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一 泥に沈むストレージ(ⅰ)

「何でこの街区が〈歯抜けの街〉と呼ばれるか、知ってるか」

 俺は道路の傍ら、一緒のベンチに腰掛けている男に話を振った。日の出の少し前、天気は曇天。多湿な空気が粘膜に絡みつく。

 頭髪を油で固めて尖らせた男は、吸っていた煙草を口から離すと首を傾げた。

「……さぁ?」

「あれを見てみろ」

 遠景を指差すと、男は素直にそちらに目を向けた。薄暮の空を背景に、高層建築群の長身が黒いシルエットで佇んでいる。

「流行りの三十階建てのビルが並んでるな」

「ああ。アレだ、針山の針みたいだな」

目を眇め、言い得て妙なことを口にする。

ここ〈形而の都市〉は、北西から南西にかけての〈露営の山脈〉、北部の広大な氷床地帯、東南部に僅かな海岸部を持つ都市国家だ。人口は一千万と言われるが、その三割にもあたる三百万が、この広くもない〈歯抜けの街〉に住まっている。

「三十年前の戦争の後、この街を三大企業が抱え込んでから人口が急激に増え始めて、未曾有のマンションブームが起こったのは知ってるな」

「知らないが、あなたが言うならそうなんだろ」

「……じゃあ、想像してみろ。あれだけの建築群を一日かそこらで造れると思うか?」

「いや、普通に考えてムリだろ」

 男はバカにするなという風に言う。俺は頷いた。

「そうだな。一棟ずつ、徐々に建てられていく。最初に建ったのがあの赤い壁のやつ二つ、それから黒いやつが三つ、それから変な形のやつ、で、灰色のが五つ……今、俺が言ったものだけが、ぽつぽつ建ってた時代があったってことだ。今からお前は、その時代の人間になったと思って、それ以外の建物を無視してあの景色を見てみろ。……歯抜けの櫛みたいだろ」

 男は怪訝そうな顔をしていたが、みるみるとその顔色を明るくすると、俺の方を勢いよく向いた。

「た、確かに! マジか、〈歯抜け〉ってそういうことだったのか!」

「いや、嘘だ。〈歯抜け〉は、この辺が平らだった千年前の文献にも地名として出てくる」

 俺があっさり教えてやると、男は立ち上がって眉間に皺を寄せ、俺を見下ろしてきた。

「はあ? え? 今の嘘なの?」

「ああ、嘘」

 俺は繰り返し言う。男は厳めしい面でギリ、と俺を睨みつけてきた。

「何でそんな嘘吐く?」

「練習だ。そのうち、必要になるかも知れないからな」

「は? 何がだよ」

「嘘を吐くことが」

 は、意味わかんねえ、と毒づく男の後ろ、横切る道路を数台のバイクが走ってきて、停まった。軽薄な身振りの男数人がわらわらと降りて、ぞろぞろとこちらへと歩いてくる。

 時間通りに来るのは意外だった。俺はその数を数えると、立ち上がって言う。

「全員来たな」

「ったく、何でこんな朝早くだよ」

 回答の代わりに、今来た集団のうちの一人から文句が返ってくる。刈り上げた頭のこめかみに、三本の髪の筋を畝のように残している手合いだ。

 前までの俺ならビビッていただろうが、今は覚悟が味方してくれた。俺は平静に答える。

「奇襲は明け方の成功率が高いからだ」

「〈ゲート〉は終日厳戒態勢だろ。時間なんか関係あるか」

「いや、関係ある。暗い空に陽が見えると、人は安心して気が弛むからな」

 これもまた随分適当な発言だったが、集まった全員はそれで納得したようだった。自分で言っておいてなんだが、俺自身もそうなのじゃないかと思える。

「それじゃあ、段取りを確認する。これが最後だからな」

 俺は言いながら、連中のやってきた道路の先を見据えた。地方の村にある集会所のような建物が小さく見える。〈ゲート〉と呼ばれる施設だ。

「俺たちはこれから、この都市を牛耳る三大企業の一つ、〈泥竜(でいりゅう)〉所有のプライベートストレージを襲撃する。これがどれだけヤバいかはまあ、わかってるよな」

 男たちはわかってなさそうな頷き方をする。頼りがいのある無知さだった。俺は続けて、

「この都市で生きる以上、その活動は何らかの形で三大企業に利潤をもたらす。飯、水道、物流から風俗まで、奴らの手にかかっていないものはないし、行政にもズブズブ。逆らって生きていくのは不可能に近い。で、そこから得た莫大な利潤で、企業の連中は競って新たな技術を生み出している。あの〈ストレージ〉の基になる実装(じっそう)空間技術もそうだし、俺たちがこれから酷使する予定の通話端末もそうだ。これらの次世代技術は三大企業にもれなく独占されていて、基本的に門外不出。決して漏れることはないんだが」

 俺はちらと〈ゲート〉を見やって、

「あそこにその門がある。門外不出の機密文書がしこたま詰め込まれている人工的な空間――〈ストレージ〉へ続く、文字通りの〈ゲート〉だ」

 ならず者たちが各々のやり方で下品な笑みを浮かべていく。俺はその野卑な笑みに、敢えて便乗するように言った。

「古いものでも良い。とにかく何かしらを持ち出して、こっそり外国に売り払うだけで大儲けだし、世界のパワーバランスを崩すことができる」

「何でそれだけで、パワーバランスが崩れるんだ?」

 仲間の一人が不満げな目つきで問う。俺が理解できないのはお前の責任だ、とでも言うような横柄な態度だ。

 内心苛つきながら、俺は落ち着き払って答える。

「俺たちが当たり前に使ってる情報網(ウェブ)やら通信端末やら印刷技術やらバイクやら、それから毎日食ってる穀物を安定して栽培する農耕技術、要は、戦後に急発達してきた魔法(マージュ)粒子ら辺の技術は全部、この〈形而の都市〉限定のものだ。企業どもが都市ぐるみで意図的に囲い込んでいる。西の山脈を超えたり、東の大河を渡れば、百年前かと疑うような昔ながらの生活が待っている。つまり、他国の連中はこの都市の技術を、喉から手が出るほど欲しがっているということだ」

「何で企業さんはその技術を売らねえんだよ」

「さあ。一説によれば、まだインフラ整備の済んでない技術が山とあるからとか。それを都市の内で完成させてから、古くなった初歩的な技術を細々輸出していく。そうすれば、一気に世に出していくよりも、それらを小出しにしていく方が最終的な利益はでかいと、都市お抱えのアナリストたちは主張してる」

 このせせこましさから、都市のトップがよほど捻くれていることが窺える。

 思わず苦笑しつつ、俺は言った。

「いつか売る時のため、大事に大事にとってある技術を横流しするんだ。成就すれば、俺たちは隣国の面々にとっての英雄になれる」

 刺激的な言葉を、と選んだつもりだったが、なんとも安易な発破になってしまった。

 それでも、英雄という響きに打たれたらしい男たちは、湧き上がる歓喜をその表情に浮かべて、思い思いの言葉を口にし始める。

 俺は厳しい調子で、そこに水を差した。

「逆に、捕まればタダじゃ済まない。何年、牢獄暮らしになるか知れない。それでもいいのか?」

 こんな白けた台詞を食らって、白けるような連中ではない。ニヤニヤとワクワクが留まるところを知らない。こういう連中だと承知の上で集めたわけだが、俺は溜息の吐きたくなるのを必死で抑えなくてはならなかった。

 かつては一般的なイメージとして、牢獄は入ったが最後、正常な人生に戻れない負のイメージに染まっていた。ところが、最近の文芸界では犯罪モノの小説が流行している。牢獄出の元罪人が刑務所の中で学んだ犯罪術を駆使して快刀乱麻に活躍していく、というような雛形があり、それを数多の作家がアレンジしては楽しんでいる現状だ。

 それにあてられて、正常な人生など最初から視野にない、まあここに集まったような若者たちが、牢獄に並々ならぬ憧れを抱き始めたのだ。自分も収容中に知識を得ることで、犯罪モノの主人公のように活躍したい……という欲求である。。

 ここにいる面々はその代表者たちだ。こいつらにとって、結果がどう転ぼうと損失はないに等しく、勝てば大金と名誉、負ければ経験と、法が泣いて震える無敵のポジティブシンキング。まあ、ここまで条件が揃わなければ、〈ストレージ〉襲撃なんてやろうとは思うまい。

 誰も不安を見せないことを認めて、俺は盗みの行程を説明し始めた。といってもこれは、ここにいる面子をスカウトするために話したのと同一の内容である。喋るのは何十回めか知れない。もはや頭は必要なく、口だけが回っていく。

 一通り喋り終えて、俺は息を吐いた。

「――以上だ。とにかく大事なのは、何でもいいから一枚でも多く資料を奪うこと。一枚増えるごとに、報酬額の桁が一つ増えると思うくらいでいい。奪ったものは直ちに、中身の見えない封筒に入れて、今言った住所へ郵送しろ。俺が責任を持って、馴染みのルートから売却し、その分け前をお前たちに送金する。一か月経っても分け前が来なければ、この住所に怒鳴り込みに来い。質問は?」

 見回すと、直ちに一人が手を挙げる。

「もしあんたが捕まったらどうするんだよ」

 その至極まっとうな疑問に、俺は至って真面目に答える。

「安心しろ。俺は捕まらない」

 男たちは、げらげらと笑った。豪胆な冗談だと思ったらしい。まあ、そう思わせておいて損はないので、俺は釣られたように笑みを浮かべておく。自分の心臓の鼓動が、遠くからバクバクと聞こえてきていた。

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