⑤或る少女の雑談 side:summer
凄くつまらない話をさせて欲しい。
取り留めもない、なんていうレベルにも達しないどうしようもない話だ。
そう、強いて言うなら雑談。
道端で、電車の中で、放課後の教室で、誰や彼らが垂れ流す身も蓋も無い話。
そんな話だ。
大丈夫、時間は取らせないよ。
これはそれくらい簡単で、簡素で、ありふれたハッピーエンドだ。
一人の人間が、人間になる話だ。
どうか気楽に聞いて欲しい。
この夏樹詩歌、十数年ぽっちの過去話。
暇潰しにでもなれば幸いだ。
《》
昔々、あたしという生き物の客観的評価を並べるとだね、
真面目な良い子。
親の言うことに逆らわない。
お勉強がよくできる。
名前にぴったりなおしとやかさだね。
これが夏樹詩歌、中学二年生までに何度も押し込められた褒め言葉だ。
見た目も今みたいな茶短髪じゃなくて、一切のくすみもない黒髪で、腰まである長髪だったんだよ?
他人から見てもどこぞのお嬢様みたいに思われてたかもしれない。
普通は嬉しい評価なんだろうね。
誰もが羨む優等生に映っていたのかもしれない。
でも本質は真逆。
真面目で良い子に見えるのは、そうでなければ怒られて面倒だからで、
親の言うことに逆らわないのは、大抵親の言うことが正しくその通りにすれば楽だからで、
勉強ができるのは、他にすることがないから。
おしとやかに見えるのは、無気力の現れだ。
実際は空っぽ。
あたしは空っぽの入れ物で、ただ誰かに望まれた配役をこなすデク人形だった。
客観と主観が食い違うのは当たり前と聞くけど、あたしのそれは異常に分かれてたんだよ。
その大きすぎるギャップにあたしは苦しんでいた。
本当の自分がどちらか分からなくなって、足元が薄く消えていく不安感が分かるかな。
自業自得と思う?
我が儘だと、贅沢だと罵る?
好き勝手した結果罰を受けるのは当然かな?
おっしゃる通りごもっとも。あたしは間違って生きてたんだと思う。
でも。過去の自分を擁護する気はさらさらないけど、あたしが苦しんで悩んでいたことだけは真実だ。
本当の自分と周囲が望み期待する自分。
本心では叫びたくても幻滅されるのが恐くて、一人になるのが嫌でごまかしてたんだ。
自分が悪いことは分かっていたから、助けを求めることもなかった。
自分だけの問題だと信じていたからこそ誰にも相談せず、誰かから罰っせられて救済されることも望まなかった。
しかししかし。
世の中は広いもので、そんなあたしの正体に気づいた人がいた。
お父さんのお父さん。あたしのおじいちゃん。
他の親戚がこぞってあたしを誉めちぎる中、おじいちゃんだけはあたしに厳しかった。
挨拶はきちんとしなさい。
もっと声を出しなさい。
全力で生きなさい。
お盆や正月に田舎へ帰る度にあたしは怒られた。
その度他の親戚がまぁまぁと窘めて、おじいちゃんの悪口を言うようになった。
あんないい子を叱り付けるなんて。
孫がかわいくないのかしら。
ボケてきてるんじゃない?
あたしの前で堂々と吐き出される悪口に、心がざわついた。
全然関係ないけどさ、あたしが怒りっていうものを感じたのはこの時が初めてだったよ。
同時に、誰かのことで怒ったことも初めてだったよ。
おじいちゃんは怒るときいつもあたしを見てくれていた。
幻想の優等生夏樹詩歌じゃなくて、ずぼらで適当で無気力な夏樹詩歌を見抜いて叱ってくれていた。
あんた達とは正反対。馬鹿にするんじゃない。
気付けば両手を握りしめて歯を食いしばっていた。
同時に、あたしはおじいちゃんに救ってもらっていたことに気付いたんだ。
厳しさの中にある本当の優しさを受け取ってたんだって、ようやく分かったんだよ。
戸惑ったなぁ。
あたしなんかが救われていいのかって、
助けてもらう価値なんてあるのかってさ。
知りたくて知りたくて、あたしはおじいちゃんに確かめに行った。
寒い寒い冬の日だった。
その頃からおじいちゃんの体調は悪くなってきてて、布団で寝てることが多くなってた。
まだあの時は頭の中がぐちゃぐちゃで、
何を伝えたいかもめちゃくちゃだった。
でもおじいちゃんは黙って全部聞いてくれた。支離滅裂な懺悔を飲み干してくれた。
泣きじゃくって謝り続けるあたしに、おじいちゃんはいつもの怖い顔でいつもみたいに、
『なんだ。ちゃんと言えたじゃないか』
甘えも慰めもなく向き合ってくれた。
それだけで、どれだけ救われたか。
何かが変わったわけじゃないし、すぐにいい子の振りを止めれるわけでもない。
でも心は軽くなった。
息ができた。
あたしはようやく仮面を脱げる場所を見つけたんだ。
でも、
やっぱり、
神様とか、そういう偉い存在がいるんだろうね。
悪いことをし続けるくせに助かろうとするから罰が当たったんだろうね。
そのおじいちゃんが、中学三年の夏に亡くなった。
前の冬から調子が悪く入退院を繰り返す中、自宅で静かに息を引き取った。
寿命だ仕方ない。
誰かがそう言った。
成る程そうかと、お利口さんなあたしは泣かずにお葬式に参列した。
いたって冷静だった。
なにも考えないように頭を止めていた。
でも、おじいちゃんを納棺して、焼いて、骨だけになったのを見て。
あたしの幻想は砕け散った。
錯乱し、泣き叫び、暴れまわり、獣になった。
不思議と記憶ははっきりとしてる。
おじいちゃんの骨を散らかすあたしを、親戚各位は夢でも見ているかのように呆けて眺めていた。
式場の係員さんが止めに入らなかったらずっとそうしてたと思う。
何で化けの皮が剥がれたのか。
初めて人の死を目の当たりにしたから?
唯一の理解者を亡くしたから?
本当に、ひとりぼっちになったから?
哀しかった。ただただ哀しかった。そんな醜態を晒したあたしを、親戚達は叱らなかったんだ。それどころか話しかけることすらしなかった。
夏樹詩歌っていう人間なんか最初からいなかったみたいに、無視して、取り除こうとして、県外の高校を勧めてきた。
最後の拠り所だった両親ですら強引に話を進めて、あれよあれよという間にあたしの高校進学先が決定した。今まで行ったこともない土地で、親戚の誰とも縁のない場所だった。
空っぽどころか仮面も無くなったあたしは言われるがままだった。
その時の記憶はあんまりない。ずっと薄暗い靄の中をさ迷って、だだただ逃げることだけを考えてた。
自分の本性を知らない土地へ。
自分の失態が残らないどこかへ。
おじいちゃんへの罪悪感も相まって、あたしは体よく逃げ出した。
そう、あたしの高校生活は逃避からのスタートだったんだ。
《》
と、まぁ。ここまでが夏樹詩歌編の前編。
……なんか雑談っていうより懺悔のような気がしてきたけど、祈れる神様に心当たりはないからやっぱり雑談でいいと思う。
雑談って不思議だ。
相談のような重さがないし、独り言のような寂しさもない。
相手が居て、気を遣わずに、自分らしく会話ができる。
昔のあたしは、雑談ができなかった。
やり方も、話せる相手も居なかった。
当たり前だ。自分を隠し周囲を騙し続けて、最後は逃げ出した奴と雑談したい人間なんていないよ。
そんなあたしが何で雑談できるようになったのか。
引き続き、欠伸でもしながら聞き流して欲しい。
次の日には忘れてるような話だからさ。
☂
初めての一人暮らしは意外と苦じゃなかった。
寧ろ誰とも会わずに済む空間は、あの時のあたしには貴重な場所だった。
化けの皮が剥がれて、愛想を尽かされて、投棄されたあたしにとって人と関わるのはストレスだったから。
近所のおばさんからの挨拶ですら恐くて、通学路で笑う子供達を避けた。
学校なんて地獄そのもの。
いつ誰に話しかけられるか怯える毎日。
周りの人もあたしを見えない何かみたいに扱ってた。
だからさ、当時のあたしを知ってる人は今のあたしを見て三度見はするよ。
見た目も含めてそれくらいあたしは変わったってことなんだよね。
いつから?
正確な日は覚えてないけど、きっかけは雨が降ってる日だったよ。
さっさと帰りたかったのに先生に用事を頼まれ、いや押し付けられて図書室の本を整理していた。断りもせず言いなりになる生徒はさぞかし使いやすかったろうねぇ。うん? 怒ってないよ? ははは。
ただ何かやってると余計なことを考えないで済むのは良かったなぁ。
ズブズブとマイナス思考の沼に埋まっていくのは生きた心地がしないからさ。
だから雑用が終わって、雨はまだ降ってるか確認しようと窓の方を見た時、あたしは自分の目と脳が故障したのかと絶望した。
やっぱり他人の道具として使われた方がまだ人間らしく生きられて、放り出された途端まともに『見る』こともできなくなったのかと泣きたくなった。
窓辺の読書席には一人の女の子がいた。
あたしのことを見向きもせず、でも本の世界に没頭するわけでもなく、退屈そうにページをめくってた。
神様に恩でも売ったのかと思わせる顔立ち。腰まである長い黒髪。白すぎる肌。
どこぞのお嬢様ですと言われたら、疑う気すら起きない外観。
それでいてどこか『自分』ってやつを持ってる芯の強さを感じた。
言われても分からないかもね。オーラというか雰囲気というか、そういう言語化できない何かがあったんだ。
そう、あたしの理想がそこにいたんだよ。
自分の正気を疑うのも当然でしょ? 幻覚を見るほど理想を追い求めてるのかと、ここまできてまだ救われようとしてるのかと自己嫌悪で死にそうだったよ。
でもね。
女の子は幻覚なんかじゃなかった。
自分に絶望して顔面が涙やら冷汗からでぐちゃぐちゃになった馬鹿に気付くと、女の子はこっちを横目で見ながらこう言ったんだ。
『そんな顔されても何も出ませんよ?』
どう思われてたのか今も恥ずかしくて聞いてないけど、たぶんハンカチとか顔を拭うもののことを言ってたんだと思う。
でも当時のあたしはまともに受け答えできる状態じゃなかったから、全く反応できなかった。
『……え、何ですか? 大丈夫じゃなさそうですけど、保健の先生呼びますか?』
これ以上人が増えたら発狂するのが予想できたから慌てて首を横に振った。
ボディランゲージならなんとか意思表現ができたんだよね。
『はぁ、じゃあなんなんでしょうか。私に用でもあるんでしょうか?』
あるに決まってるけど首を縦に振るしかできなくて、たぶん余計に混乱させた。
というか怒らせた。
『あの、初対面の方にこんなこと言うべきじゃないんでしょうけど、なんで話さないんですか?』
座ったまま不機嫌そうな視線を送られて萎縮するあたしときたら、相当苛つかせたと思うよ。
『うーむ、まるで私が虐めているようなのでその反応をやめて欲しいんですが……。言っても無駄みたいですね』
呆れられて嫌われたと思った。
こんな駄目人間は見捨てられて仕方ないって言い聞かせてた。
でも、次に女の子が放った質問に、あたしは救われた。
『ところであなた、誰に謝ってるんですか?』
わけが分からなかった。
あたしは何も言ってないのに、じゃなくて、
何で本心を見抜かれたのかがさっぱりだった。
でも前例はあったんだ。
おじいちゃんもそうだった。
あたしが作った壁をなんなくぶち壊して、あっという間に正解を見つける人達。
それを努力とか才能なんかじゃなくて、意識せずに当たり前にやれてしまう人達。
あたしの体は勝手に女の子へ近づいてた。
さぞかし気持ち悪かったはずなのに、女の子は逃げずに待っていてくれてた。
あたしが何を言うか分かってたんだろうか。
何をするか察していたんだろうか。
いや、ないな。
だってさ、
『あ、あ、あの……、あた、あたしと』
勇気どころか全身全霊を絞って声を出したのに、
『ふぁあーあ……眠い』
『……へ?』
シリアスな空気を木端微塵にする欠伸をしたと思ったら、ちゃっちゃと帰り支度を済ませてだよ、
『帰ります』
そう言い残して、あたしを置いてきぼりにして帰っちゃうんだもんなー。
もうね、そん時のあたしの心情を言い表すなら天地創造とビッグバンが同時に起きたような、ぐっちゃぐちゃなわけですよ。
追いかけるとかそんな行動もとれないくらいには惚けてたわけですよ。
正気に戻ってから自己嫌悪しまくったなぁ。何で名前も聞けなかったんだって舌を噛み切りそうだった。
でもその逆にあたしは久しぶり怒ってた。
確かにあたしの対応は失礼だった。
まともに会話もせず事情も話さないとか見捨てられても仕方ない。
……仕方ないか?
本当に?
普通もう少しくらい気にかけてくれてもいいんじゃない?
せめて泣き止むまで一緒に居てくれてもいいと思う。
帰る言い訳にしても眠いって雑過ぎないか?
その他諸々フラストレーションが溜まり、眠れぬ夜を過ごした。
おかげで翌日は最低を掘り越して更新した体調で登校することになり、周囲から奇異の視線を浴びせられた。
もうこうなったら一言でも文句を言わないと発散できないと、放課後あたしは再び図書室にやって来た。
怒りに任せてきたものの、あたしは捻じれてるからねぇ……。おじいちゃんのこともあって二度と会えないんじゃとか思ってたら、
会えたね。あっけなく。
同じ場所同じ時間で。
『いるじゃないですか‼』
『いちゃ悪いんですか』
相も変わらず、というか一日で変わるはずもないのだけれど、女の子は寝ぼけ眼のくせに折れなさそうな芯の強さを漂わせて本を読んでいた。
あれー? あたしの人生ってもっとハードモードじゃなかったっけー? って思ったけど今度はフリーズしなかった。ここまでお膳立てされて棒に振ったらお終いだって思ったんだ。
『わ、悪くはないですけど、ふ、普通! あ、あの流れで帰りますか⁉』
『眠かったんですもの』
『唐突過ぎるのと理由が軽過ぎるんです!』
言いたかったことを軒並み吐き出してから言い過ぎたかと怯えたなぁ。
でもそんなの杞憂どころじゃなかったんだ。
『というかあれですね。何があったか知りませんが、一日で随分変わるものですね』
『え?』
次の切り口を探してたら向こうから振られてパニくるあたし。
一日で変わるはずないとか思ってた端から反論され訳が分からなかった。
『え? ってあなたのことですよ』
不意に目が合って、その真っすぐさに逃げ出したくなる心を必死で引き留めた。
頭痛が始まり、胃がむかつき、足が震えた。それでも目は逸らさなかった。
だから聞けた。
『今こうして、話せるようになったじゃないですか』
もう知らないふりはしなかった。
分からないふりもしなかった。
そう、あたしは会話をしてた。
普段の教室じゃ絶対できなかったことをできていた。
開口一番に叫ぶなんて、今までの人生でしたことなんてなかった。
そうして、ただただ納得した。
あたしが逃げていたのは世間とか社会とか親戚とかじゃなく、
あたしがなりたいあたしから逃げてたんだって。
周囲から望まれる自分を演じつつ、心の中で本当の自分を求めつつ、もっと奥ではその自分から逃げてたんだ。
周囲に受け入れてもらえるか不安で、なりたい自分が本当の自分か分からなくて恐かったんだ。
でも、出せた。
いとも簡単に誰かに認めて貰える、本当の、なりたい自分を見つけた。
何故かって? 決まってる。助けてもらったからだ。
あたしは自分で自分を見つける力はなかった。
そのくせ助けを求めようともしなかった。
落ち込んで蹲って下向いて、ずっと言い訳をしながら生きてきた。
そんなあたしを、おじいちゃんと女の子が助けてくれた。
聞き心地のいい言葉じゃないし、知らない人が聞いたら誤解するような言い方でも、
確かにあたしに届く言葉をくれた。
下心も後ろめたさもない。救おうとする思いすらない。当たり前に当然にその言葉を言える人達。
そんな人にたった十数年の人生で二回も出会えた。助けてもらった。
これで前を向けなきゃ、本物の屑だ。
『そう、で……だね』
不器用だったか、滑稽だったか、その時の顔を見てないから分からないけど。
あたしは、笑った。
『やっと、話せたよ』
それまでの偽物じゃない、作ろうとしない笑顔ができたと信じてる。
その証拠にさ、
『……くっくく、何ですかそれ、ぷふふっ』
女の子も笑ってくれたから。
その笑顔もやっぱり綺麗で、真っすぐで、輝いてて、あたしの理想だった。
でもさ、もういいんだ。
あたしはなりたいあたしを見つけたから。
そのためにはどうしたらいいかも分かるから。
その日まで、あたしは戦い続ける。
過去の自分、望まれた自分と正面切って大勝負だ。
どっちが正しかったか、最後の最後まで決めようじゃないか。
手始めに、
『あの、あたしの名前はさ』
自己紹介といこう。
望んだ自分が本当の自分になるように、この名前を口に出そう。
この日、やっとあたしは生まれたんだ。
§
「ふんがっ⁉」
目が覚めるとあたしは放課後の教室にいた。どうやら午後の授業から寝続けていたらしい。うん、誰か起こしてよ。
なんだか昔の夢を見てた気がするけど、よく覚えてない。誰とも知らない誰かへ自分語りとか切腹ものなんだけど、大丈夫かな……。
「やっと起きたんですか。日頃私のことを睡魔の化身みたいに扱うくせに、とんだサボリ魔ですね」
寝ぼけ眼に悪態をつく友人が映る。見間違えるはずもない、冬川亜夜、あたしの親友で恩人だ。
だがおかしい。ここはあたしのクラスであたしの席。なのに何故隣のクラスの亜夜ちんが前の席に座ってるんだ?
あれか? もしかしなくても放課後になってもあたしが亜夜ちんに会いに行かなかったから寂しくて来ちゃったのか? まじか?
ふむ。
「構わん。近こう寄れ」
「夢の続きが見たいんですか?」
親友が本を振りかぶったので瞬時に防御態勢に入る。おかしい、ツンデレ亜夜ちんのデレ期がようやく来たのかと思ったら何も変わってないじゃないか畜生め。
「あー、夢と言えばさ」
「また正夢を実現したいとかぬかしたら廃棄しますよ」
「何を⁉ ってそうじゃないよ、いやある意味実現してる途中なんだけどさ」
「分かりにくい人ですね。一般人でも理解できるように言って下さい」
とか言いつつなんだかんだであたしの話を聞いてくれるのが亜夜ちんだ。
あたしはさっき見た夢、とういうか過去をダラダラと話した。
「てなわけでー。亜夜ちんのおかげでー、この完全体夏樹詩歌が誕生したわけですよー。もうそっからは大躍進だよねー。長い髪を肩まで切るわ茶色に染めるわで、クラスが一時期騒然としたもんだよ」
「そりゃあ影ボッチ女が一日でイメチェンしてきたら誰もついていけないでしょうよ」
「えー、適応力が足りないよー。先生も『何か悩みがあるのか?』とか今更かよもう解決したよみたいなこと聞いてくるし、大変だったー」
思い起こせば怒涛の数ヶ月だったと思う。あたしが様変わりしてから周囲も変わった。あたしを居ないもの扱いしていた人はいなくなったし、誰とでも話せるようになった。
あと大きいのが両親かな。あたしの変貌状況を担任の先生が報告したみたいで家族会議が勃発した。
まぁここでもなんやかんやあったけど、結局今は同じ屋根の下家族一緒に住んでいる。まだ少しぎこちないけど、昔よりは家族になれている。
「一つ言っておきますけど」
「なーにー」
言うことは分かってたけど敢えて知らないふりをした。亜夜ちんもそのことに気付いててムッとしてるのが……グッとくる。
「私はあなたを助けてなんかいません。あなたが自分で感じ、考え、行動した結果が今のあなたなんです。なので私の功績みたいに語られると非常に不愉快です」
褒められてるんだか怒られてるんだか分からない台詞だけどあたしは納得してる。してるけどこればっかりは認められない。これは夏樹詩歌の問題だ。
「はいはい、そういうことにしときましょー」
「……やっぱり今ここで、いや止めておきましょう。時間です」
そう言うと亜夜ちんはいつものように帰り支度を始めた。あたしも軽いカバンを手に席を立ち、ふと教室を見渡す。
下校時間は過ぎてるのであたし達以外誰もいなくて、昼間の活気が嘘みたいだ。
でもこういう雰囲気だからこそできる話がある。紡げる言葉がある。
あたしはそう確信してる。
「放課後だねぇ」
「何ですか今更、ほら行きますよ」
先を行く親友に置いて行かれないよう、あたしも歩き出す。
これはあたしの物語。
一人の人間が悩んで生きる、ごく普通の平均的な、当たり障りのない物語。
そしていつか、
「で、亜夜ちんは何であたしのクラスにいたの?」
「察しなさい馬鹿‼」
なりたいあたしになる物語。
その前哨戦だ。