された。天下の面目を施した、これだけの名人だから、信長の禄を得たという大義名分を得たのである。
「それにつけても、比べると、徳川殿のなされようは。旧主の今川殿ご嫡男のことを殿に丸投げして。」
お濃の方は、嘆くように顔をしかめた。
「そうですね。信玄めが、もともとは徳川殿の領地に侵入したのが悪いとはいえ、殿の仲介も聞かず、北条と結んで、武田と戦おうとしたりして、殿の面目丸つぶれじゃった。しかし、それでも殿は徳川殿を見捨てず、信玄めとの同盟を誠実にお守りになった。」
「まあ、徳川殿は、弓馬にすぐれておりましたから、三方ヶ原の戦いの敗戦でも、追っ手を射殺し、馬を駆けさせ逃げのびた。なかなかのものじゃったがな。ところで、私には分からないことが多いが。まずは、浜松城の門番じゃ。」
腑に落ちないと言う表情だった。
「徳川殿は、浜松城から動かぬようにと殿から助言を受けたにもかかわらず、積極的に挑み、三方原で大敗された。何とか浜松城に着いたものの、城番が知らぬ者は入れられないと言って、どうしても門を開けなかったとか。後で、徳川殿はこの行為を褒めたとかだが、主人の顔を知らない城番では困るのではないかと思うのだが。」
「母上様の言われるとおり。誰々なら知っているとかという話になって一端戻って、改めてその男の名前で開門を求めたら開けてくれたとか。決して褒められた門番とは思いませんな。また、自分の傍にいた騎馬武者達にしきりにツバキをかけて、後で鎧に唾の着いた武者を確認できた、それが1人だったという話を聞いたが、1人なら、そんな手間暇が必要あろうか。」
信忠まで言い出したので、蘭丸は、困った顔をしていたが、意を決して、
「実は、徳川殿の天下の面目のため、黙っておりましたが、これは内々のこととしてお願いいたします。」
「他でもない蘭丸殿のためとあれば我慢しよう。安心せよ。」
と信忠が言うと、お濃も大きく肯いた。
三方原の戦のおりには、織田軍約二万の兵が、後詰めに控えていた。だからこそ、信長も家康に敢えて打って出ないよう助言をしたのであり、徳川方を大敗させた武田軍が、追撃をかけてこなかったのである。また、家康もそのつもりだったのだが、一応、口だけは積極的に戦うと息巻いたのは大将として当然のことだったが、一部の兵が勝手に出て行き、武田軍と交戦になり、危うい状態になり、捨て置くことも出来ず、慌てて家康みずから兵を率いて救援に駆けつける羽目となった。そのため、織田軍三千も押っ取り刀で、それに加わることとなったのである。結果、多勢に無勢、しかも逐次投入となって大敗。織田軍は、家康を守るために奮戦、指揮官の平手が戦死するほどの損害を受けた。撤退時の家康の弓矢は見事だったが、彼を守る兵のほとんどは織田の兵で、家康がかけまくった唾がかかっていた徳川家中はひとりだけだった、浜松城の留守番をしていたのは、徳川家中全て出払い、織田の兵だった、もちろん門番も織田の兵だった、ということだった。
これを聞いて、声を殺して暫くの間笑いまくったお濃は、
「これが世に知れては、徳川殿の面目がないのう。天子様からのお使いの際にも、徳川殿のの面目が立つよう、随分苦慮しておる。それなのに、徳川殿のなさることは、武田、信玄が元々悪いとはいえ、殿が仲裁したのに、全く無視して、北条めと同盟して、武田と事を構えた。信玄もわびを入れ、殿も間に入っては苦労されたのが全く分かっておらなんだ。三方原の大敗は、ほんに自業自得じゃ。」
いまいましそうに、お濃が言うと蘭丸も同感だという顔だった。お濃は、まだ我慢できないとばかりに、
「そんな男であるから、自分の嫡男と正室を無残にも殺してしまうのじゃ。しかも、無実の罪だとか。」
戦国大名家の父殺しや息子殺しは、よくあることであり、信忠は自分の幸運をあらためて感じた。後詰めとなり、苦労、負担は多いが、戦いの場での活躍、手柄を立てられない三河衆の反発が背景にあったとは言え、二人とも無罪で娘の夫である家康の長男を助けたいとは思ったが、自分から命令出来ず、徳川家中の者に尋ねると全くの弁護もなく、助ける手立てがなかった。蘭丸も側で信長の苦悩をよく見ていたので、家康のやりようにはほとほと愛想が尽きる思いだった。
「三河衆のかなりの者が処罰、追放されたとか。」
信忠がぼそりと行った。
「ほんに殿とは全くない異なるなさりようじゃ。」