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逃走

その少年は深い森の中を走っていた。


体中に切り傷や擦り傷があり、仕立てのよさそうな服も所々が破れ肌が露出している。

この服からして、かなり裕福な家で育ったのだろう。見た目はどう見ても子供だ。まだ十歳にもなっていないように見える。

栗色の髪で、瞳も同じような色だ。手入れされていたであろう髪も、今では乱れきっていた。


「はぁ、はぁ……」


時折後ろを確認しながらも、その少年は一心不乱に走る。その様子はどう見ても誰かに追われているようにしか見えない。

だが体力がなくなったせいか、はたまた後ろを確認し足元への注意を起こったったせいか――おそらく両方だろう――彼は足元の木の根につまずいた。


「うわっ…!」


まともな受け身も取れず、顔面を強打する。痛みと疲労からしばらくそのまま伏せっていたが人の足音を聞き、慌てて立ち上がる。しかし、一度足を止めてしまったため再度走り出すのはきつく、少年は近くの木の裏に身を潜めた。周りには背の高い植物が生えており、それも少年の居場所を隠している。


「……くそ、どこ行きやがったあのガキ」

「こっちに来ているのは間違いないでしょう。先ほどまで足音が聞こえていましたし、踏まれたばかりであろう植物もあります。それに、先ほどは殿下の声も聞こえたように思います」


その言葉をはっきりと聞いた少年は、慌てて口を手で押さえた。移動しようとも考えたが、今動いても見つかるリスクのほうが大きうえ、今の体力で逃げ切れるとは到底思えず、その場でうずくまった。


(もっとちゃんと剣の修業するんだった)


動き回ることは好きだが、単純なランニングや筋力トレーニング、素振りといった体力作りは疲れる上に面倒で楽しくもなかった。そのため、さぼったり、手を抜いてばかりだったのだ。今なら、先生が言っていた基礎が大切、という意味がよくわかる。


――もうその先生もいないのだけれど。


「くそっ、草が邪魔で進みづれぇ。魔法で焼き払ってやろうか」


追手の一人である、がたいのいい男はそう愚痴りながら草を剣で切り払いつつ先に進む。


「ここで火を起こしたりすれば、あたり一面が火の海ですよ。その場合、殿下だけでなく僕たちも死んじゃいます」


そう反論するのは先ほどの男とは正反対なひょろっとした優男だ。だが、その身のこなしが彼が素人でないことを物語っている。


「おめえ、さっきから殿下殿下って……。あいつはもう殿下でもなんでもねえ、ただのガキだろうが」

「あはは……、そうでしたね。どうも前からの癖が抜けないなあ」

「大体、クーデターを起こした相手に殿下といわれるのは、向こうも願い下げだろうよ」

「いえいえ、でん……エインくんは心優しい上にお人好しな常識知らずですから。案外そう呼べば、ほいほい乗っかってくれると思いますよ」


殿下、あるいはエインと呼ばれた少年はその言葉を聞き、肩を落とした。「お人好しな常識知らず」この評価に対して反論の余地が全くなかったのだから。


その二人の声が遠ざかっていき、数十分もすると聞こえなくなった。どうやらエインのいる方とは違う方向に向かったようだ。

体力もある程度戻ったため二人が帰ってこないうちに行動を開始する。急いで移動したい気持ちを抑え、今度はできるだけに自分が通ったことを相手に知らせないよう細心の注意を払って行動する。


とにかく、声もの主たちが向かった方向とは逆へ。エインはその一心から行動した。それまで考えていた他の追手の可能性を考える余裕もなく、二人の追手から逃げることだけを考えての行動だった。


 □ □ □


それからは、二人の追手や他の追手に会うこともなかった。一時間以上人の気配もない。すでに追手が諦めたのか捜索範囲から抜けたのかは分からないが、エインは一息つき近くの木の幹にもたれかかった。


(これからどうしよう)


一息ついたことで、これからのことを考える余裕ができた。

しかし、具体的な案を思いつけるほど頭が働かない。そもそも今まで何不自由なく暮らしてきたエインにとって、どうするのが良いか考える以前に何ができるのかすら分かっていなかった。家庭教師に勉強をたくさん教えてもらったが、こんな時にどうすればよいかなんて教えてもらってはいない。これまで言われた通り、教えられた通りにしか行動したことのないエインにとって今の状況からの行動を自分で決めるのは難題だった。


考えることにも疲れ、うとうとし始めたエインにその影は近づいてきた。完全に気を緩めているエインはその影に気が付く様子もない。

不意に、その影は落ちていた木の枝を踏んだ。木の枝を踏んだ音でようやくエインは何かが近づいてきていることを悟る。


(逃げなきゃ!)


覚醒しきっていない頭でとにかく逃げることを考える。だが、その行動に移る前に影が飛び出してきた。


「ひっ……!」


影の正体を見たとき、エインはそれが人でなかったことに一瞬安堵した。だが、影が何かを認識しその安堵は恐怖へと変わった。


「お、狼!?」


エインよりも大きな体をした狼だ。エインはその狼から明確な殺意を感じ、一瞬立ち尽くしてしまった。その一瞬を見逃さず、狼はエインにとびかかる。


「うわあああ!」


それに驚いてしりもちをついたことで、奇跡的に狼の攻撃をよけることに成功した。

だが、狼はすぐに体勢を立て直しとびかかろうとする。その行動より一瞬早くエインは立ち上がり、走り出した。


―はやく、早く逃げなきゃ……!


エインは森の中を一心不乱に走る。枝に服をひっかけても気にする余裕はなく、そのまま走る。それによりボロボロだった服はさらに破れていく。服がないところをひっかけ、怪我をすることもあったがパニック状態に近いエインは怪我に気づくことなく全力で走る。


しばらくして、エインは森の中でもそこそこ整備された場所に出た。ここまで来て、ようやく余裕ができたのか後ろを振り返る。狼が追ってきた様子はない。単純な速さで子供が狼に勝てるとは思えない。おそらくはなわばりに入ってきたエインを追い払ったのだろう。

気が抜けそうになった自分にむち打ち、再び歩を進める。狼に襲われた時のように気を抜ききってしまえば、この森の中ではどのような危険にも対応できず死ぬだろう。

それに、人が使っている形跡のあるこの道をたどれば、少なくとも人のいるところまでは出られる。

歩きながら薄暗くなってきた空を見上げる。まだこの時期の夜は冷える。こんなところで倒れれば、翌日には凍死していた、なんてこともあり得る。夜に出歩く人は少ないが、今ならまだ誰かと会えるかもしれない。そんな期待を持ってエインは歩く。




もう、どれだけ歩いたことだろう。すでに日は完全に落ち、周りは暗闇に包まれる。夜の森が危険なことは知っているが、いまだ森の出口を見つけられない。あの二人組以降追手の気配はないのは幸運だっただろう。既に、行動することすら難しいほどの疲労の極致にいるエインでは簡単に追手につかまってしまうことは想像に難くない。それ以前に今のエインには追手を気にする余裕もなく、どうにかしてこの森を抜けることしか考えられないのだ。


終わりのない迷路に迷い込んだかのような感覚。歩いても歩いても周囲の景色は変わらない。その景色すら日が落ちたことで不安を煽る不気味なものになっている。エインはついに体力と精神の限界を迎えた。その場に倒れこみ、そのまま動かなくなってしまった。


(だめだ、このまま寝ちゃったら……)


意識がもうろうとしながらもどうにか起き上がろうとするが、体が全くいうことを聞かない。


(だれか、たすけて)


エインは足元にある青い宝石のペンダントに気づくことなく、深い眠りに落ちていった。

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