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二 〈幻〉の兆し(ⅰ)

 昼前の白い陽光が仄かに差し込む静粛な廊下を、安い靴の鳴らす足音と共に往く。

前を歩く傭兵か国境の警備隊崩れらしい看守が、不潔なものでも見るような目を、わざとらしく何度も向けてくる。

 これから訪れる災厄を前にして苛々していた俺は、その喧嘩を衝動買いした。

「寝違えてんのか。動物らしく前を向けよ」

 瞬間、殺意が相手の視線に宿る。

「……権力をカサに着たクズが」

「あんたも同じようなもんさ。都市法か、金か、かざしているものの違いに過ぎない」

「スレた野郎め」

 明らかな憎悪を当ててくるが、決して手を出すことはない。この都市の法の番人はクールを気取り、暴力による訓育を最も恥ずべき手段と見なす。圧倒的な筋力で悪人をぶちのめす警官と対照的だが、まあ、それも現場と事後処理という性格の違いに過ぎないのだろう。この男も警察だったなら、喜んで俺をボコボコにするはずだ。

 廊下の果てには両開きの扉があって、そこを出ると塀と門、その傍らに詰め所が見えた。俺を先導してきた看守が、詰めている男に何事かを囁くと門が開き、俺は晴れて自由の身となった。

 久しぶりの娑婆、という感慨をなんとなく抱いたが、俺が〈泥竜〉のプライベートストレージに忍び込んでから、まだ三日間しか経っていなかった。

 ……捕まった盗みのメンバーの中で一人、俺だけが特例的に塀の外というわけである。

 捕まらない絶対の自信があったわけでも、牢獄に幼い憧れを抱いていたわけでもない。単に、捕まっても平気なコネがあったから、俺はあの盗みを計画したのだった。そういう意味で、俺が連中に吐いた最も罪深い嘘ということになろうか。

 しかしまあ、コネを利用して釈放して頂いたとはいえ、手放しで嬉しいわけでは全然ない。むしろ、暗鬱な気分の方が大きかった。

 俺は門を出て目を眇め、その人影を見据える。襟巻で口元を隠した彼女は、絹のカーテンのような金髪を、穏やかな風に吹かせるがままバイクに凭れていた。

 〈天泣の〉テト――天才彫刻家。

 極度の人嫌い&出不精で、ほとんど人前に顔を出さず、全てただ一人の仲介人を通してのみ作品を世に送り出す希代の彫刻家。年齢も性別も相貌も、その委細を知る者は僅かと言う。

 で、俺はその、希少な人間のうちの一人だった。

というか、その唯一の仲介人とやらである。

 この間抜けな仲介人が警察に取っ捕まったら、テトの作品の流通は直ちにストップする。それは困るから、テトはお得意様である巨大企業〈柏舟〉の社長を介して、警察省の重役に働きかけてくれたのだった。

 ――『社長』である。それだけで、テトのカリスマ性を説明するには十分だろう。

 だが、テトが一人、毛嫌いするバイクに乗って俺を迎えに来たという事態は、はっきり言って異常だ。彼女は、己の持つ最大限のリソースを作品作りに費やしたがる芸術人間だ。突然捕まった仲介人を波風立てず釈放させることは、かなりのストレスになったはずだ。尻拭いさせやがって、と怒り狂う様が容易に想像つく。

 それでもほったらかしにせず、こうして俺が塀の外に出られている、ということは、テトは俺を必要としてくれている、ということ――その事実はだいぶ心の支えとなっていた。

「コース!」

 テトは、のろのろとやってくる俺を認めると、大声で呼びながら歩み寄ってきた。

 頭半分ほど背の低い彼女の顔を見下ろしながら、俺はできる限りの申し訳なさを口調、表情、台詞で表現しようと試みる。

「テト……すまないな」

「そんな謝罪はどうでもいい! 時間の無駄だ。さっさと帰るんだ。早くあの忌々しい鉄の馬で、僕をアトリエまで連れて帰れ」

 人間をやめたくなるような悪罵を覚悟していた俺は、拍子抜けした。

 テトは拍子抜けした俺の鈍い反応の方に怒っているようで、ガンガン膝を蹴りつけながら、

「早く早く! 今も刻々と、僕の寿命は縮んでる!」

「あ、ああ……」

 俺は戸惑いながら、バイクに跨る。テト用のものだから小ぶりで、手狭な乗り心地だった。テトは後部に腰掛けて、俺の腹に手を回す。焦れた彼女に腹をノミで刺される前に、俺はバイクをスタートさせた。

 方角は太陽の逆方向。〈歯抜けの街〉の移住者向けの居住地域の辺境、テトのアトリエへ。

「キネルトの〈幻〉、その設計図だ」

 テトの漲るような声音に、俺はにわかに緊張する。

「キネルト……造形の魔人か」

 キネルトとは、テトの私淑するアーティストだ。五十年前の、東部国境地帯及び西部の山脈を隔てた大戦争の時代に活躍した画家・彫刻家で、木や鉄、銅、粘土、石膏と、材質を選ばない多彩な作品群は、鑑賞者のものの見方を抜本的に変えてしまうインパクトを与えた。

 俺に言わせれば、テトの仕事はキネルトのそれの上位互換だ。草分けであるキネルトの仕事を、テトが正しく継承、成長させているのだ。そんなことを本人に言ったら、キネルトを愚弄にするな、と口に石膏を流し込まれるから言わないが。テトにとって、キネルトは絶対的な心の師匠なのだ。

「惚けてるなよ」

 テトは俺の腹に、ノミかナイフか知らないが、明らかに鋭い何かを押しつけてきた。

「金目当てでプライベートストレージに潜り込んだとは言わせない。お前が〈土塊〉からパクってきたんだろ。あの図面を……」

「……きちんと届いたんだな」

 俺はほくそ笑む。想定した以上の食いつきぶりだ。

 テトの言う「あの図面」、通称「キネルトの〈幻〉」は、この都市の美術界隈では誰もが知る、キネルトが創作を試みて、遂に断念してしまった作品、及びその設計図のことである。芸術家が作品の設計図を描くか、という話だが、キネルトはそういうタイプだったらしい。

 幻なんて言われる通り、設計図の現物は見つかっておらず、噂レベルに留まっているわけだが、キネルトフリークであるテトは誰よりもその存在を信じ、目にしたがっていた。

 憤懣ではなく、高揚からくる陽気な不機嫌さで、テトは言う。

「近所の廃墟にだぞ。気がつかなかったら、朽ちてるところだった」

「何かがドカドカ届けば嫌でも気がつくだろ」

「うまいことやったつもりなら間違いだ。僕に救われたな」

 テトはうんざりとした口ぶりで身を引いた。腹部に突き付けられた凶器が離れる。刺されたわけでもないのに、そこから血が流れ出たような錯覚があった。

「お陰様で、お前がいないと僕は困るようになった。お前を連れ出すのにどれだけ無駄な体力を使ったか……浅はかなことすんなよ、バカ」

 労いの言葉のようだが、何の優しさも含みもない、そのままの意味である。この台詞に絆のようなものを見出す向きがあれば、その幸せな思い込みは是非とも大切にするべきだ。

「作るのか」

 俺は訊ねる。

「作る」

 テトは即座に答えた。

「キネルトが自分で設計して、自分で放棄した作品だぞ」

「知ってる。バカにしてるのか」

 反駁の声は真に迫っている。本人すら断念したその作品を代わりに作るということは、キネルトを乗り越えるということだ。信仰の域にまで達する神のような存在を、自分の裡で殺すことに等しい。

 それを死ぬほどわかっているテトだからこそ、振るう弁舌は熱かった。

「キネルトが唯一、匙を投げた紙面だ。これには全彫刻家の野望が詰まっている。しかも、そんなものをお前が無様晒してまで、わざわざパクってきた。それに尻を向けるなんて、僕のプライドが許さない」

「そこまで燃えてくれるなら、盗って来た甲斐があった」

「僕のために、か?」

「もちろん」

 俺は間をあけないように答える。すると、はっ、とテトは見下すように笑った。

「嘘だな。お前も僕も、キネルトが頭の中で生んだ幻を、何としてでも見たいという点で一致してる。だが、お前には技術がなく、僕には行動力がなかった。だから、それを補ったまで。結局、どこまでも自分のためってわけだ。違うか?」

「……ご名答だよ」

 肩を竦めて、告げる。あっさりと嘘だと見破られて、鼓動が早まった。テトは俺にしがみついている、動揺したことも筒抜けだろう。

「それにしても、〈泥竜〉……泥棒するとは、随分思い切ったんじゃないか」

 テトは俺の内面に微塵の興味も示さず、そんなことを言う。

「……それだけの価値はある」

「理解不能だ。僕の目の前になければ、そのものはないものと一緒だ。だから、僕は手の届かないものと諦められていた」

 話の流れに、俺は固唾を飲む。

テトは吐き捨てるように言った。

「だが、手に入ってしまって、プライドが邪魔するというからには、やらなければならない。キネルトも無理だと言った仕事をだぞ……クソ! 考えたら憂鬱になってきた。余計なもん、持ってきやがって」

 ガツガツと背中を叩かれる。多分、金槌で。テトは容赦など知らないから、かなり痛い。

 さっきの興奮した様子を見せていたのが嘘みたいな不機嫌ぶりだ。造れることの喜びと、造らなくてはいけない苦しみが、彼女の中には同時に存在する。テトはその両方にあえなく振り回される。振り回されながら、真実に限りなく近いところまで歩いて行く。

 そして、俺の仕事の本質は、その不安定な情緒に振り回されまくることだった。

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