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一 泥に沈むストレージ(ⅲ)

 他の〈土塊〉ゲートが開いて、警備責任者がやってくるまでがタイムリミット、恐らく五分と時間はない、とブリーフィングで伝えてある。これが初犯という奴はいないだろうから、用を済ませた人間からとっととずらかっていくことだろう。

 俺は俺で、自分の目当てのものを探していく。今、この瞬間の自分は、マージュ粒子という鉱物の演算によってのみ、存在を保証されていると考えると、変な気分だった。

棚は細かくナンバリングしてあるが、部外者にその意味はわからない。適当に中身を見て、類推していくしかなかった。

 〈土塊〉を所有する三大企業の一角〈泥竜〉は、大成功した鉱山会社を前身としており、その関連から不動産や重工業辺りにも根を深く張っているため、その辺の資料が多い。汚職や癒着によって、週刊誌にスッパ抜かれることが多い企業だが、この〈ストレージ〉にはそういう不正の証拠がいくらでも転がっていた。これらをどこか出版社に送りつければ、とんでもないことになるに違いない。

 俺はそんなものに興味はなかった。棚からひたすら適当に書類を引っこ抜いては、目当てのものと違えば床に叩き落としていく。

 時間はあまりない。

 少し大胆に移動して、目についた橙色の封筒を手に取り、雑に中身を取り出す。

 ――マージュ粒子基礎研究計画書

 俺はポケットから革袋を取り出して、そこに並んでいる書類を片っ端から突っ込んでいった。

〈泥竜〉は他の巨大企業〈柏舟〉〈帳影〉と比べると、マージュ技術は後進だ。そのせいか「空間跳躍(ワープ)に関する研究報告書」などという尖ったテーマが目につく。実現したら、物理学を一から考え直さないといけないくらいとんでもないことだが、まあそれだけ他社に一矢報いるための投資を頑張っていたということだ。

 ちなみに、マージュ粒子技術に関しては〈帳影〉が最強で、近頃はマージュ演算容量の貸し出しビジネスを始めた。法人向けのサービスだが、これによって、マージュ粒子特有の「空間技術」を大がかりな設備投資なしに利用することができるようになった。

 さっきから盗品を詰め込んでいるこの革袋も、その潮流に乗って開発された製品だ。

 可逆圧縮パッキング。別に用意されたリモコンで操作すると、中身の物品ごと空間を圧縮・展開してくれるというハックアイテムで、現在の技術では最大両腕で一抱えほどの荷物を、親指の爪ほどに圧縮できてしまう代物だ。

 俺はこれをメンバー全員に与えている。盗品を極小化して手ぶらで逃げるもよし、更に両手いっぱいに抱えて物量を確保してもよし。その辺りは自己責任だ。俺は獲物を圧縮するとポケットに放り込み、手ぶらでこの場所から逃げ出すことにした。

 一つの〈ストレージ〉には複数の〈ゲート〉があって、どこからでもアクセスできるのは既に言ったが、出る時は各々の入ってきた時の〈ゲート〉から出るらしい。そのメカニズムは謎だが、未だにワープが実現しないのはこの仕様のせいである。

「よう! 何だ、このヤマは、手ぬるいな! 参加してよかったわ!」

 漁りを済ませて向かった〈ストレージ〉の出口で、俺は今日の集合に真っ先にやってきた男と出くわした。両脇にどっさりと書類を挟みこんでいる。嬉しそうで何より、以外の感想が出てこなかった。

「そうだな」

「またやる時は呼んでくれよ、いつもんとこにいるから!」

 愉悦の表情を浮かべるそいつに、俺は首を振ってみせた。

「いや、もうやれないだろう。今は〈ストレージ〉黎明期だから、抜け穴も多く、うまくやる手立てがあっただけだ。今回の件で、各社は警備システムを十分に強化するだろう。次はない」

「ええー、そんなこたねえよ、もう一回くらいできるって」

 俺の説明を全く聞いていなかったようで、男は大声を上げる。しょうがない奴だと思った。

 仮にも、巨大企業のプライベートストレージだ。こんなスムーズに窃盗を達成できるわけがない。

 俺が、有り得るリスクを全く説明していないことに、何故連中は気がつかないのだろうか。そんな都合の良さの中で、ぬくぬくと生きてきたのか。指摘された時の対策も用意していたというのに、無駄になってしまった。実行の円滑さよりも、こちらの手ぬるさの方が驚きである。

 しばらく通路を進んでいくと、何故かこちらの方に引き返してくる仲間と鉢合わせた。俺の隣の能天気な男と対照的に、ひどく狼狽した顔をしている。

「お、おい、あんた、聞いてないぞ!」

「何を」

 俺がとぼけて訊き返すと、そいつは声を張り上げた。

「サツだよ! 警察が外で張り付いてやがんだよ!」

「なんだ、そんなことか。泥棒がいるんだ、当たり前だろ」

「ふ、ふざけてんじゃねえぞ!」

 本気でこの事態を予想していなかったらしい男に、俺は呆れ返ってしまった。

「ふざけてるのはどっちだ。〈ストレージ〉の中の情報は全部マージュ粒子によって記述されるんだぞ。演算装置をモニターしてれば、お前のケツの毛の数まで一発でわかる。こんなブザーがわんわん鳴ってる中で、中身を警戒しないはずがないだろ」

 それからしばらく「わかってたなら何で言わない!」とか、ぎゃあぎゃあと文句を言われまくってあっという間に耳が痛くなった。牢獄に入りたい連中がどうして警察を恐れるのか理解に苦しむが、実際の場面に立ち会ってみればそういうものか。

 マスコミに詰め寄られるスキャンダルを起こした政治家のような格好で、通路から自然空間に出て、〈ゲート〉の外を窺うと、確かに警察の車両がずらりと並んでいた。張り込む警官たちも漏れなく機動スタイルでやる気十分。

 どうにもこの都市の警察は、こちらの「罪人意識」を高めるようなデザインがされていて、良くない。格好いいのだ。スマートな制服、強力な装備、明朗な正義の御旗。子どもの将来なりたい職業ランキング一位は伊達ではない。

 窓から裏へと逃げれば、と思ったが、裏側にも張っている気配がある。むしろ、そちらでの捕縛が本命なのだろう。

 その光景を前に数分もすると、最初は意気揚々としていた泥棒たちは、すっかりげんなりした様子で〈ゲート〉の前で立ち往生していた。

「こんな金になるもんを抱えて、のこのこ捕まってられっかよ!」

 というのが、彼らの自首しない理由らしかった。尤もだ。誰も囮を名乗りでない辺り、彼らの紐帯は大したものではない。まあ、俺が適当に見繕った面々だから、そんなものだ。

 男の一人が俺を睨みつけて、

「おい、てめえ、サツが来ることを予想してたくせに、どうしてそんな平然としてやがる」

「何か案があるんじゃねえのか?」

 別の奴が勢いに便乗して詰問する。

 俺は少し考えた……どうやってこの包囲を突破するか、ではなく、どうやったらここにいる全員が、素直に外の警察に正面からぶつかってくれるか、を。

 申し訳ない話だが、ここの仲間たちはただの駒でしかない。俺と彼らでは目的も立場も違いすぎるし、理念にも天と地の差がある。俺の目的はこの中の誰か一人でも逃げてくれれば達成されるが、彼らの目的は自らの脱出でしか達成されない。

「案なんて最初からないさ。元々、〈ストレージ〉襲撃はこういう類のものだ」

 俺はメンバー全員の顔を見渡しながら、言う。

「説明したはずだ。この盗みは世界のパワーバランスを変えるってな。お前らの抱えるその紙切れの束は、出すところに出せば文字通りの宝の山になる。あのサツの包囲は……その最後の試練といったところだ」

 ちら、と窓の外を確認する素振りを見せつけて、

「恐らく、正面の派手な囲いには素人ばかりだ。威勢で脅かし、わざと裏の方面へ脱出させて、待ち伏せている熟練の追手に捕まえさせる段取りだろう。つまり、出るなら正面、全員一緒に、だ。その中で、優秀な奴だけが生き残り、捕まった奴らは『補講(ろうごく)』行き……自然淘汰ってことだ。言ってることの意味、わかるか?」

 わからなくっても警察の包囲は解けないし、結局はそういう展開になる。

 俺は根気よく男たちの顔を見渡し腹を括らせて、突貫の準備を促した。

 便所から拝借してきた鏡で、壁から身を乗り出さずに正面の様子を窺う。装甲した車が四台、がっちり装備を固めた人員がざっと一五。こちらの数は七だから、相手が手馴れていると全滅は必至だ。

「左二台の車両の間が脆そうだ。全員でそこに突っ込む」

 そのスペースを埋めるのは三人だけ。数で押せば突破は不可能ではないはず。

 目線でメンバーの了解を取ったが、どの眼差しも「お前が先に行け」と語っている。リーダーじみたこともしているし、俺は捕まらない、などと大言を吐いてしまった以上、こういう役回りは必然と言えた。

 俺は拳銃を手に、息を整える。銃と言っても殺傷能力はない。ショック性のあるマージュ片を叩きつけて対象の筋肉を弛緩させ、行動不能にするという代物で、さっきのハッキングマシンとセットで随分と値が張った。可逆圧縮パッキングも合わせれば、一年分くらいの生活費を投げ出したことになる。

 まあ、それぐらいの価値はある襲撃だった。

「行くぞ……」

 俺は静かに叫び、陰から躍り出た。

 後ろから雑多な足音が続くのを聞き、一人虚しく突撃する間抜けにならなかったことに安心しつつ、右の方、つまり突破点とは逆側にいる警官に一発、撃ち込む。運悪く弾に当たってしまった警官が、ぐ、と声を上げて膝をついた。

 相手は正義の象徴、こちらの用意できる装備など余裕で携えている。俺が撃ったのと同じ弾丸を八方から撃ってきた。軽い破裂音があちこち響く。ぎゃあ、と、俺のすぐ後ろを走る男が声を上げて倒れた。痛そうな音がしたのは、後続の誰かがその男を蹴っ飛ばしたからだろう。不憫過ぎて涙も出ない。

 前方、盗人たちが一斉に向ってくることを、早々に察したらしい警官たちがシールドを構えた。何も考えずに突っ込んだら、慣性と鉄製のそれにサンドされてしまう。

 俺は咄嗟に別の逃げ道を探す。正義の諸君の隙間を埋めるよう、横付けに留められた車は、悪路も往けるよう車高を高くしたタイプで、飛び越えるには少し高い。

 俺はそのタイヤを銃で撃ちぬいた。鈍い音と共にタイヤは萎み、車両がこちら側へ傾ぐ。飛び越えるには厳しいが、これで一応乗っかれるようにはなった。目測で歩幅を計算し、程よい場所で思い切り地面を蹴る。

 正義の色の象徴なのかよくわからない銀色のボディの上を滑り、俺はうまいこと向こう側の地面に転がり込んだ。

 ちらと後ろの状況を見ると、俺と同じく車の上を這って越えてきた奴が一人だけ、二人ほどが盾持ちにぶつかっていき取り押さえられ、そのどさくさに紛れて脇から二人が抜け出してきた。

 都合、仲間の半分が包囲を突破したことになる。期待以上の戦果だった。

「行け、行け!」

 俺は他方から押し寄せる警官たちに銃口を向けて牽制しながら、男たちを先に行かせ、自分は殿につく。目指すべきは乗ってきたバイク。あれで南西の川の入り組んだ方面に逃げ込んでしまえば、撒くのは簡単だ。

 実はもう弾の切れていた銃を投げ捨てて、俺は走った。身体が熱くなり、上気し、自分の息遣いがうるさくなって、思考が遠のく。これは勝った、と揺れる視界の中、ぼんやりと思い始めてしまった時――俺の運は尽きていた。

「っ!」

 太腿に何かが当たった。撃たれたかと思ったが、それにしては痛みが鈍い。走り続けることができなくなって、俺は道に倒れ込む。

 振り向くと、俺がさっき捨てた拳銃が落ちている。あまり考えたくないことだが、あれを誰かが俺に投げつけたのだ。

 身体を再び走り出す意思を整えるより先に、俺の視界に影が差す。正義の巨大なシルエットが、俺を見下ろしていた。

「残念」

 彫りのやたらと深い顔が、嫌味たっぷりに言う。正義の顔面とは正反対、おとぎ話の悪役みたいな鉤鼻が、にんまりと笑った。

 俺は応える代わりに、飛び跳ねるようにして、その面を殴りつけた。だが、あえなく拳は空を切り、空回った腕をむんずと掴まれる。痛みを感じた瞬間、地面に押し倒され、拘束されるだろう数瞬後の俺の未来を見た。咄嗟に、ここは最善を尽くすしかない、と判断を下す。

 ポケットに放り込んでおいた、可逆圧縮パッキングの袋を自由な方の手に持つと、前を走る仲間の一人、名前も知らず、顔も明日には忘れるであろう誰かの背中に、思い切り投げつけた。静電気で衣服のどこかに引っ付けばいいと、ほぼやけっぱちな気持ちで、だ。

 結果を知る時間すら与えられず、俺はそのままその大男に組み伏せられた。こめかみをしこたま地面にぶつけて、ひどい鈍痛に視界がブラつく。

「小癪な」

鉤鼻警官は渋味たっぷりの声で唸る。とんでもない怪力の持ち主で、俺も人並み以上に鍛えているのに、この圧力には全く歯が立たなかった。

「化け物か……」

「ふん、コソ泥風情が。正義に盾突くからだ」

 手錠で両手首がつなぎ合わされる。その完全に見下した台詞と拘束具の冷たい感覚が、俺の中の罪人意識というか、劣等感を一気に沸き立たせた。別に牢獄送りでも構わない心持とはいえ、実際に捕まるという行為に身を置くと、出所不明の悔しさに苛まれる。

「ほら、立て」

 すごい勢いで身体が引っ張られ、無理やり立たされる。その時、バイクのエンジン音が怒声と共に遠のいていくのが聞こえた。全員捕縛という事態は避けられたようで、ほっとする。

 もう、十分だった。

「立派な鼻だな」

 気の弛んだ弾みで、俺はその巨人を揶揄った。

「女のマタ舐める時、喜ばれるだろ。その鉤っ鼻が、うまい具合にフィットしてさ――」

 言い切る前に相手の理性のぶちぎれる音がして、物凄い力でぶん投げられた。また地面に頭をぶつけ、今度は渾身の蹴りを尻に頂く。あまりの激痛に意識が吹っ飛び、気がついた時には別の警官に引きずられて、車両に放り込まれるところだった。

 先に押し込まれていた仲間の一人が、俺の醜態を見て皮肉めかして笑った。

「〈安心しろ、俺は捕まらない〉」

 そして、嘲る調子で俺の放った台詞を真似してくる。俺はうんざりして毒づいた。

「クソだな」

「こっちのセリフだ。逃げた連中の報酬、どうするんだ」

「……別の人間に頼んであるから平気だ」

 俺は座席に身体を埋めながら答えた。

 まあ、生憎と、嘘なのだが。俺は今日、幾つ嘘を重ねたのか数えてみて、途中で嫌になってやめた。

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