一 泥に沈むストレージ(ⅱ)
遠くに見える高層建築群の方から、煙が上がるのが見えた。作戦開始の狼煙だった。
『〈土塊6〉より原因不明の出火。安全の確認が取れるまで、〈土塊〉全ゲートを閉鎖せよ』
緊迫したアナウンスが響き、武装した警備員たちが警戒に当たり始めた。
〈ストレージ〉は、十年ほど前に確立した技術〈実想空間〉主流の用途である。
太古から存在する、かつて俗に「魔法」と呼ばれた超常現象は、魔法粒子の発見で全て説明が可能となった。マージュ粒子とは、髪の毛の断面よりいくらか大きい程度の微細な三角錐状の物体だ。この粒子一つを一ビットとし、任意の素数ビットを決まった通りに組成していくことで、多様な情報を現象させることができる。
一例として、一七九bのマージュ片は燃焼に近い発熱を起こす。これは「亜酸化」と呼ばれ、こういう用語の羅列によって、「魔法」は科学の制御化に置かれることになった。
それで、そのうちマージュ粒子によるマージュ粒子ビットの書き換えという、魔法が開発される。人形による人形の再生産というホラーの定番は、この革新に由来する。戦前に発見され、戦後に頂いた賠償金を湯水のように使うことで、一気に実用レベルに躍進させた。
「書き換え」がどういう作用かと言うと、特定の刺激を受けたマージュ片が、他のマージュ片を結合したり分解したりする。七bを、三bと、四bの、それへ。逆も然り。それをうまいこと利用することで、ある種の演算を行ったり、その計算結果の保存が可能になった。
電子計算機がするような形而上の計算ではない。空間そのものを演算できてしまうのだ。
元々、マージュ粒子の作用というのは、念力だとか、光の創出だとか、湖の水を割ったりとかいう、古典的な魔法の伝説が示唆する通り、現象そのものへのアプローチである。
本当に素数なのかと疑うような大きさの、ある素数ビットが、空間を押しのけない空間――仮想空間を生み出す。そこに、諸々の自然現象を記述する組成ビットを現実として肉付けしていく。サイズ、重力、気圧、物質の配置、地形――そういう諸々のステータスを、演算を担当するマージュ片に入力してやる。こうすることで、どこにも存在しない場所に空間が出力される。
そうして生まれた空間のアドレスに、別のマージュデバイスをアクセスポイントとして紐づけることで、その空間に繋がる道が出来上がるという運び。この入り口は〈ゲート〉と呼ばれる。マージュ粒子の純粋な計算が実装する、場所をとらない場所、ということで、「実想空間」というわけだ。〈形而の都市〉には一応まともな頭脳がいるようで、これを一目散に居住に充てるのではなく、〈ストレージ〉なるインフラ設備として普及させた。水、ガス、油、電気、食料、倉庫。これらの機能を土地から省くことで、住まえる場所が大幅に増えた。
夢のような装置だが、もちろん欠点はある。
理論上、マージュ粒子があれば無限の空間を虚空に作成できるが、当然、空間を生み出すというわけだから膨大な量を必要とするし、稼働にも莫大なエネルギーと人員が要る。そのリソースを賄えるのは、三大企業〈柏舟〉〈泥竜〉〈帳影〉のみで、実想空間技術はこの三社の独占状態にある。今、正に忍び込もうとしている最中のプライベートストレージというのは、こういう巨大企業が自分たちの利益のために設ける〈ストレージ〉のことで、例外はない。
もう一つ、重大な欠点は演算マージュ粒子の組成が崩れると、実想空間は跡形もなく消え去るということ。当たり前の話だが、実想空間が空間として保証されるのは、マージュ粒子が頑張って計算しているお陰だ。その頑張りが失われれば、〈ストレージ〉として中に保管されていたものも消える。今のところ、実想空間が居住区として認可されていないのは、この理由に依る。
この損失を防ぐために、現在稼働中の〈ストレージ〉の演算装置は分散して都市のあちこちに配置されている。一か所破壊されても、直ちに他で補えるということだ。各企業の最高責任者以外、装置の全ての場所、数を正確に知る者はいない。そうでもしなければ、こんな危なっかしいスペースなど安心して使えない。
アクセシビリティを高めるために、一つの〈ストレージ〉に対して〈ゲート〉は複数、様々な場所にそれとなく置かれている。俺たちの張っている〈土塊11〉とナンバリングされた施設はそのうちの一つだ。〈土塊〉と銘打たれたものなら、どれでも〈土塊〉というストレージに繋がっている。
つまり、どれか一つの〈土塊〉ゲートが襲撃に遭うだけで、〈土塊〉全体の危機となる。そのため、異変を感知した瞬間から全ての〈ゲート〉は遮断され、〈土塊〉への到達は不可能となる。
そういうわけで、遠景に昇る煙は別の〈土塊〉ゲートから上がっているものであり、それに伴い、この〈ゲート〉もちょうど閉鎖されようとしている。作業に勤しむ警備員がなんとなく気怠そうなのは、ここが最も辺境に位置する重要性の低い拠点だからだ。守っているものはどこだろうと変わらないのに、重要度にバラつきがあるのはおかしな話だ。
『見えたか?』
片耳にだけ無理やりつけたヘッドセットに、陽動班からの連絡が入る。未熟な電子技術品だけあって、音質は果てしなく荒い。
「見えた。閉鎖も始まってる」
『本物の煙じゃないから、原因がバレたら警戒解除も早いだろう』
「わかってる。捕まらないようにな」
通信を終えると、俺はローカル回線を開き「展開しろ」と呟いてから、小ぶりな癖にやたらと重たい機材を担ぎ上げる。
前方で祭りのような騒ぎが起こったのを見届けて、俺は同情的な気分になる。警備の連中は、シフト交代間際の何事もなく終わって欲しい時間帯に、面倒ごとが持ち上がってさぞかし辟易していることだろう。そういうよくない気分の折、四方八方から銃を持ち合わせた荒くれたちが襲って来たとなれば、さっさと降伏したくなる気持ちも無理はない。彼らをして一生懸命にさせるほどの義理と人情を、雇う側が与えられなかったのが悪いのだ。
「ご苦労様」
俺が正面の玄関から堂々と入る頃には、施設内は制圧されていた。ブザー音が空しく響き渡る中、黒い武装をまとった男たちが、見た目からして荒っぽい連中に縛られ、横たえられている。
そういう風景を横目に、俺はアクセスポイントとして稼働するマージュ装置の脇に、担いできた機材を下ろし、それぞれをケーブルで接続する。
「随分と高そうなメカじゃねえか」
機械に興味のあるらしい仲間の一人が横から話しかけてきた。俺はパラメーターを整えながら、返事をする。
「そこで寝そべってる奴ら三人分の貯金くらいか」
「たっかいな! で、そいつで今、ハッキングしてるってわけかい」
俺は頷き、人の背丈ほどもあるマージュ装置を軽く蹴っ飛ばして、
「ああ。〈ストレージ〉へのアクセスポイントは、〈土塊〉本体からの命令と、鉄製の物理的な扉によって二重に閉鎖されているが、最終的な制御はこの装置に委託されている。ここに、偽の上位命令を送り込んで、どちらもローカルレベルで引っぺがす」
高度な技術者なら、情報網経由でやってしまうことだが、俺みたいなにわか者には、クラッキング装置を運びこむ方が確実だ。
相手は「なるほどな」と言った後、突然ぐっと顔を近づけてきた。
「なあ、あんた、よければ名前、教えてくれよ。このヤマが終わった後も、つるんでいこうぜ……、おれとあんたなら、牢屋なんかに入らなくても裏で成り上がれる」
「裏って何の裏だ」
「とぼけるなよ。社会の裏さ」
「社会がわざわざ用意してくれたような裏には、興味はないな」
俺は無気力に、その男の顔を見返す。
「本当の裏っていうのは、もっと無刺激で泥くさく退て屈なものだ。今、俺たちがしているのは、ママゴトに過ぎない」
「はっ、言うねえ。で、実際その『ママゴト』に手を染めてるのはどういうことなんだい?」
「大人だって、たまには遊ぶだろ。今は、娯楽も豊富だから」
相手の男は目を細め、ケッと不機嫌そうに毒づいた。
その時、ハッキング装置のランプが点灯した。アクセスポイントの側のモニターを確認すると、「開放」との表示がある。
「天才だな」
俺は名も顔も知らぬ開発者を褒めたたえると、仲間を全員集め、施設奥に設けられた〈ゲート〉そのものに向かう。〈土塊〉への道を閉ざしていた、巨大な銀色の扉が自動で開錠され、ゆったりと開かれていく。
「やべえ……〈ストレージ〉なんか初めて入るぜ」
一人が恍惚とした顔で言う。その隣の男は不安な感情が顔に漏れていた。
「でも、演算装置が停止すると……消えちまうんだろ? 盗みに入ったことバレたら、消されるんじゃねえか?」
「大事なものをしこたま貯めこんでる場所だぜ、そんなわけあるか」
そんな会話を聞き流しながら、扉が完全に開いたことを確認すると、俺は無言でその先の空間に足を踏み出す。それに応じて、仲間たちもぞろぞろと従って来た。
どこまでが自然の空間で、どこからがマージュ粒子によって書き出された空間か、境界はひどく曖昧だ。最近のトンデモ学説に、この宇宙それ自体がマージュ粒子の演算で生み出されているのだ、というものがあるが、これほど滑らかに連続していると、そんな不安も宜なるかな、という気がする。
石造りにセットされた通路を進んでいくと、やがてとてつもなく広い空間に出た。天井は闇に沈むほど高く、その元に背の高い棚が無数に立ち並んでいる。それを見た男たちが、思い思いに感嘆の声をあげた。
散々偉そうに説明してきた俺も、実際に入ったのは初めてだ。
抱いた感情は、怒りだった。
「やるぞ」
俺が告げると、男たちは歓声を上げて散っていった。