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④決闘談話

秋の夕暮れ。

そう聞くとなんとも言えない寂寥感が沸き上がり、胸が苦しくなることはないだろうか?

冷たい風が、染みるような夕焼けが、過去の思い出がそうさせるのか。

だが不思議と嫌な気はしない、そんな時間より少し前。これから訪れる感傷を思い、より胸の内に何かが満ちる尊い時間を、

「さぁさぁやってまいりました盛り上がってまいりました‼ この会場に満ち満ちた熱気と歓声! いかがですか冬川さん!」

「うざったいったらないですね」

 大勢の高校生に遠巻きに囲まれた冬川亜夜は心底不機嫌そうに過ごしていた。

 所はいつもの教室のいつもの席ではなく、何故か校庭の一角。

 日常が崩されると人は不機嫌になるものだが、冬川は一際毒を吐いていた。

 数分前まで教室で馬鹿の相手を渋々していたはずなのに、いきなり横やりを入れてきたこの謎の少女に鞄ごと拉致られパイプ椅子に座らせられたら誰でもそうかもしれない。

「おおっと早速でました冬川節‼ 冷え切った毒舌が私の心を抉りますが一部の方々にはご褒美だと伺っております‼」

 冬川の隣で、丸眼鏡をかけた異様にハイテンションな少女が芝居がかった口調で叫ぶ。

 加えて長机とスタンドマイクも用意されており、さながら即席の実況席であった。

 だがそんな状況よりも、少女には確認しなければならないことがある。

「何ですかその一部の方々って。初耳なんですが」

「百聞は一見にしかず! あそこで沸いていらっしゃる方々がそうだと思われます!」

 今までなんとなく見ないようにしていた方向を指差され、錆びたロボットのようにぎこちなく顔を向けると、


「ああ! いいないいな! 冬川さんに直接罵ってもらえるなんて!」

「たまりませんね……たまりませんねぇ‼」

「ふうううううううううううぅぅぅぅ‼」


 血気盛んな色々持て余した男子高校生が羨ましがっていた。

 というか熱気と歓声の原因はこいつらだ。

 冬川は無表情で一言、

「……コロス」

「逆効果だと思いますが駆除は後にして頂きます! 何故なら! 今日は! ついにあの決着がつく日となるのですから!」

 依然ハイペースなトークを繰り広げる眼鏡少女に辟易としつつも、冬川は疑問点を律儀に拾っていく。

「あの……? 決着……?」

「おやおや? おやおやおや? 何ですか冬川さん本当は分かってるくせにー、このこのー」

「夏樹さんばりにうざったいですねあなた……」

 冬川がいつものように愚痴を零した直後、

 腰掛けていたパイプイスをお尻で吹き飛ばさん勢いで眼鏡少女が立ち上がる。

「ノンっ! あなたではありません! 申し遅れました、私は新聞部所属、飯田鳴子と申します! 一応冬川さんの前の席デスッ!」

 例え聞いてもいない情報が雪崩込んでこようと、冬川亜夜は問題なく理解することができる。聖徳太子が裸足で逃げ出すくらいには黒髪睡眠少女のおつむは上等だ。

「……あー、んー?」

 そのはずだ。

「この認識力! 流石は興味がないものには見向きもしない! 世の男子共にいくら告白されても告白されていると認識する以前にそもそも見てすらいないことから『孤高の女王』と呼ばれるだけはあります!」

「名前も顔も覚えてないのは確かですし、クラスメイトに失礼なことをしたという罪悪感も多少なりともあるのですが言わせてください。……絶望させてあげましょうか?」

 不良もちびって逃げ出すと評判の冬川スマイルだが、

「ふぅーーーーっ‼ たまりませんね! 私、くせになりそうです!」

 変態には逆効果なようだった。

 何してるんだろう、私。

 疑問というか諦めによる自問自答をするものの答えなど出るべくもなく、状況は勝手に進んでいく。

「さて茶番はこれくらいにして、本日の主役というか敵役を紹介しましょう!」

「誰かツッコミ役代わって下さい」

 若干涙目で周囲に助けを求める冬川だが、奇人変人共はこんな時に限って視線を逸らし咳ばらいをした。

 流石に進んで貧乏くじを引きに行くほど馬鹿ではないらしい。

「……やばい。めっちゃかわいい」

「お、おい。それは失礼過ぎないか?」

「今更?」

「それもそうか。では皆さんご一緒に」

「「「「「ふぅーーーーーーーーーーー‼‼」」」」」


 やはり馬鹿らしい。


 額の青筋を隆起させる冬川を尻目に、眼鏡少女こと飯田鳴子は司会らしく聞き取りやすい口調で謎会合を取り仕切る。

「我が高校の誰もがご存じ。ある時は体育会系に追われつつ返り討ちにし、ある時は一人の同級生に執着し、大抵わけのわからんことを宣い他人に喧嘩を売る危険人物。その名も」

「異議あり! その紹介に異議あり! というかその席はあたし夏樹詩歌のポジションじゃないかなぁ⁉」

 元気よく意思表示したのは茶色短髪の少女、夏樹詩歌その人であった。

 冬川と飯田がいる実況席から五m程離れた場所で立ったまま観客と一緒に嬌声を挙げていたが、紹介と同時に今度は怒声を挙げることになった。

 対する飯田鳴子はどこ吹く風で、

「私が三分で考えた珠玉の紹介文に難癖をつけるだけでなく存在意義まで奪おうとするとは、流石噂に違わぬ思考回路がショートしちゃってるJKといったところでしょうか。どう思われますか解説の冬川さん!」

「巻き込まないで下さい」

「亜夜ちんが困ってるだろー代われー!」

「あなたもですよ」

「⁉」

 生涯の友に背中を撃たれたような顔で立ち尽くす夏樹詩歌。

「ヒューヒュー、お熱いですねー。が、いちゃいちゃするのは後にして頂きます」

 その茶化すような飯田の言い方に、冬川は眉間にしわを寄せて抗議する。

「飯田鳴子さん、でしたっけ? いくら冗談でも言っていいことと悪いことがありますよ? 訂正して下さい」

「そうだそうだ! あたし達は本気なんだぞ!」

「あなたは本当に黙ってて下さい」

 結局いつものノリになっていることに冬川は妙な安堵感を抱き、一瞬で否定した。

 乙女心は複雑怪奇なのだ。

 そんな二人の様子をどこか観察するようにねめつけつつ、司会者はマイクをとる。

「本日お忙しい(笑)お二人にお集まりいただいたのは他でもありません。夏樹詩歌さん、あなたに抗議したいという方々がいるのです!」

「抗議? あたしに? 誰が? 何で?」

 質問の度に首を左右に傾げる夏樹。

「それは直接本人方から聞いて頂きましょう。私からは野暮というものです」

 何が野暮なのかもさっぱりだが、夏樹詩歌は考えるのをやめた。

 何故なら、

「あの、私からもいいでしょうか?」

 信頼できる親友がいるからだ。

 頭が良くない自分にでは無理でも聡明な彼女なら、この訳が分からない現状を打破してくれる。

 そしてその方法が物理的に難しければ、自分が切り開く。

 お互いが足りない部分を補い合える。

 夏樹詩歌はそう信じている。

「なんでしょう? あ、抗議側に行きたいならお断り致します。今日は時間的に人数オーバーなので」

「それは残念でなりませんが、それとは別にですね」

 おろ? と夏樹が違和感を覚える前に、

「私は何故呼ばれたのでしょう?」

 冬川亜夜さんはとても個人的な質問をした。

 聞き様によっては『夏樹さんはどうとでもしていいので私は帰して下さい』とも聞こえる、というか大衆含めその場全員にはそうとしか聞こえなかった。

 夏樹詩歌の身体が秋風に揺れる。

 飯田はその儚さに若干同情しつつ職務を全うすることにする。

「決まってるじゃないですか! 夏樹詩歌の専門家として解説していただくためです!」

「く、屈辱です! 私の人生でトップクラスの侮蔑を受けました! 許せません!」

「ああ、亜夜ちんがあたし以外の人にあんなに叫んで……」

 謎の敗北感と嫉妬に苛まれた少女は爪を噛むことしかできなかった。

「時間がないのでとっとといきましょう! エントリーナンバー1の方どうぞー!」

 まだ空の青さは残るものの、確かに西の空がオレンジに染まっている。

 早く早くと煽る飯田に急かされるように、観客の中から一人の大男が前に出た。

「あ、ストーカー」

「失敬な! 俺は陸上部部長岩城だ! おいやめろお前らドン引きするないつもの出まかせだ!」

 ひそひそし始めた群衆に怒声をあげる大男。

 しかし夏樹には確信があった。

「いや、事実でしょ。週三であたしを校内中追いかけまわすじゃないですか」

「確かにそうだが……ちょ、ひそひそするなそんな目で俺を見るな!」

 ストーカー疑惑がストーカーへとランクアップした陸上部部長に明日はあるのか。

 対する夏樹は被害者として、強気な態度で現状解明に挑むことにする。

「で、自称岩城さんを名乗るストーカーが何の用です? 未だに全く状況を理解できてないんですが」

「抗議だよ抗議! たった今一件増えたけどな!」

「抗議、ねぇ……記憶にございませんさようなら」

「待て待て待て! お前が帰ったら意味がないだろう! 話を聞け!」

 あわよくば冬川を担いででも逃げるつもりだったが、今日のストーカーはどこまででも追ってきそうな気がしたため少女は断念する。

 渋々振り向いて不快感を隠さずに一言。

「何であたしがそんなこと」

「私が説明致しましょう!」

 そこで何故か司会者が出しゃばってきた。

 野暮はどこへ行ったんだよ、という空気も無視して語り出す。

「本日参加している抗議者は皆日頃から夏樹詩歌さんに言いたいことがあっても逃げられる、会話にならないといった理由で悶々とした方々になります。夏樹詩歌さんには皆さんの思いを受け止めていただくためお呼び致しました!」

「だから、あたしがそれを」

「聞く必要があるのですよ夏樹詩歌さん。これはあなたのためでもあるのです」

「……どういうこと?」

 さっそく置いていかれ始めて帰宅本能が爆発しそうな冬川ちゃんだが、秋の空が綺麗なので我慢できた。

「先ほど夏樹詩歌さんも仰ったように、あなたは日頃からいろんな人に絡まれていますよね。そこのストーカーを筆頭に」

「おいやめろ。終いにゃ泣くぞ」

 飯田も飯田でやりたい放題である。

 そして冬川も気になる単語を拾う。

「夏樹さん、あなた私以外の人にも迷惑をかけてるんですか?」

「いや、迷惑だなんてそんなつもりは……」

 否定しつつも言い淀んでいるところを見るに心当たりはあるようだった。

 本人の口から確証を得たとばかりに司会者の饒舌さが増していく。

「この様に校内中でトラブルを産む夏樹詩歌さん。とっとと当事者同士で話して解決すればいいんですが、当の加害者は冬川さんと駄弁るために逃げ回り問題は積み重なるばかり。夏樹さんのストーカーも増えるばかり。日に日に校内鬼ごっこ参加者は増え校内は騒がしくなる一方です」

「ふむふむ」

「……」

 その日、岩城は生まれて初めて膝をついた。

「そこで今回の抗議会です! 溜まりに溜まった苦情意見を少しでも消化してしまおうと。さすれば夏樹さんへのストーカーは減り、校内は平和になるわけです!」

 一見すると学校環境改善に一躍買っている気もするが、知将冬川は飯田の妙なうさん臭さと所属部活からその奥底を見抜いていた。

「本音は?」

「新聞部のネタがなくなってきたのでストック増やすのに丁度いいイベントだなぁって、はっ⁉」

 出しゃばりなこと、話好きなこと、マシンガントークが止められなかったこと、心の隙間に入り込むような冬川ボイスが相まって、飯田は言ってはいけないであろうことを滑らせてしまった。

「ほーん」

 全員の冷めた瞳が実況少女を貫き、少女の額に冷や汗が流れる。

「私が解説なんて不名誉な席に座らせているのも?」

「ふ、冬川さんがいないと夏樹詩歌さんはそもそも来てくれないし、本当に帰ってしまうと思ったからです……」

 多勢に無勢を悟ったのか、飯田は素直に本音を吐き出し続けた。

 思えばどこか観察じみた視線を夏樹に送っていたのを冬川は回想する。

 ネタ作りのためにわざわざこんな場まで設け、拉致同然で参加させられたのだ。このまま帰っても誰も文句を言わないだろう。

 さてとばかりに椅子から立ち上がろうとした冬川だったが、

「ちょ、あなた」

 まさかな光景を目の当たりにし固まってしまった。

 視線の先には一人の少女。

 自分と同じく騙されて新聞のネタにされそうになった少女。

 そんな少女が、申し訳なさそうな顔で冬川を見ていた。

 その意図を冬川は嫌でも理解してしまう。

(この茶番に付き合えってことですか)

負の念波を受信した夏樹は涙目で後退りながらも首肯する。

今日一番の溜息と共に、冬川は文字通り頭を抱えた。

(どうせあの馬鹿のことですから、『これじゃあ飯田さんが可哀相だ』とでも思ってピエロになるつもりなんでしょうけど……)

その甘さが自分自身を傷つけていることに何故気付かないのか。

今まで何度もした問いを心中に渦向かせ、後で覚えてろよと念波を再度送り、冬川は腰を下ろした。

冬川の思いを真摯に受け止めた夏樹はほっと息を吐く。

しょんぼりした飯田へ目をやると、少女は居心地悪そうに俯いていた。

自業自得とはいえ秋の雰囲気と相まって増すその哀愁に、夏樹は覚悟を決める。

「うん、まぁ理解したよ。ようはあたしに纏わりつく埃を掃除できるってことだよね? それならこっちも願ったり叶ったり。しかも亜夜ちんにあたしの雄姿を見せつけれるなんて最高だね」

 敢えて明るく、暗い雰囲気を吹き飛ばすように振る舞う夏樹に冬川は苛立ち混じりに返す。

「現在進行形で無様なんですがいつ雄々しくなるんです?」

「これから今すぐ見せてあげるよ! さぁこい追跡者(ストーカー)岩城先輩! 返り討ちだぜ!」

「変な二つ名をつけるんじゃない! ……そこの新聞部何を喜々として書いている。載せるなよ? 絶対に載せるなよ⁉」

 反省してるのか怪しいところはあるが、立ち直った様子の飯田に夏樹は胸を撫で下ろした。

「ほらほら、早くしないと日が暮れますよー」

「ぐっ、俺からの要求は一つ。陸上部に入って」

「お断りします。終了。はい次の方ー」

 煽るだけ煽って速攻で切り捨てた様に、さしもの飯田もあんぐりである。

「勝手に終わらせるな! 最後まで話をさせろ!」

 代わりに当事者たる岩城が異議申立てをするが、茶髪少女の心は動かない。

「話ったって、答えは出ちゃってるしなぁ」

「……ああ、お前が部活動に興味がないのは知っている。しかし、しかしだ。お前には才能がある。その才能を活用しようとは思わないか? お前なら県一、いや全国までいける。お前だって分かってるんじゃないか?」

陸上部部長からの熱い勧誘と好評価に、夏樹詩歌のことをトラブルメーカーとしか認識していない層の観客がざわめく。

 夏樹の狂騒を部分部分しか見れていない生徒達は知らないだろうが、彼女の脚力及び体力は現役陸上部部長を彼方へ置き去りにするレベルなのだ。

 滅多に褒められない夏樹はここぞとばかりに胸を張り、

「そうですねぇ。全国と言わず世界一かもですねぇ」

「調子に乗ってると胸が萎みますよ」

「あたしなんてナメクジ以下でございます」

 一転して猫背になった。

「はぁ、そこまであたしを買ってくれるのは……ストーカーからでも嬉しいですね」

「では!」

「いや、そもそもですね」

 グイグイ来るストーカーから距離を取り、夏樹は遂にこう告げた。


「あたし、女子なんですが」


「⁉」

「⁉⁉」

「⁉⁉⁉」

「うん。今驚愕した奴ら覚えてなよ」

 その驚愕筆頭である岩城は眼球をバタフライさせながら反論する。

「だ、だだ大丈夫だぞ。この学校の陸上部は男女に分かれていない。人数が少ないから合体させられたんだ」

「そうですか。でもお断りします」

「ホワイ⁉」

「思わず慣れない英語が出るほど動揺してるのは分かったのでこっち来ないで下さい」

 猛獣を押し留めながら、夏樹は言葉を選ぶ。

「あたしには自信がないんです。走る自信じゃなくて、部活動をする自信がないんです」

「それは、どういう……?」

 岩城は得心していなかったが冬川は大体察しがつき、馬鹿な級友を見守った。

「先輩の部活は走るだけですか? 部員とのコミュニケーション、練習スケジュール、他にも挙げればきりがない程の課題が、やらなきゃいけないことがあると思います」

 一口に部活動と言ってもその目的は様々だ。本気で勝利を目指すもの、遊び感覚なもの、自分自身を磨きたいもの。

 しかしその全てに集団行動が付きまとう。一人ではできないことをしたいから、人は人を募り集団となる。一人で好き勝手したいなら部活動に固執する必要はないのだ。

夏樹は断然後者だった。

「あたしはこんなですから。そういうのはできません。できないくせに成果は出せるから、きっと他の部員から疎まれます。最悪、部の人間関係を壊すかもしれません」

 その自信過剰とも思える発言に観客からひそひそと暗い音が鳴るが、夏樹はびくともしない。分かっていて言ったからだ。言わなければ、ごまかしは相手に失礼だと、夏樹の心が決めたからだ。

 冬川はさらし者にされることに酷く嫌悪感を募らせていたが、抗議する側も同じリスクを背負っていることに気付いていただろうか。

 校内の少なくない人達に自分の悩みを吐き出すことがどれだけ勇気のいることか。校内を走り回って馬鹿騒ぎするのとはわけが違う。

 昔あったテレビ番組に学校の屋上で自分の思いを叫ぶ企画があったが、やってることは大差ない。

 恥辱や醜態を味わってでも伝えたいことがあるというのなら、夏樹はその思いを聞く義務があると思った。

 故に、少女は真剣に断ると決意する。

 例え大衆にどんな評価を押し付けられようとも。

「それと、あたしには他にやりたいことがあります。今しかできない大切なことです。別に部活動を馬鹿にしてるわけじゃないです。ただ、あたしの価値観の天秤で今が傾いただけです」

 ごめんなさい、と。改めて夏樹は頭を下げて断った。

 岩城は憑き物が落ちたような顔で呟いた。

「……希望が欲しかったんだ」

 乾いた空気に染み込むような小さい声だったが、夏樹は聞き逃さない。

「今の陸上部は男女共に勝気を失っている。日々ただ適当に走り、目標なく、無碍に過ごしている」

 言われてグラウンドの方へ目をやっても陸上部が練習している様子は見えない。

 部長が放課後という部活時間にこんなところに居るのもその証左だった。

「最初は俺も自分の手で変えようとした。だが、俺の力では、言葉では現実味がない。どれだけ言い聞かせても理想でしかない」

「理想だけじゃ人は動かない。やるならそれ相応の成果が、希望がいる。だから」

 司会者が予想外の展開に司会を忘れ解説者が呆れる中、夏樹だけが会話を引き受けていた。

 言葉を弾丸にした決闘が、そこにはあった。

「とりあえず成果を出せそうな人に入部してもらって、部員のやる気を出させようってわけですか。でも」

「ああ、それでも確実じゃない。お前が言ったように反感を買う奴も出てくるだろう」

 俯き歯を食いしばる大男は、祈り願うように思いを撃つ。

「だが、俺は信じたいんだ。あいつらだって、やればできるんだと。今はただ心が折れてしまっているだけなんだと。希望さえ、大きな何かさえあればもう一度立ち上がれると」

 恥も外聞もかなぐり捨てた男の姿を笑う者はいない。

 ただ一人、男自身が小さく笑い夏樹へ背を向けた。

「……聞いてくれてありがとうな。もうお前を追い回さない。約束する。今まで、迷惑をかけた」

 背中に責任を背負った男が夕焼けに消えようと片足を上げた瞬間、

「なんか帰ろうとしてますけど、やることがあるんじゃないです?」

 表情を変えず、夏樹詩歌は引き留めた。

 雷に打たれたように立ち止まった岩城は、怒られる前の子供のように夏樹へと顔を向けた。

「やること……? 土下座でもしたらいいのか?」

 卑屈になる先輩に対し後輩は頭を振って窘める。

「先輩に足りないのは視野ですね。ちゃんと周りを見て下さい」

 言われてようやく陸上部部長は気付かされた。

「岩城さん……」

 周囲の人混みに紛れるように話を聞いていた少年少女がぞろぞろと男の前に現れた。

 皆、背中に陸上部と書かれたジャージを着ている。

「お前達……何故……?」

「ずっとグラウンドの隅で筋トレしてたじゃないですか。流石に気付きましょうよ」

 諭すような夏樹の言葉は既に耳に入らず、岩城は茫然と立ち尽くしてた。

「部長、俺達」

 部員の一人が前に出て言い淀む。

 誰にも言えなかったであろう思いを吐き出した部長と、その思いを目の当たりにした部員。

 そこには、両者でしか分かりえない空気が漂っていた。

 岩城部長は彼らに一歩近づき言葉を探す。

 拙くても伝えなければいけない言葉を。

「皆、俺は、俺は!」

「失望しました」


「…………………………あれ?」


 固まった岩城の代わりに夏樹が首を傾げる。

 しかし疑問を口にする前に答えは勝手にやってくる。

「ちょいちょい部活に来ないかと思ったら、まさか下級生の女子を追い回してるなんて、最低です」

「ストーカー」

「やり方が回りくどいんですよ。さっきの台詞初めて聞きましたよ? 部長なんだから言いたいことは言えばいいじゃないですか、へたれ」

「へたれストーカー」

「というかなんとなく察してましたけどね俺達。あー、もっと頑張って欲しいんだろうなって。だからこそグラウンドが使えない日でもこうやって筋トレしてるわけで」

「目腐れストーカー」

 合いの手のようにストーカーという単語を被せてくる女子部員がいい味を出していた。

 最早化石と化したストーカーが動けないをいいことに、最初に前に出た男子部員が首根っこを引っ掴んで、

「お騒がせしました」

「あ、いえいえ、こちらこそ」

 部員全員が夏樹に頭を下げ、つられて同じ様に頭を下げる夏樹詩歌。

 淡々とそれを回収しグラウンドの隅へと消えていく集団を眺め、今更ながら司会者こと飯田鳴子はマイクを持つ。

「……解説の冬川さん、これは、どういうことでしょう?」

「人生そう都合よくいかないということでしょう」

 燃え尽きるどころか燃える前に風化した男へ、その場の全員が黙祷した。



「さ、さぁ! 悲しいストーカーが一人去ったところで次へいきましょう! エントリーナンバー2の方、どうぞ!」

「容赦ないですね」

「どうぞー!!」

 冬川の冷めた呟きを搔き消すがごとく大声をあげる飯田。

 遠くで筋トレをしている陸上部にも届いたかもしれない。

 そんな破れかぶれな紹介に背を押され前に出たのは、黒い髪を三つ編みにし黒縁眼鏡をかけた、ザ・文学少女だった。

「一年文芸部、佐藤です。今日は夏樹さんにお願いが」

「無理ですごめんなさい」

「違います! 入部をお願いしてるわけじゃありませんから! 寧ろ逆方向です!」

 その大人しそうな見た目に反して意外と勝気な少女であった。

 あの夏樹に怖気づいていないのは勇敢と見るべきか蛮勇ととるべきか、夏樹の本性を知る者だけが思慮に落ちる。

「逆方向? はてなんのことでしょう?」

 何故か最初から文学少女と視線を合わせない夏樹が恍けを隠せずにいると、文学少女は人差し指を突き付けこう言った。

「とぼけないで下さい! 毎日毎日毎日毎日怪文書を文芸部に投稿してるじゃないですか! こっちは被害者も出てるんですよ!」

「被害者⁉ い、いや、あたしには、なんのことだか……」

 その場の全員が『お前、心当たりしかないだろう』と奇跡的に脳内ツッコミを揃える。

「まぁまぁ落ち着いて下さい佐藤さん。まず、何故その怪文書とやらをそこのサイコパス予備軍が出したものだと思うんですか?」

「飯田さんはあたしに怨みでもあるのかな?」

 これでも抑えてるんですよ、とマイクを切ってから恥ずかしそうに呟いたのを冬川は聞き逃さなかった。

 何故かと問われた佐藤一年生は怒りを抑えきれない様子で、

「だってペンネームがサマーツリーって」

「……いや、それはちょっと」

 言いたいことは明確だ。サマーツリー=夏樹。直訳かつ安直な理由付けだが、それ故分かりやすくはある。

 でもそれは怪しい、と飯田鳴子は推察する。

 それが事実なら夏樹は最初から自己アピールというか自首してるも同然だからだ。いくらなんでもそこまで馬鹿じゃないだろう。

 故にここは夏樹に罪を着せようとしている何者かがいるのでは?

と、そこまで推理し飯田は見た。

「解説の冬川さん。さっきから黙りこくっている被疑者が小刻みに振動しているように見えるんですが」

「そうですね。加えるなら汗が滝のように流れているようにも見えますね」

 珍しく静かな、そして挙動がおかしい馬鹿へ、飯田はアプローチをかけることにする。

「夏樹さん? 夏樹詩歌さん?」

「……………………ひゅっ、ひゅー」

「サマーツリー」

「やめてえええええええええええええええええええ!!」

 下手な口笛で誤魔化そうとしたのが飯田の感に触り、地雷を踏み抜かれた馬鹿が絶叫する。

「うっわー」

「ひえー」

 観客が一様にドン引きし、さらに夏樹の心が悲鳴を上げる。

 トリカブトでも一気飲みしたかのように痙攣する夏樹を、司会と解説の二人は解析する。

「そんなに恥ずかしいならもっと悟られない名前にすればよかったのでは」

「きっとあれですね。ばれたくないけど気付いて欲しいというめんどくさい乙女心(笑)が誤爆したんでしょう」

 ともあれ犯人が決定したところで、話はようやく本題へと進む。

「瀕死な馬鹿はほっておいて、佐藤さん。どんな怪文書だったのかお聞かせ願えますか?」

「はい、正直目を通すのも苦痛なのですが朗読させて頂きます」

「⁉ ちょま」


 煉獄の焔 偽りの大地を焼き払い

 清浄の地 真の命を流し

 流浪の雫 夢幻の輝きを生み

 絶対の光 絶望の影となる

 悠久の闇 愚者を喰らいて肥大せよ

 《暴食の(ワールドイーター)


 許無禁書 0章より

 サマーツリー


 聞いた皆が命に係わる寒気に襲われ、氷河期が来たのかと錯覚した。

「と、このような怪文書が連日文芸部に置いてありまして、文芸部のプライドとして一応目を通すのですが、その度心が擦り減るのです」

「夏樹さん、あなた……」

 恐ろしい生物を見る目で夏樹への尋問を開始する冬川亜夜。

 夏樹は虚ろな瞳で、

「……授業中って、暇じゃないですか」

 返事が欲しい夏樹だったが誰も口を開いてくれない。

 罪人は供述を続ける。

「……えっと、それで、時間を持て余しまして、なんかふと呪文を思い付きまして」

 このまま舌を噛み切ろうかと真剣に悩む夏樹だが、冬川の凍てつく瞳が死すら許さない。

「そ、そのままテンションに身を任せて書いちゃって、勢いに乗って誰かに見てもらいたくて、文芸部さんなら見を通してくれるだろうと思って、出し続けました」

 飯田の判決。

「ギルティ‼」

「ま、待って! 確かに授業中他のことしてたのは悪いと思うけど罪ってほどじゃあ」

「おだまりなさい、この遅れてきた中二病が! あなたのような無自覚なテロリストがいるから争いがなくならないのです!」

 溺れる者は藁をも掴むというが、夏樹には掴む藁すらなく、

「あ、亜夜ちんは、亜夜ちんは分かってくれるよね! あたしの抑えられない創作意欲の大きさを!」

「……」

「ねぇ⁉ せめて何か言おう! 無言が一番心にくるよ!」

 そのまま溺れていった。

 沈む罪人を無視し、飯田は被告たる佐藤へと向き直る。

「佐藤さん、その被害者の方は今……?」

「はい。彼は毎日のように呪文を読まされた後遺症で、本物の邪龍を呼び出すんだと世迷言を呟きながら学校生活を送っています」

「予想以上に深刻! というかあたしが言うのもなんだけど、その彼だけに読ませるからそうなったんじゃないかな⁉ 自分達が読みたくないから押し付け」

「酷い! あんまりです!」

 分かりやすい泣き真似をするとんだ文学少女だが、今は彼女が正義だ。

 夏樹は言いようのない罪悪感に飲み込まれ、

「被告、夏樹詩歌には今後文芸部に怪文書を出すことを禁じます」

「う、ひっく、は、はい……」

 とどめの冬川ジャッジで、遂に涙を流したのでした。

 結構なガン泣きに入ってしまった夏樹。

 というか泣き止みそうにない。

 飯田もその様子に悪気がし、それとなく解説へ状況解決の手助けを求めるが、

「い、いやー、ちょっと言いすぎでしたかね。あそこまで泣かれると流石に……」

「私は頻繁に見てますのでなんとも」

 この人頻繁にあんな泣かせてるのか。

 戦慄する飯田鳴子であった。



「夏樹さーん、そろそろ次の方をお呼びしたいので復活してもらえますかー」

「ううぅ、こんな暴露大会二度と出るもんか……」

 五分程のインターバルによりなんとか再起動を果たした夏樹だが、ふらふらとし限界が近いのが分かる。

 実際時間も時間だ。秋の夕暮れは短い、夜はあっという間に訪れる。

『田中君、敵は打ちましたよ』

『佐藤さん、僕あんな不審者みたいなこと言ってないよね? 至って健康体なんだけど』

『いいんですよ、あれくらい大袈裟に言っとけばもうしないはずです』

『いや、僕にも人権ってものが』

『犬の餌にもなりゃしませんね』

『ひっど! ひっど!』

 どこぞの文芸部員達の会話が微かに聞こえてくるが、冬川は馬耳東風を貫いた。

 あと何人いるんでしょう、と冬川がいつまでもいる観客達を眺めていると、答えはすぐやってきた。

「それでは本日最後の方、どうぞー!」

 飯田司会の紹介に対し意外そうな表情を隠さず、目ぼけ眼の少女は問いかける。

「もう終わりですか? 後がないとか言ってたのでもっといるものかと」

「いやそこはほら。下校時間は守らなきゃじゃないですか」

 変なところで真面目な新聞部少女の扱いに困る冬川をよそに、最後の抗議人が姿を現し開口一番。

「夏樹詩歌!」

 親の仇を前にしたかのようにその名を叫んだ。

 疲労困憊少女は淀んだ瞳で誰だ誰だと目を向け、さらに闇色を深くした。

「もー、なんなんだよー。今日は厄日だよー」

「ちょ、人の顔を見るなりその反応はないんじゃない⁉」

 ぎゃーぎゃー喧しい抗議人に眉間のしわを深くする冬川だが、一つ面白いことに気付いた。

「夏樹さんがあんな顔するなんて珍しいですね」

 心底会いたくない人に会った時、人はあそこまで表情を崩せるのかと少女の好奇心が揺れ動き、

「夏樹さんに絡まれてる時の冬川さんにそっくりですよ」

「失敬な」

 隣人の一言で萎えた。

「そこ! 仲良くしすぎじゃないかな! あたしも混ぜて下さい!」

「アタシを無視するなああああああああああ!!」

 冬川と飯田の会話を死んだ耳で聞き届けたゾンビ夏樹が、嫉妬やらなんやらを燃料に再度燃え上がり、抗議人がシャウトした。

 仕方なさそうに、ほんとーに仕方なさそうに夏樹は相手へ体を向け、そして気付いた。

「……名前なんだっけ」

「秋土頼子! どうぞよろしく!」

 なんでそうすぐ起爆させるかなぁ、と観客の誰かが思わず口にするが、おそらく夏樹自身も分かっていない。

 怒りのボルテージが最高潮な秋土さんとやらに飯田はかける言葉を見つけられず、いつものように相方へ話を振る。

「なんだか凄く怒ってるようですが、今度は何をしでかしたと思われますか?」

「zzz……」

「起きて下さーい! これからって時に寝ないで下さーい!」

 寒さを実感し始める今日この頃、夕方ともなれば身震いもすることもあるが、冬川亜夜は前後に揺れていた。

「ふぇっ……、あー、帰っていいですか?」

「こ、このテンションの下がり具合は予想外なんですが……ど、どうしたんですか?」

「説明しよう! 亜夜ちんは下校時間が近づくと異常な眠気と共に帰宅本能が倍増するのだ!」

 解説対象に解説された解説者は一向に舟を漕ぎ続ける。

「こうなったらよっぽど面白いことがないと帰っちゃうから頑張ってね!」

「ねぇ! なんでアタシのターンなのに無視されてるのよ! 司会がちゃんとしなさいよ!」

 と、いい加減蔑ろにされ続けている秋土頼子は矛先を司会に向けた。夏樹詩歌に何を言っても無駄だとようやく理解したらしい。

「そうですね! では本日ラストを飾る挑戦者! 秋土頼子さん、思いの限りをぶつけて下さい!」

「当然よ! 今までアタシがどれだけ侮辱されたか……!」

「ほ、ほら。冬川さん。今からあの金髪ストレートが夏樹詩歌さんの悪口を言いますよ!」

「んー、んん?」

 冬川の気つけネタにされてるとも知らず話題になって気分を良くした秋土は遠い目をしつつ、

「忘れもしないわ。アタシが転校してきた四ヶ月前。初めてあんたに会ったとき」

「あ、回想入る?」

 誰も頼んでいない回想が、始まる。


 ◎


 アタシは秋土頼子。

 イギリス人の母と日本人の父を両親に持つハーフだ。

 ちょっとした事情により六月っていう中途半端な時期に転校してきた普通の女の子。

 なのに、

「お、おかしい……、誰とも会話無しに初日が終わったわ……」

 放課後の廊下をアタシは一人で歩いていた。

 いや、正確には何人かとすれ違うけど、誰もアタシと目を合わせない。

 そのくせ遠巻きから好奇心混じりの視線は感じる。

 まるで動物園の檻に入れられた気分。

 いくらアタシが日本人離れした金髪ストレートに白過ぎる肌だからって、ここまで異物扱いしなくてもいいのに。

 あれだろうか、今朝の自己紹介で、『こんな見た目ですけど日本人です! からかってきたらしばいちゃうゾ♪』と言ったのがいけなかったんだろうか。フランクさといじめの牽制を兼ねたつもりだったんだけど、思いのほか効き過ぎたらしい。

「あーあ、アタシから話しかけに行っても露骨に逃げられるし、もしかしたらずっとこのまま……」

 ただでさえ中途半端な時期に転校してきたせいで、すでに出来上がったコミュニティに入りにくいというのにこの失態。アタシの高校生活は早速終了してしまったのかも……。

 そう悲観した時だった。

 他のチラ見とは違い、真っすぐな瞳でアタシを見つめる女の子が前から歩いてきた。

 背は高過ぎず低すぎず、髪は染めているのか茶色で短髪。細身な割に活力を隠し切れない雰囲気に、アタシの第一印象は高得点だった。

 初めて目が合った、アタシを特別視しない人。

 知り合いから、あわよくば友達に。

 どちらにしろここで話しかけないと後悔する。

 心の思うままアタシは勇気を振り絞って話しかけた。

「ね、ねぇ、あなた」

「あ、そういうの間に合ってるんで」

 路上勧誘を断る感じでスルーされた。

「え、あれ? ま、待ってよ! ちょっと話を!」

「いや。今忙しいんで、ぼりぼり」

「おもいっきりお菓子食べてるじゃない! 暇を持て余してるじゃない!」

「だから、お菓子を食べるのに忙しいんですよぼりぼり」

「とにかく口と手を止めてよ!」

 なんだか早速後悔し始めたけど、少なくともこの人だけはアタシを異物扱いしていない。

 今はそれだけで十分だ。

「ごくりんこ。もー、なんですかあなたー。見たことない人ですね。迷惑ですね」

 もう人選を見誤った気しかしないけどここまで来たら引き下がれない。せめて名前だけでも聞きださなければ。

「あ、あなた……名前はなんていうの?」

「蝿丸権之助」

「嘘でしょう! 明らかに嘘でしょう!」

「む、失礼ですね。自らは名乗らず、人の名をけなすとは。人としての底が知れますよ?」

 いい加減しばいても許されるんじゃないかとも思ったけど、やっぱり転校初日に暴力沙汰はいただけない。

 悔しいけど素直に名乗ることにした。

「アタシは秋土頼子。今日転校してきた一年よ」

「一年……? 同級生……? けっ」

「名乗った途端さらに態度が悪化した⁉」

 恨めしい視線が胸の辺りに集中している気がするけど、なんなんだろうか。

「へーへー。なるほどなるほど。で、その秋土さんがこの絶壁こと蝿丸権之助に何のご用でしょうか、ぺっ」

 絶壁がなんのことか分からないが、再三に渡るあんまりな態度にアタシの堪忍袋もズタボロだ。

「なっ……! も、もういいです! さようなら!」

「はいさようなら、かーっべぇっ!」

「いい加減汚いわよ! 女としての尊厳はないの⁉」

「尊厳……? ああ、その自己主張の激しい脂肪のこと? はっ!」

「違うわよ! 失礼を通り越して理不尽だわ!」

「全くもってその通り。……なん、たる、理不尽!!」

「あ、あなた目がいってるわよ……止まりなさい。こっちに来るなあああああ!!」

「おいてけー、おいてけー」

 こうしてアタシの転校初日は妖怪に追われる形で終わった。


 ◎


「どんだけ飢えてるんですか」

「持ってる輩には、持たざるものの気持ちなどわからぬよ」

 どちらかというと大きめな飯田の問いに夏樹は鼻で笑い返した。

 依然肩を震わせながら秋土は続ける。

「あ、あれから廊下ですれ違う度に因縁を吹っかけて襲いかかってきて……転校早々アタシのあだ名はデコイになったのよ!」

 秋土さんがいれば夏樹詩歌はそっちを狙う=トラブルに巻き込まれずに済む。

 あだ名が囮とは、なかなかなレア度である。

「では、秋土さんの苦情とは」

「もうアタシに関わらないで! それと謝罪して!」

 ふんぞり返る秋土の言葉をそのまま受け取れば拒絶の境地なわけだが、

 そもそもそんなに嫌いならこうして会いに来ることもないわけで、

 罵声を浴びせながらもどこか楽しそうなのは誰の目からも明らかなわけで、

「ツンデレですか?」

「誰がよ!」

 夕日をバックに普段は白い顔を赤くした金髪が吠えた。

なんとなく流れを掴んだ観客は弛緩した雰囲気の中、あとは二人の茶番を見届けるだ けと思っていたが、

「分かったよ。もう話しかけないし絡まない。今までごめんなさい」

 夏樹詩歌の真摯な態度に訳が分からなくなった。

「え? あれ?」

 当の秋土も困惑に落ちる。いつもなら難癖をつけられて言い返して、そんな言い合いに繋がるはずなのに、本当に謝罪された。

少女の歯車が、ずれていく。

「秋土さんがそんなに嫌がってたなんて、あたし知らなくて……」

「いや、わ、分かればいいのよ。だから、その」

 なんとかいつもの軌道に修正しようとするも夏樹詩歌は態度を変えない。

 寧ろ二人の距離がどんどん離れていく気がして、秋土は動悸がした。

「安心して、なんてあたしが言うのもおこがましいけど……。これからはあたしのことなんて気にせず頑張ってね」

「え、そ、そうじゃなくて、あれ? あれぇ⁉」

 周りに助けを求めるように視線を巡らすも誰も何もできない。突然終わってしまった友人関係に居心地の悪さを訴えるばかりだ。

「さようなら秋土さん。……だけど、あたしは、あなたのこと、友達だと……」

 別れを惜しむように、しかし決意は揺るがないとばかりに、夏樹詩歌は最後の思いを告げ去ろうとする。

 秋土頼子の願い通りに。

 これでいいの?

 秋土の中で声が響いた。

 転校初日、誰とも話せなかった自分と会話をしてくれたのはあの少女だけだった。

 それからは会う度に口喧嘩をしながらも居心地の良さを感じていた。

 傍から見れば歪な関係だったかもしれない。

 でもそこには確かな揺るがないものがあったと、秋土は知っている。

 その名を伝えなくてはいけない。

 今も背を向ける少女を引き留めるにはそれしかない。

 羞恥も恥辱も飲み込んで、秋土頼子は手を伸ばした。

「ま、待って! アタシも本当は! と、と、とともだ」

「なんてうっそだよーん! ずっと付きまとってやる! なははははああ!!」


 そしてこの仕打ちである。


「……ひっぐ」

「……」

「うっわー」


 勇気を振り絞った金髪の心が折れ、黒髪の目が死に、眼鏡の引き声が響く。

 口を金魚みたいにパクパクさせ、からかわれたことに気付き、

「夏樹詩歌のばあああああかああああああ!!」

 せめてもの抵抗をして、少女は人混みに消えていった。群衆の中から『あれは、うん。あれは仕方ないよ』と気遣うセリフが聞こえるが、秋土の友人だろう。

 屑は冷たい空気をたっぷり吸ってから一言。

「勝った」

 胸以前に人として足りないものがあり過ぎる夏樹ちゃん。

 飯田は何が何だか分からなくなった現状に終止符を打つためまとめに入る。

「解説の冬川さん。あの鬼畜は何に勝ったつもりなんでしょうか? いやほんと」

「さぁ? 知りたくもありません。……帰ります」

 そう言うと本当に席を立ち、鞄片手に校門へと歩を進める冬川さん。

 残された司会者は疲れ切った声でマイクを鳴らす。

「えー、解説も帰ってしまったことですし、本日はここまでとさせていただきます! 解説の冬川亜夜さん、ありがとうございました! そして問題児夏樹詩歌さん、あと四、五回は人生を改めて下さい! 以上! 解散!」

 明日の学校新聞がどうなるのか、期待と不安の中馬鹿騒ぎは幕を下ろしたのだった。



 置いてけぼりにされたと鬼畜が気付いたのは、空が闇色に染まりかけた頃だった。

「……最後の最後で放置プレイとか、酔狂だねぇ」

 的外れもいいところだが少女の言葉に返す者は誰もいない。

 ただただ乾いた風が頬を撫でるばかりだ。

 しばらく風にされるがままに立ち惚け、ふと人の気配を感じた。

「あ、今日の主犯」

「人聞きが悪いですね。企画者と呼んで下さい」

 飯田鳴子。

 黒縁眼鏡をかけた新聞部少女が夏樹の5歩後ろに立っていた。

 そんな不審な行動も夏樹には気に値しないらしく、

「ふいー、おかげさまでこっちはへとへとだよ」

 両手を組んでから頭の上に腕を伸ばし伸びをして疲れましたアピールをするが、飯田からの反応はどこか探るようなものだった。

「で、どこまで分かってたんですか?」

「はい?」

 二人の温度差を今更感じ取った夏樹が言葉を見つけるよりも早く、少女は眼鏡を直して開口した。


「あの三人が、問題を抱えてた三人だって知ってたんでしょう?」


「……」

 時が止まったように目を見開いたまま動かない夏樹の態度を肯定として受け取ったのか、飯田は独白を続けた。

「一人目のストーカーは言わずもがな、本業をサボって夏樹さんを追い回してました。部員の向上心のなさを憂いての行動らしいですが、実は他の部員も部員なりに状況打破を考えていたようです。彼らはちゃんと部長の意思を受け取っていたようですが、部長がそのことに気付けていなかったんですね」

 真犯人に自分の推理を語る探偵のように、お互いすでに知っていることを確認するように、横口を挟ませない自信と力強さを感じさせる語り方だった。

「そんなストーカーですが、夏樹さんの言葉で変なプライドは折れ、お互いに意思疎通ができたようで。代償は大きかったようですが」

 他にも夏樹を追い回していた輩がいたはずだが、飯田は敢えて言及しなかった。確証が持てない情報は出したくないという、彼女なりのポリシーがあるらしい。

「二人目はわかりにくいですが、あの子も部内で浮いた存在だったようです。目立ちたがりやというか、自己主張の塊というか。平均で見ればアンダーグラウンドを好む集団からすれば、完全に異物ですので」

 異物という単語に夏樹がピクリと反応するが飯田は気に留めない。これはただの前哨戦。目的が先にある少女には演技に構っている時間はない。

「しかしあなたのテロポエムをきっかけに流れは変わりました。声を荒げられない部員に代わって意見を言えることを証明したあの子は、今後需要が高まることでしょう」

 癖なのか繰り返し眼鏡を直す少女は相変わらず反応が希薄な夏樹を見つめ直す。

 知りたいという好奇心が少女を突き動かす。

「最後の秋土さんは、あの目立つ外観のせいで周りから避けられていました。当然本人もそのことに気付いていましたが、変えたくないことって誰にだってありますから」

 ですが、と飯田は一度区切り、

「あなたが秋土さんの扱い方を周囲に教えてみせた。壁を壊した。おかげで秋土さんは明確なキャラクターを手に入れ友人を見つけました」

 語りながら、飯田は心中で歓喜していた。半年間調査し続けた努力とその成果を本人に突き付け有無を言わせない優越感に。

 そしてこれから語られる、いや何が何でも喋らせる、その真実に。

「この三人全員にあなたが関わって、少なからず人間関係を改善させている。これは偶然、なんてことは言わないですよね」

 思わず早口になるが誰にも止められない。

 全てはこの時のために、わざわざ放課後教師の許可を取ってまであんな暴露大会を開いたのだ。

 一つは事実確認。もう一つは夏樹の反応を探るため。

 新聞部員として、何よりも内から湧き上がる好奇心に従い飯田は行動した。


 夏樹詩歌はもしかしたら、ただのトラブルメーカーに扮したヒーローではないか?


 誰も耳を貸さない仮説だがそれも今日までだ。この少女が校内の人間関係を憂いその頭脳を使って解決させたと報じれば、全ては白日の下にさらされる。

 一枚の紙きれに人々の価値観がひっくり返される様を生で見ることができる。

(ま、悪く書く気なんてさらさらないですけどね。寧ろ今日かばってくれたあれで好感度上がりまくりですし。明日からヒーローになってもらいますよ? 夏樹詩歌さん♪)

「あなたの目的は? 一体何を企んでいるんですか?」

 そんな妄想に更けていたからだろうか、

「うん、えっとね」

 眼鏡どころか目も曇っていたのだろうか。


「あたしは、人助けがしたいんだ」


 夏樹詩歌は笑っていた。

 笑いながら、語る必要のないことを勝手に紡ぎ始めた。

「……人助け?」

 期待していた答えとは若干違うことに拍子抜けな新聞部は流れを持っていかれているのを感じつつも、やはり己が好奇心には逆らえないのか合いの手を打っていた。

「うん。あたしは昔、ちょっと色々あって、ある人に救われたんだ」

 そのちょっとにも凄く食いつきたい飯田だったが、ぐっと堪える。少女の手には汗が滲んでいた。

「で、その救われ方が印象的でさ。あたしもあんな風に誰かを手助けできればなぁ、と思っちゃったんだよなぁ、これが」

「その目的のため、色んな人と関わって騒いでるんですか? でも……」

 人助けがしたいのは分かったがどうにも繋がらない。

 その思いと普段の行動に因果関係が見つからない。

「手当たり次第というか、適当というか、まだるっこしいというか。やり方が遠回しな気がするんですが」

 飯田の感では、あの三人を救って見せた人の思考にしてはおざなりに思えた。

 想像していた先を見据える狡猾な人物像が消え去り、

「うん、だって」

 まるで、


「助けようと意識して騒いでるわけじゃないからね」


 闇の中を彷徨う亡者の姿が浮かび上がる。

「は、はぁ? さっき誰かを救いたいって言ってたじゃないですか。言ってることめちゃくちゃですよ」

 失望混じりの呆れ声に夏樹は頬を掻き、苦笑いで答える。

「んー、仰る通りなんだけど、こうしないと助けられないんだよ」

 納得いかないと態度で訴える飯田に夏樹は降参したように、

「続きを聞きたい?」

「後学のために」

 皮肉を込めた嘆願に了解と答え、夏樹詩歌は思いを巡らせた。

「あたしもそうだったんだけど。世の中にはさ、助けを求めない人がいるんだよ」

 まだ見えない星を掴むように、少女は右手を伸ばす。

「で、そういう人は普通救われない。伸ばされない手は誰も掴めない」

 右手を握り締めるも空虚さしか感じず、開いてもやはり何もなかった。

「そんなの、悔しいなぁって、嫌だなぁって、辛いなぁって、思うんだ」

「……だったら、力づくで救えばいいのでは?」

 寧ろいつもの夏樹詩歌ならそうする方が自然に感じる。

 飯田の質問は的を得ていたが、夏樹の真意には届かない。

「そこがややこしくてねぇ」

 そう言う少女は笑顔のままだったが、内に秘めた表情は常に移り変わっているようだった。

「助けを求めない人って、そもそも救われたがらないんだ」

 誰かの話をしているはずなのに、少女は自分のことのように話す。

 いや、正に自分のことなのか。

「人の善意を感じると自分が可哀そうな生き物扱いされてるみたいに感じて、助けを振り払っちゃうんだよ」

 じゃあどうやって、と飯田が聞く前に、夕風に乗せて夏樹は答えた。


「ばれないように助ける。そのためには、助けようとか思っちゃいけない。善意を見せちゃいけないんだよ」


 飯田は今度こそ混乱した。

 理解できないのではなく納得できずに混乱した。

 確かに夏樹詩歌がしようとしていることは人助けではある。

 しかし、難易度が普通じゃない。

 相手が救われたと気付かないように救わなければならず、そのためには夏樹自身が  助けるという意識を持ってはならない。そんな縛りが設けられている。

 捻じれている。屈折している。

 人助けをしたいなら普通にボランティア活動に参加したらいい。

 でも少女はそうしない。

 少女が救いたいのは、普通の方法では救えない誰かだから。

「あな、あなたは、それでいいんですか? 誰にも感謝されず、成果が出てるのかも分からない、そんな生き方に何の意味があるんですか!」

 そして夏樹には利益がない。

 助けられた当人は気付いていないわけだから感謝などない。

 残るのは文句と不名誉な評価だけ。

 救われない誰かを救った結果の成れの果て。

「意味ならあったよ」

 しかし少女は絶望しない。

 飯田が思う程、夏樹詩歌は空っぽではない。

「岩城先輩がああ言ってくれて、本当に嬉しかった」

 ああ言ってとはお礼を言われたことか。

 夏樹流人助けに、まともな評価などもらったことはなかった。

 ただ思いを受け取るのに必死だった。

 自分の行いのせいだとしても、煮え切れなかった部分。

 そんな醜いけど本当の思いが、今日自信という別物に変わった。

「佐藤さんは、酷い目にあったけど、あんなのでもあたしの文章がみんなに知ってもらえて、恥ずか嬉しかった」

 少女は以前親友に語った。

 普通に当たり前に誰かを救いたいと。

 それはどんな方法でも構わない。

 構わないなら、叶えたい夢と重ねてもいい。

 夏樹詩歌にも夢はある。

「あとよっちゃんのあの胸は許せないけど、ああやって自分を偽ろうとしないところは凄いって思うんだ。いつも誤魔化そうとするあたしには、友達なんて勿体ない。あんな輝いてる人と会えただけで十分だよ」

 よっちゃんとは秋土頼子のことか。

 夏樹にとって秋土とはそれだけ光って見えるのか。

 それも、『昔』と関係あるのか。

「最後に、君が教えてくれた」

 度重なる夏樹の中身に気圧されていた飯田は、その指摘で目を覚ました。

「あたしじゃ気づけなかったことを教えてくれた。こんなあたしの足掻きでも、誰かを救えたかもしれないって、希望をくれた」

 夏樹が本来話す必要のないことを伝えたのはそのためだったのか。

 せめてもの誠意と感謝も伝えたかったのか。

「ありがとう。これでまだ頑張れる」

 いつの間にか飯田の前まで歩いていた夏樹はすっかり冷えた飯田の両手を包んで声を震わせた。

 同じ時間いたはずなのに、飯田の両手はじんわり暖められていく。

 数分か数瞬か。誰にも確認できない時が過ぎ、夏樹は手を放した。

 名残惜しそうな飯田の顔をどう捉えたのか、いつもの自信に満ちた笑顔で孤独なヒーロー志望は最後にこう言った。

「じゃあまたね、なるこん」

 なるこんって誰ですか、と聞く前に夏樹はカバンを持って走り去っていた。

 流石は陸上部部長お墨付き。飯田では永遠に追いつけないだろう。

今日のことを反芻し、吸収し、整理して。

飯田鳴子は決断した。

「こんな面白い記事、書けるわけないじゃないですか……」

とてもじゃないが、今の自分には表現しきれない話。

できても中途半端になるのが目に見えてしまう。

なら今は記事にしない。

いつか自分が追いついたその時、その時こそ。

(あなたは嫌がるでしょうけど、受け入れてもらいますよ。私、理不尽って嫌いなんです)

ヒーローを暴く記事じゃなく、ヒーローの成果を伝える記事を。

 どこか満足そうにひとりごち、明日の特集が中止に決まった。


 〓


「恥ずかし! 恥ずかし‼ 恥ずか死‼」

 街灯が照らす夜道を一人の女子高生が歩く。

 それだけ聞くと防犯意識が身じろぎをする人もいるだろうが相手は夏樹詩歌。

 さらに今は変なテンションの後遺症で顔面真っ赤で色々叫んでいる最中だ。人通りがないのは寧ろ好都合だろう。

 ひとしきり蠢いた夏樹は一日の疲れを吐き出すように肩を落とし、夜空を見上げた。

 瞳にちらほら見えてきた星を映すが、本当に見たいものは別にある。

「どこまで来たのか、どこまで行けるのか」

 独り言を続けるもトーンは抑え気味。

 地図を持たない旅人のごとき不安定さだった。

「あたしは『夏樹詩歌』と闘えてるのかなぁ」

 それは、少女が『夏樹詩歌』だった頃のお話。

 逃げられない運命に飲み込まれていた頃のお話。

 寝ぼけ眼の親友に救われるまでのお話である。


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