シエン
遅くなりました
エインが孤児院に来てから数日が経った。
エインも孤児院での生活にも慣れてきて、慣れないながらも掃除や洗濯といった手伝いをするようになっていた。
剣の練習も続けており、朝早くはシュウと一緒に、一通りの仕事が終わったあとに、こちらは一人の時もあったが、いづれも毎日欠かさず行っていた。
しかし、いまだにミクトラン王国の正確な情報が入ってきておらず、エインは悶々とした日々を過ごしていた。
彼が来たのはそんな日のことだった。
「じゃあ、遊びに行ってくるね」
ポーラとルル、オルトそして、オルトの一つ歳下の男の子、リオンは村の子供たちと遊びに行った。他の子供たちは昼からの仕事があったり、単に外に出るのが嫌いだったりして、孤児院の中で過ごしている。エインはいつものように、庭で素振りをしていた。
初めに彼の存在に気づいたのは、外で遊んでいたルルだった。
「あれ、もしかしてあれってシエンさんじゃない?」
「え?あ、本当だ。おーい、シエンさーん」
ルルたちの視線の先にいたのは比較的軽装な革製の鎧を着た青年、シエンだった。シエンは乗ってきたであろう馬を引きながら、彼女たちのほうに向かって手を振りながらあいさつをした。
「おう、久しぶりだな。ルル、ポーラ」
「あ、シエンさんだー。こんにちは」
「こんにちは」
それに気づいたオルトとリオンもルルやポーラに習ってあいさつする。
「オルトとリオンも元気そうじゃねえか」
「うん。シエンさん、今度はいつまでいるの?」
「うーん、あんまり長くはいられねーかな。2,3日したらあっち戻のねーといけねーし」
「今回は短いんですね」
「ああ、ちょっと急なことだったからなぁ。ルル、今リューナは孤児院に?」
「多分そうだと思う。特に何かやるとかは聞いてないし」
「そっか、じゃあリューナのところに行くよ。またあとで」
「ばいばーい」
そうしてシエンは孤児院に向かった。
□ □ □
シエンは、孤児院の隣にある小さな馬小屋に慣れた手つきで馬をつなげると、孤児院に入っていった。
「こんちはー」
玄関でそう声をかけると、奥からリューナの返事が聞こえた。しばらく待っていると思った通り、リューナが玄関まで迎えに来た。
「あら、思ったより早かったわね。さあさあ、そんなところにいないで早く上がりなさい」
「おう、そうさせてもらうよ」
シエンはそのままリューナの案内についていき、今は誰もいない勉強部屋に入る。
「あれ、今はここ誰もいないのか?」
「今日の勉強会はもう終わったからね。多分、ここに来る子は……ほぼいないだろうから大丈夫よ」
「そっか、なら安心できるな。どうせ来るのはかもしれないっていうのはミアなんだろ」
「そうよ。そうね……ちょっと今から呼んでくるわ」
「ああ、了解」
そうして、リューナは奥の図書室に向かった。
「ミア、ここにいる?」
「リューナ、どうかした?」
そこにはいつもと同じように椅子に座りながら本を読んでいるミアの姿があった。
「あら、よく気づいたわね。いつもは全然気づかないのに」
「さっきちょうど読み終えたところだったから。それで?」
「シエンが来たから、教えようかなって。あなたも聞きたいでしょう」
「ん、分かった。いまシエンさんはどこに?」
「すぐそこにいるわ」
そう言いながら、リューナは勉強部屋のほうを指さす。
「うん、すぐ行く」
ミアの返事を聞いたリューナはそのまま勉強部屋のほうに向かう。
「どう?」
勉強部屋に戻ってきたリューナにシエンは短く尋ねた。
「すぐ来るって」
「そっか、ならミアが来てから話すことにしようかな」
一方、リューナに対して返事をしたミアは、持っていた本を本棚に戻し、勉強部屋のほうに向かう。
勉強部屋とつながる扉を開けると、リューナとシエンがミアのほうを見て待っていた。
「ごめん、待たせちゃった?」
「いや、そんなに急いで伝えなくちゃいけないってわけじゃないし」
「そう」
そんな会話をしながら、ミアはリューナの隣の席に座った。
「それで、ミクトラン王国はどんな感じなの?」
ミアが席について初めに口を開いたのはリューナだった。
「とりあえず、俺もキースに聞いたことだから多少の間違いはあるかもだけど、そこは許してくれ」
「キース……さん?初めて聞く名前」
「ああ、ミアは知らなかったわね。この国の騎士になったこの孤児院の出身者の一人よ」
「俺と同い年でね。今でも結構頻繁に会ってんだ。ただ、結構いろんなところに派遣させているから、あんまりこっちには来れてないらしいけど」
「全然知らなかった」
「まあ、たまに来ても一日で帰っちゃうくらいには忙しいみたいだし、仕方ないわ。多分、ミアがここに来てから2,3回くらいしか来てないし、全部まだミアが小さいころだったから覚えてないのも無理はないけれど」
「ふーん」
実際、ミアもこの孤児院出身の人を全員知っているわけではない。というかおそらく、ミアが知っているのはほんの一握りだろう。
「話を戻すぞ。俺はリューナがミクトラン王国の情報が欲しいらしいから代わりに孤児院まで行ってくれって言われてきたんだけど、それはあってる?」
「ええ、大丈夫よ。でもわざわざ来なくても通信してくれればよかったのに」
「ああ、その通信関連で王都のほうで少し騒ぎが起こってね。確実に伝えられるよう俺が来たんだ」
「王都での騒ぎ?」
「えーと、そこまで話すとちょっと長くなっちまうからそこは聞かないで」
「わかった。それで、ミクトラン王国の実情はどんな感じなの?」
「リューナが言ってたように、クーデターがあったのは事実らしい。まだ確実な情報はないけどどうやら現王政に反感を持つ者が起こしたようだな」
「……そう。分かっていることはそれだけ?」
「確実なのはここまで。あとはまだ噂程度だけど、王族はほとんど全員処刑されたらしい」
「ほとんど?」
「まだ噂の段階だから本当かどうかは分からないが、このクーデターの首謀者が王族のうちの一人らしいんだ」
「王族がクーデターの首謀者?」
「多分、後継者争いが発端なんだと思う。分かっていることはそのくらいだ」
「そう、ありがとう」
話し終えた後、シエンはふと、疑問に思っていたことを口にした。
「そういえば、どうしてリューナはクーデターがあったことを知ってたんだ?まだ、正式な情報は王都にもほとんど出回ってないのに」
「……そうね、教えておいた方がいいかも。とりあえずこれから話すことは他言無用ね」
「了解」
リューナはシエンに対して、エインに関することを偽りなく話した。シエンはクーデターの影響で誰かが国境を超えた可能性は考えてはいたものの、さすがにそれがミクトラン王国の王子であるとわかるとさすがに驚きをあらわにした。
「なんだって!?じゃあ、今もこの孤児院に?」
「とりあえずはね。問題なさそうならどうにかしてエインをミクトランに帰らせられればと思っていたけど」
「それは、無理だろうな」
「ええ、ヴァルスリア王国に助けを求める方法もあるけれど」
「今は、同盟関係を結んでいるとはいえ、仮想敵国だからな。余計な火種を生みそうだ」
「正確な情報が出るまでは、かくまっておくのがよさそうね」
最悪の場合、エインを理由にしてミクトラン王国が戦争を起こす可能性、またその逆も十分に考えられる。それは当然、一般市民であるリューナにとって、また孤児院の院長としても避けたい事態だった。
「ちなみに、その子は今どこに?」
「たぶん、庭で剣術の練習をしてるんじゃないかしら。ここに来てから、勉強会に参加するかの二択だったし」
「ふむ……俺もそのエインとやらに会わせてもらってもいいかな?」
「かまわないわ。でも、できれば今の不確定の情報を教えないで欲しいわ」
「わかった」
そう返事をしてシエンは勉強部屋を後にした。
「うーん、もっといろいろわかると思ったんだけど仕方ないか」
「クーデターが起こったのが本当だということが分かっただけでも大きいと思う」
「ただ、具体的に誰が起こしたのかがわからないし。確認が取れたってくらいかしら」
「うん。でも誰が起こしたのかは、おおよその予想はできる」
「確かにそうだけど、正確な情報を待った方がいいわよ。他国のことで私たちの持っている情報も少ないんだし」
「でも、リューナもなんとなく予想はついているでしょう」
「……ええ、直接口には出さなかったけどシエンもなんとなく察しはついてるようね」
「うん、それと多分エインも分かっていると思うよ」
「やっぱり?」
「そもそも、エインはミクトラン王国の王子で私たちよりもミクトランについては詳しいんだから」
「じゃあ、エインがやってる剣の練習っていうのも……」
「多分」
彼女たちの会話には、最後まで復讐という言葉は出てこなかった。