異世界での生活②
翌朝、馬車に揺られて連れていかれたのはレンガ造りの建物だった。木材や鉄関係の加工をする工場で、この世界の防具や道具などのパーツを作って流通させている。そして、無能力者でも住み込みで働かせてくれるのこと。強面、大柄の社長兼工場長に連れられ挨拶も早々にお仕事開始。先輩方は筋骨隆々のおじ様たち。
「おい!新人!とっととこれ運べぇ!!」
「遊びじゃねぇんだぞ!寝るんだったら帰んな!!」
「もういいから!黙って見てろ!邪魔だ!!」
半日働いて、俺は退職を決意した。俺は、ブラック企業に鼻が利くのだ。この世界にはパワハラと労働基準法と言うものはないらしい。さらに案内された部屋だが……。日本には立って半畳寝て一畳という言葉がある。人間は大きな家に住んでも立っていれば半畳分、寝ていても一畳分しか使わないという意味の言葉だ。だからと言って、小さいベッド一つがギリギリ入っているだけの部屋はあんまりだ。
「や、辞めてやる……。大体こんな部屋で寝ろと言われて寝れる奴がいるわけ―。ぐがー」
ベッドに入って3分以内に寝るとそれは睡眠ではなく、気絶らしい。つまり俺は気絶してそのまま、眠りについたのだった。
翌朝、体を揺すられている感じがする。
「もしもし。もしもーし。起きてください」
さらに、可愛らしい女性の声。眼を開けると俺の顔を覗き込む、美少女がいた。
「天使……?」
昨日の労働で俺は、死んで天国にでもやってきたのか。ちなみに、天使は綺麗な黒髪とメガネをしていた。
「え?いえ。この家の娘です。イヴといいます」
頭が覚醒してきて、今日は朝から働くことになっていたことに気が付く。
「うわっ!!」
急いで起き上がった。困った顔のイヴさんが微笑みかけてくる。
「改めまして。イヴです」
「…橘賢人です」
「ケントさんですね。昨日はご挨拶をしようとしたら、もうお休みだったので。これからよろしくお願いしますね」
「はい!よろしくお願いします」
俺は仕事を辞めない決意をした。大体、一日で仕事の何が分かるというのだろう。決してイヴさんが好みの美少女だったからでも、巨乳だったからでもない。自分の意志である。ちなみに、彼女は工場長の娘さんとのことだった。二人は全く似ていないが、間違いなく血のつながった親子とのこと。すごいね、DNA。
「ケン!!もっと急げやぁ!」
「ケン!次の作業の準備しておけぇ!」
「手伝え!ケン!」
仕事を始めて三か月がたった。変わったことといえば「新人」「お前」などと呼ばれていたのが、ケントを短くして「ケン」になって、多少職場のおっさんたちと仲良くなったくらいだ。ちなみに、わざと寝坊すればイヴさんが起こしに来てくれるのかと試してみたが、怒った工場長がやってきたのでそれ以来は真面目に起きている。
そんなある日、俺の歓迎会を開いてくれるというので酒場にやってきた。工場長は仕事で来られないとのことだったが、イヴさんも来てくれていた。その時に事件は起きた。
工場の昔話や俺のいた世界の話などで楽しい飲み会であったが、トイレに行ったイヴさんが何やら男に話しかけられて困っているようだった。酒が入っているのもあって、素早くそこまで歩いていき、あろうことかイヴさんの胸に手を伸ばそうとしていた男の手を掴む。まったく、俺もまだ触ることはおろか、背中にちょっと当たるだとかいうラッキースケベも経験していないのに……うらやま……卑劣な奴だ。
「お前、誰だよ!」
男が叫んだ、童顔で少々太った男だった。イヴさんの様子をみると知り合いではあるのだろうが、親しい仲ではないようだ。こちらが名乗る前に男は勝手に俺のことを分かったらしい。
「あぁ、お前か。最近やってきた無能力者の訪問者っていうのは」
そう言えば、工場にはほとんど能力を持った人はいないし、出かけることもほとんど無かったから忘れていたが、この世界には特別な能力を持った人間がいるのだ。男は勝手に話し出す。
「そうだよな。訪問者だから僕のことは知らない訳だよな。分かってたら、無能力者の分際で僕に逆らうわけがない」
「えーと……。と、取りあえず落ち着きましょうよ。別にこっちは争うつもりは無いですから」
「いいから離せよ!」
男が大きな声を出すので、思わず掴んでいた手首を離す。このゴタゴタで、酒場のちょっとした注目の的になってしまっていた。
「えーと。まぁ、お店にも迷惑だしここは落ち着いて……?」
男はおかしなことをしていた。俺をまっすぐに見据えながら右手を向ける。左手はテーブルの上に置いてあった。
「グラムさん!止めて下さい!」
「潰れろ」
イヴさんの声とグラムと呼ばれた男の声は同時だった。直後、俺は床に叩きつけられる。
「ぐはっ」
肺から一気に空気が放出される。いきなりのことで頭が付いていかない。分かるのは俺が見えない力で床に押さえつけられていることくらいだ。
「どうだ超重力の味は。僕の『右手の重力操作』に逆らうからこうなるんだよ。……まぁ、こき使う前に怪我されても困るか」
グラムはそう言うと右手を下ろした。途端に、体が軽くなる。
「ぜぇ、ぜぇ」
「じゃあね。イヴちゃん。今度迎えに行くからね」
グラムはニヤニヤした気持ちの悪い声を出して酒場を出ていく。俺は、体の痛みやイヴさんの心配の前に、俺をこき使う、そしてイヴさんを迎えに行くと言ったグラムの言葉の意味を考えていた。
酒場の帰り道、別に良いと言っているのに強引に副工場長のおっさんに、おんぶされて工場へ向かう。帰り道の会話を総合すると、あの男はこの町で強い力を持つ商人の息子でグラム・リッチ。能力をひけらかす嫌な奴で、イヴさんにちょっかいをかけてくるしょうもない奴で、全く相手にされない可哀そうな奴とのこと。ただし、多少しつこくしても強引なことはしたことが無かったので、今回の奴の行動には驚いているとのこと。
「でも、心配いらねぇよ。あいつの親父は確かに実力者だがな。俺たちの工場はオヤジが作った信頼と基盤がある。王室からも、信頼されている。それに、能力によるトラブルは厳禁だ。今日はあいつも酔ってたんだろ。でも、よくやったぞ。ケン、てめぇの活躍でお嬢の純潔は守られた。がはは」
陽気に笑う皆であったが、俺は不安を感じていた。酔っていたにしては、グラムは自信満々で、何やら確信を持っていた。その不安は、最悪な形で実現する。
「「どういうことですか!!」」
帰ってきて、早々。工場長は皆を呼び出し、工場の稼働を停止すると宣言した。
「……グラン・リッチの奴がやりやがった。俺たちの仕事にケチつけやがったんだ」
話を聞くと、グラン・リッチ、グラムの父親はこの工場で作った鉄製の製品に重大な欠陥があると、王国の裁判所に報告したらしい。本来ならば、国の裁判所はそんな報告をまともに取り合ったりしないし、取り合ったとしても他のお客さんからそれが嘘であることなんてすぐにばれてしまう。だが、今回は話が大きくなったようだ。
「でも、そんなのただの言いがかりでしょう」
「その通りだ。だが、どんな方法を使ったのか知らねぇが裁判所が動いている……。裏金、買収。あの男がやりそうなこった。裁判が終わるまでは、工場は動かせねぇ」
「それって……いつまでなんですか?オヤジ」
「……最低で一年」
話を聞いていたが、このような工場が一年動かせないということは実質廃業を意味するらしい。誰かが声を出す。
「あいつら、何が目的で……」
「それは――」
工場長の声を遮って。ねっとりとした声が響いた。
「土地と花嫁ですよ。皆さん」
声のした方を向くと、グラムをちょっと縮めたような男が立っていた。おそらくこいつがグラン・リッチなのだろう。俺たちが睨み付けているのも気にせずグランは続ける。
「この工場は、土地の利便性と大きさに比較して生産性が低い。まぁ、無能力者ばかりを雇っているのであればそうなりますね」
工場長が強い声で反論する。
「量より質にこだわっているからだ。能力が無くたって、うちの奴らは最高の仕事をしてくれる」
「でも、それもおしまいです。貴方たちができるのは、裁判の結果を待ことだけですね。……あぁ、後は決闘でもよろしいですが」
決闘と言うのは、この国の問題解決の方法の一つで、裁判制度の一つでもある。王様から説明も受けている。一言でいうと、ごちゃごちゃ言わずに勝負で決めようぜ、と言うわけだ。両者が納得する方法で勝負をする。勝負の結果は絶対である。今回の裁判においては、何年もかかる裁判が一瞬で決めることができることが両者の利点だ。一年待たずに結果を出せれば、工場はたたむ必要は無くなる。
「ちなみに、内容は我が息子グラムとの一対一の勝負です。どうなさいますか?」
誰も何も言わない。だが納得している人は一人もいない。証拠に全員が強く拳を握り、唇を血が出るほど噛んでいる。俺も同じだった。ふと、先程グランが聞き捨てならないことを口走っていたことを思い出した。
「ちょっと待てよ。土地は分かったけど花嫁ってどういうことだよ」
グランが返答をする前に、部屋にグラムが入ってきた。
「話は終わったよ。パパ」
気持ちの悪い笑顔を振りまくグラムが手を引いているのは、イヴさんだった。うつむいて少し震えているようだった。
「そうか、それは何よりだ。噂の通り聡明なお嬢さんでよかった」
「どういうことだ?」
グラムが答える。
「ほら、僕って優しいからさ。この仕事が無くなった後の君たちが無職になっちゃうのはかわいそうだと思ったわけだよ。だからさ、町の外れにパパに君たちにふさわしい作業場、作ってやろうと思ってね」
イヴさんをにやにや見ながらグラムは続けた。
「でもさ、流石に他人のためそこまでする義理は無いんだよね。でもね、僕のお嫁さんの頼みだったらしょうがないと思ってさ」
俺はグラムの話はもう聞いていなかった。目の先には肩を震わせるイヴさん。
父親であるグランもイヴさんをいやらしい目で見ながら話し出す。
「いやはや、息子はまだ独身でしてね。中々良い女性がいないと思っていたが、良かったですよ。まぁ、これからは親せきになるようだし仲良く―」「勝負だ」
全員の視線が俺に集中する。
「……今、なんと?」
まだ、仕事を始めて三か月しか、経っていない。でも、この場所は間違いなく俺の居場所だった。最初は怒号ばっかりで本気で辛かった。でも、イヴさんから彼らの仕事に対する思いを聞いた。
「決闘だ。俺が相手になる」
思えば、皆は俺を怒りながらも仕事ができるようになるまで、休みの日も夜になっても仕事を教えてくれた。イヴさんは皆は家族だと思っていると言ってくれた。俺もそれに入っていると言ってくれた。
「ふん、いいでしょう。工場の取り壊しの手続きと結婚式の準備を早めなければいけないようだ」
たった三か月だったけど俺が、ここの人たちを好きになるには十分な時間だった。
「勝負は一週間後。負けを認めるか再起不能になるまで戦ってもらいます」
「あぁ」
たった三か月だったけど俺が、命のかけるのにも十分な時間だった。
グラムとグランの親子が帰り。俺も部屋に戻ることにした。イヴさんを含め、俺に話しかけてくる人はいなかった。俺に対して呆れているのかもしれないし、怒っているのかもしれない。俺は部屋に戻ると息を吐き、ノートを取り出した。この世界に来た直後は気が付かなかったが、ノートは前の世界から持ち込んだものだけでは無かった。高校や社会人になってから考えたゲームのシナリオだったり、ラノベの設定、そういう物が書かれたノートもなぜか紛れ込んでいる。書いた覚えは無いのに確かに俺の字だ。ノートをめくり、目当てのページを開く。
【原理を教えたるは林檎〈ニュートングラビティ〉】
重力を操る能力。対象に重力をかけ攻撃することができる。
〈効果範囲〉
視覚範囲すべて、ただし近距離になるほど強力になり、直接触れることで最大の重力を相手にかけることができる。
〈発動時間〉
一つの対象に関しては5分が限度。また、連続で能力をかけることは出来ず、クールタイムが必要。
〈備考〉
かの物理学者アイザック・ニュートンはリンゴが木から落ちる光景を見たことで重力の存在に気が付いた。彼のひらめきが能力に昇華されたものである。
確か、偉人が能力になるという設定の話を想像したことがあった。今考えると、ありきたりの設定だ。だが当時は、俺は天才かもしれないと考えていたものだ。正直恥ずかしい。でも、もし仮にあいつの持つ力がこの能力だったら、発動時間が勝機になる。
俺はもう一度、ノートを読み直し、眠りについた。